震火災當時郡町村活動状況概要
大正十二年九月一日噫…
回想するだに肌へに粟を生するそれは全く吾人の有らゆる意想
を超ゆること余りに甚しき一大異変であった、彼の大地震続いて起
る各所の火災真にこれ焦熱地獄の惨状は目前に展開し東京
市の如き江戸開府三百年東京遷都五拾年の文化を哀れ倐忽の
間に荒涼たる焦土と化せしめ終りぬ随って之小境を接せる東都又多大
の被害を蒙らさるを得なかった、然し乍民家官衙分署学校
病院神社佛閣会社工場等倒壊若くは焼失の厄に遭ひた
る数を東京市内のそれに較ふれは頗る軽易の感かする。然して
商工業其他各方面の被害亦相當の額に達するも隣接各町
村か防火に對し必死的努力の結果は火災の災厄に遭ひたるも
の三千四百を算するに過きさりし為被害の軽ろかりしは誠に不幸中
の幸いとも云ふへきか、
随って這次の震火災に當面して郡内の罹災民救済業務遂行
上郡及町村に於ける焦慮の点は地理的関係上震災直後より
本郡を目して絶好の安全地帯となし深川、本所浅草区の罹災
民は勿論各方面より雲霞の如く避難し来れるに在り而も其の数
無慮三十萬人の多きに達するに至りては只愕然ならさるを得す、
恰も彼の凄愴の光景を呈せし九月一日は偶々本郡長更迭の
為め新旧郡長登廰将に事務引継の最中なり随って廰員
全部在廰せると郡廰舎か最近の建築にかゝり被害最も軽
微加ふるに直接避難民救護の任に當る管下各町村役場(砂町
役場のみ大破)か比較的被害軽ろかりし為め諸般救護事務遂
行上便宜尠からさりき加之本郡は地勢上災害に遭遇すること
屡々にして未た記憶に新たなる大正六年十月に於ける暴風雨と
同時に襲来せる大海嘯時に得たる災害善後策の體験は時
に其の行動に一種の強みを感すると共に別に災害時に善處す
る為め非常災害事務取扱規定の設けあり之により平素吏員
の訓練あるを以て這次の如き災害に直面して救護事務開始
上頗る便宜なりとす、郡は本規定に基き即時全廰員に對し災
害動員を命し左の部署を定めたり
総務係
救援係
配給係
會計係
以上の各係を定め救護事務開始と同時に之れに善處する基調
たる管下の被害状況を調査し之れを上司に報告し併せて當然
起るへき救護事務上府内町村との聯絡を採るの必要上正午を過
くる十五分吏員十五名を各町村に急派し親しく被害の状況を調査
せしむると共に附近會社工場及住家等の被害の状況より考察す
るに被害甚大なるへき見込なりしを以て先つ糧食及医療材料照
明具等の調達を必すや東京市及隣接諸町村に対し農村方
面より物資の應援は勿論救援隊の派遣の要あるへきを信し豫め之
れか救援方策等を調査考究せしめ置き以て曩に出張せしめたる吏
員の皈廳を待てり軈て午後四時出張員全部無事皈廳其の
状況に依れは各町村共即刻災害調査に着手すると共に避難所
救援所の開設焚出し準備に努力せりとの復命を得たるを以て
此の状況を東京府に即報すへく出発するに當り途上萬一を考慮して
二名の吏員を急派したるに既に震災に次々起る猛火は帝都の各
方面に亘り加ふるに交通機関全く杜絶せる為め出張員か百方報
告の使命を果すへく焦慮の効なく困憊僅に身を以て死を免か
れ皈廰するの止むなきに至れり本報告は超えて二日午後再び吏員
を派して漸く之れか報告の任務を了し併せて上司との聯絡を採る
ことを得たり之れより先糧食医療材料照明具等救護材料の
調達及通信機関の設備等迅速準備の要ありと雖も到底
之を東京市方面に需むる不能を察知し千葉方面の軍隊に
懇請するの剴切なるを信し急速吏員を派して先つ市川衛戌
司令官に窮状を具し救援方を懇請せしめたるに同司令官(金子少将)は時を移
さす、二日拂暁幕僚と共に来衛直ちに援助方を快諾せられ軍用
糧食を提供し併せて救護隊本部並に治療班、通信班を派遣
し来たり為めに郡役所亀戸町小松川町松江村等の間に軍用電
話開設の、運ひに至り稍安堵の思ひを為せると雖も郡に於ては各事情を
考察し左記の通り農村方面より隣接町村に対する、救護応援の部署を定
め以て郡下各町村間相互救護上必須物資殊に米及飲料水等
は勿論救援隊を組織し自治的に然も統一ある罹災救護事務
を遂行せしめて打合せの為めに如上の実績を擧くるに不取敢各町
村在米高を知悉するの必要あるを以て十名の吏員を各町村に急
派し調査せしめたり
被救援町村 救援町村
小松川町 小岩村、鹿本村、篠崎村
砂町 葛西村
大島町 端江村、松江村
亀戸町 奥戸村、亀青村
吾嬬町 水元村、金町村
寺島町 新宿町
隅田町 南綾瀬村
打合せの結果救援町村は何れも在郷軍人會員又は青年団員
を以て救援隊を組織し所定町村に向って應援し米及飲料水野
菜等の搬入を為し救援に努めたり
東京市方面の火勢は夕刻に至り刻々起る爆音と共に愈ゝ猛烈の度
を加へ遂に本所深川方面を舐め尽し紅蓮の舌は遂に吾嬬、亀戸、
大島、砂の諸町村に延はし来たり加ふるに大小の火片を雨下して眞
に心膽を寒からしめ危険極まりなし為めに亀戸大島、砂の三町
村救護本部たる町役場其れ自身か刻々危険に迫れるの状況
なるを以て之れか対策上急速吏員を派遣して重要書類の搬
出格納に恊力せしむ殊に戸数最も多き亀戸町は本所方面よりの
火勢熾烈にして到底町一圓か市と同様焦土と化すの悲運に逢
着せむとせるに際し同町消防隊が献身的に善闘せるの結果は能く之れを其
の一部に止むることを得たり蓋し同町消防隊の活動は誠に推奨す
るに足るものあるを認む
震災第二日午後郡内罹災民はまたしも嚝古未曾有の惨害を受けて
僅かに東京市方面より避難し来れる幾十萬民の深き悲愁を胸
に抱き而も困憊極りなく戦々兢々として不安の極に達せる折柄不逞
鮮人出没し放火強盗等敢行せるの流言蜚語喧傳せられたるを
以て之れか第一の警戒に所在青年団在郷軍人団其の他有志の夜
警団の活動を促し併せて全管下に対し左の布告を為し人心の動
揺を防けり
一、食糧は軍隊の應援を受くる事
一、軍隊の出動に依り近く交通及通信機関の復旧を見るへき事
一、被害少なき郡内各町村より物資及労力の供給を受くる事
一、市中は大半焼失したるも通信不能なるを以て詳細不明なる事
同夜十二時十五分救援分担十四ケ町村長を罹災救助の為め郡に招
聘し更に吏員を派して郡内製粉會社倉庫格納の製粉数量
の調査を為し一方千葉方面に吏員を派し米及照明具の購買
方を命し之を各町村に分配するを得たり
流言蜚語盛んに行はれ為めに人心の不安其の極に達せる災後第
二日漸く軍隊の出動ありて警備の任に當られ且つ諸般の救護事
務亦其の緒に就きしと雖も避難民は益々増加の傾向を示し一面
震災の為め一時病苦を忘れて僅かに避難し来れる不幸なる罹
災民か漸く心の沈静に赴くと共に打続く困憊悲苦の為め救
療事務頻りに多きを加へ来たり少数開業医の到底能くするか不能
のみならず手薄の医療材料は立所に費消し尽し之れか補給策
には殆んと困難を感じたり。幸ひ軍隊の医療班及千葉医大等の應
援を得て纔かに医療に當るを得たり超えて四日本府より米蝋燭等
の供給を得更に翌五日米其の他糧食及救護品等の配給せらるゝに
至り各町村吏員を招集し配給其の他の救護事務に関し恊議を
遂け翌六日より米其の他諸物資の配給所を亀戸駅に設け次て
配給上便宜の為め鐘ケ渕、曳舟、小岩の各駅に出張を設けたる結
果漸く第六日頃より稍秩序ある配給を為し得たるも各配給所に
倉庫の設けなきを以て物資を集積するを得ざりしと通信機関無
く加ふるに交通機関の設備不完全なる為の配給品の集散意の
如くならさりしは遺憾なりき思ふに此の配給事務は這次の救護事
務中最大の事業にして而も至難中の難事なりき如斯して最も困
難なりし配給事務は漸く本年二月を以て全く終了を告くるを得
たり此の間九月下旬より各種事情の為め要救護人員漸く減少
の傾向を示せり各町村は数回に渉り避難民の調査を遂け無
制限に配給を永続するは徒に惰民を作る虞れあるを考慮し
九月下旬一整に要救助者より救助願を提出せしめ更に之を勘
査し之に米券を交付する等専ら救助の公正を図り尚其の後数
回の淘汰を試み十二月下旬に至り漸くにして数千名に減するを得
たり如斯多忙なりし配給並米の廉賣事務に鞅掌(配給物
資の表)の傍郡内焼失町村に對しバラック建築材料の斡旋
災後続出する傳染病患者の収容に或は避難民増加に伴う小
学校児童増加(約四千人)に對する教育施設に災害復旧の
施設及之れか財政の対策に或は失業救済に或は震災に對する
対策攻究上各種の調査事業に或は震災後堤防亀裂個所
修繕不完全なる十月中旬に於ける江戸川の増水に遭遇し一方荒
川方面の増水に吾嬬町方面か浸水を受け之れに対する水防
施設等殆んと算ふるに遑なく震災當日夕刻より開始したる避
難民救護事務は勿論其の他各般の事業を遂行するに當り郡
吏員各町村役場吏員名誉職員在郷軍人會青年団消
防組其の他有志者か眞情の発露は能く社會共存の実を擧け
各自夫々相當の被害を蒙れるに不拘救護當局者と官民恊力
一致此の空前の一大変異に直面して寝食を忘れて之れか善
後處置に其の最善を盡されたるは洵に感謝に堪へさる所なりと
す、(田島郡書記述)