詔書 大正十二年九月十二日

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朕神聖ナル祖宗ノ洪範ヲ詔キ光輝アル國史ノ成跡ニ鑑ミ皇考
中興ノ宏謨ヲ繼承シテ肯テ愆ラサラムコトヲ庶幾シ夙夜兢業トシテ
治ヲ圖リ幸ニ祖宗ノ神祐ト國民ノ恊力トニ頼リ世界空前ノ大戰ニ
處シ尚克ク小康ヲ保ツヲ得タリ
奚ソ圖ラム九月一日ノ激震ハ事咄嗟ニ起リ其ノ震動極メテ峻烈ニシ
テ家屋ノ潰倒男女ノ惨死幾萬ナルヲ知ラス剰ヘ火災四方ニ起リテ
炎燄天ニ冲リ京濱其ノ他ノ市邑一夜ニシテ焦土ト化ス此ノ間交通
機関杜絶シ爲ニ流言飛語盛ニ傳ハリ人心洶々トシテ倍ゝ其
ノ惨害ヲ大ナラシム之ヲ安政當時ノ震災ニ較フレハ寧ロ凄愴
ナルヲ想知セシム
朕深ク自ラ戒愼シテ已マサルモ惟フニ天災地變ハ人力ヲ以テ豫防
シ難ク只速ニ人事ヲ盡シテ民心ヲ安定スルノ一途アルノミ凡ソ非常
ノ秋ニ際シテハ非常ノ果斷ナカルヘカラス若シ夫レ平時ノ條規ニ膠柱      画像
シテ活用スルコトヲ悟ラス緩急其ノ宜ヲ失シテ前後ヲ誤リ或ハ個人
若ハ一會社ノ利益保障ノ爲ニ多衆災民ノ安固ヲ脅スカ如キア
ラハ人心動搖シテ抵止スル所ヲ知ラス朕深ク之ヲ憂惕シ既ニ在朝
有司ニ命シ臨機救濟ノ道ヲ講セシメ先ツ焦眉ノ急ヲ拯フテ以
テ惠撫慈養ノ實ヲ擧ケムト欲ス
抑モ東京ハ帝國ノ首都ニシテ政治經濟ノ樞軸トナリ國民文化ノ
源泉トナリテ民衆一般ノ瞻仰スル所ナリ一朝不慮ノ災害ニ罹リ
テ今ヤ其ノ舊形ヲ留メスト雖依然トシテ我カ國都タルノ地位ヲ失
ハス是ヲ以テ其ノ善後策ハ獨リ舊態ヲ回復スルニ止マラス進ンテ
将来ノ發展ヲ圖リ以テ巷衢ノ面目ヲ新ニセサルヘカラス惟フニ我忠
良ナル國民ハ養勇奉公朕ト共ニ其ノ慶ニ頼ラムコトヲ切望スヘ
シ之ヲ慮リテ朕ハ宰臣ニ命シ速ニ特殊ノ機關ヲ設定シテ帝
都復興ノ事ヲ審議調査セシメ其ノ成案ハ或ハ之ヲ至高顧問
ノ府ニ諮ヒ或ハ之ヲ立法ノ府ニ謀リ籌畫經營萬遺算ナキ
ヲ期セムトス
在朝有司能ク朕カ心ヲ心トシ迅ニ災民ノ救護ニ從事シ嚴ニ
流言ヲ禁遏シ民心ヲ安定シ一般國民亦能ク政府ノ施設ヲ
翼ケテ奉公ノ誠悃ヲ致シ以テ興國ノ基ヲ固ムヘシ朕前古無
比ノ天殃ニ際會シテ卹民ノ心愈ゝ切ニ寝食爲ニ安カラス爾臣
民其レ克ク朕カ意ヲ體セヨ
 御名御璽
  攝政名
 大正十二年九月十二日
   内閣總理大臣兼外務大臣伯爵山本權兵衛