天正18年(1590)7月13日、小田原の北条氏討伐の功労を理由に、徳川家康に関東の地が与えられました。江戸に入ったのは、8月1日のことです。
江戸城は、長禄元年(1457)に太田道灌の築いた城です。当時の江戸は、江戸城の西北の丘陵地帯を除けばその大半が低湿地で、海岸線もかなり入り組んでいたようでした。
家康は、まず江戸城周辺に水路を整備して、物資輸送の便をはかっています。低湿地であることを利用したのです。小名木川を開いて行徳の塩の輸送をはかったのもこの時でした。また、海岸を埋め立てて、新しい町の建設にも力を注いでいます。
小名木川は、慶長年間(1596-1614)に拡張されて、運河の役割をはたすようになりました。拡張工事にあたった小名木四郎兵衛の名をとって小名木川とよばれるようになりました。
慶長5年(1600)の関が原合戦以後は、江戸を起点とする主要街道の整備を進め、周辺の河川を利用した水上輸送網の整備にも着手しました。関東の河川交通の中心は、利根川・隅田川水系、渡良瀬川・太日川水系、鬼怒川・常陸川水系という3水系の本流・支流を利用するもので、複雑に入り組んだ流路の整備が当面の課題でした。