通運丸の時代

10 ~ 11 / 20ページ
 明治4年(1871)、深川の万年橋に利根川丸会社が設立され、新川、江戸川を経て関宿から利根川へ入り、栗橋へ達する川蒸気飛脚船「利根川丸」が就航しました。その後、明治10年(1877)5月1日に内国通運会社の「通運丸」が、両国から妻沼(埼玉県)まで就航し、旅客貨物を輸送しています。通運丸は、車輪状の推進器を船の両翼につけた外輪船という姿からか、たいへんな人気だったらしく、当時の錦絵にも描かれました。もっとも、これより早く就航した利根川丸も外輪蒸気船だったようですが、こちらはあまり振るわなかったようです。大組織を有する会社が最新鋭の蒸気船を投入したことにより、和船はしだいに姿を消していきました。
 明治13年(1880)に通運丸と同コースに永島丸が就航、14年に銚子汽船株式会社が設立され、翌年銚子丸の運航を開始しました。これらが通運丸とはげしく競合しましたが、やがて永島丸は内国通運に吸収され、利根川の輸送は銚子丸、江戸川は通運丸があたることになったといいます。
 しかし、明治28年(1895)には東京―銚子間に銚子丸が直行便を就航させ、以後は両社ともはげしい競争を繰り返しました。