通運丸の航路

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 通運丸の出発した原発場は、当初深川の扇橋にありましたが、交通不便であったためか、両国橋のたもと、当時の東京市日本橋区米沢町3丁目の隅田川西岸両国橋ぎわと日本橋区蠣殼町3丁目の隅田川西岸に移りました。両国橋原発場は主として上利根方面、蠣殼町原発場は主として銚子方面に向かう船が出発しています。このほか、深川高橋の小名木川岸にも原発場があり、行徳・浦安行きが一日に十数回出ていたといいます。これら原発場から終着地まで、沿岸各地に寄航場があり、航路に応じて旅客や貨物を中継しました。
 江戸川区付近では、新川沿岸に、船堀汽船寄航場(新川南岸)、栗渡汽船寄航場(新川南岸)、三角汽船寄航場(新川北岸)、桑川汽船寄航場(新川南岸)、新川口汽船寄航場(新川北岸)がありました。江戸川筋は一軒家汽船寄航場(江戸川河口)、浦安汽船寄航場(江戸川東岸)、堀江汽船寄航場(江戸川東岸)、槇屋汽船寄航場(江戸川西岸、瑞穂村)、湊汽船寄航場(江戸川束岸、南行徳村)、押切汽船寄航場(江戸川東岸、南行徳村)、行徳汽船寄航場(江戸川東岸)、市川汽船寄航場(江戸川東岸)、松戸汽船寄航場(江戸川東岸)、流山汽船寄航場(江戸川東岸)がありました。明治後半期の航路図が伝わっています。