明治20年(1887)5月、私設鉄道条例が公布され、本所から千葉・佐倉・成田を経て佐原にいたる総武鉄道と、本所から佐倉までは同経路で八街・八日市場経由で銚子にいたる総州鉄道が、競って出願されました。鉄道局が、いまだ水運の便があることを理由に双方とも却下したため、両者が合併して総武鉄道会社を設立し、さらに運動を続けました。本所を起点とし、千葉・佐倉を経て八街にいたる経路で、水運を利用できない地区を開発すると主張したのです。明治22年4月に仮免許がおりています。
明治27年7月20日、まず市川―佐倉間が開通し、12月9日に市川―本所(錦糸町)間が開通しました。開業当時の駅は、本所、亀戸、市川、船橋、幕張、千葉、四街道、佐倉の8駅でした。
その後、30年6月には成東・八日市場経由で銚子まで延長され、37年には本所―両国間が開通して、両国―銚子間が鉄道で結ばれました。