通運丸の終焉

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 鉄道輸送網の発達に対し、航路を縮少し、運賃を値下げして対抗しましたが、時代の波には勝てず、大正8年12月17日をもって、一切を東京通船株式会社に譲り、内国通運は利根川水系の水運から手を引きました。明治43年に荷客取扱人の連合会で『利根川汽船航路案内』というガイドブックを出して、観光客の誘致にも奔走しましたが、あまり成果はあがらなかったようでした。
 東京通船株式会社に移った通運丸は、その後も霞ヶ浦周辺、あるいは利根川、江戸川にその姿をとどめていたようですが、昭和2-6年ころ、ついにその姿を消していきました。