60日に1度めぐってくる庚申の日の夜に、近隣の人びとが集まって開く講を庚申講といいます。人間の体内にいる三尸という虫が、庚申の夜、眠った人から抜けだして天帝にその人の罪過を告げに行き、天帝はその罪過に応じてその人を早死させるという中国道教の教えに由来するといわれています。これに仏教の信仰なども加わって、室町時代ごろから各地でおこなわれるようになりました。そして、江戸時代に入って盛んになり、青面金剛や不動明王、地蔵菩薩などを刻んだ庚申塔もさかんにつくられています。
区内には約140基の庚申塔がありますが、寛文期(1661~1672)以前のものは全国的にも少ないといわれます。この地の庚申講が活発におこなわれていたことが窺えます。