昭和十二年に小学校へ入学した私たちのクラスで、先生に向かって「おめぇ」と呼んだ者が何人も居たそうである。
入学から卒業までの六年間、私たちのクラスを担当されたK先生から後年になって聞いた話である。
「おめぇ」は「お前」ということになるから、児童が先生に対して使う言葉ではない。上下関係の厳しかった時代だから、最初は先生も驚いたが、よくよく考え、この土地では「おめぇ」は目上の人に使う言葉なのだということで納得したというのである。
女性では他家の者には目下へも「おめぇ」を使っていたが、男では同等から下の相手には「てめぇ 一覧217」が普通で、それを誰もが当然と思っていた。
だから、小学校へ入ったばかりの児童が、先生に尊敬の念を込めて「おめぇ」と呼びかけるのに、いささかの不思議もなかったのだ。
自分のことは、男女の別なく「オレ」と言っていた。
国語の授業で「ボク」という言葉を習っていた上に、先生から「ボク」と言うように指導されていたのだが、ボクを使うのは綴り方(作文)の時と学芸会くらいなものだった。普段、おりこうさんが先生の教えを守って「ボク」なんて言おうものなら、「気取ってる」「生意気だ」ということで、その日のうちに学校中の評判になり、誰にも遊んでもらえなくなってしまう。
現に私の同級生で「ボクちゃん」という人が居る。人生の終点が近くなった今日でも、私たちの間では「ボクちゃん」で通用している。
私たちの町は東京の東南端に位置し、東京府東葛飾郡から東京市江戸川区と言われるようになったのは昭和七年のことで、昭和三十年代後半まで、東京とは名ばかりの寒村でしかなかった。葛西の名が知られていたとすれば、良質の海苔の生産地というくらいなもので、半農半漁で生計をたてている家庭が圧倒的であり、暮らし向きはあまり楽ではなかった。
情報過多な現在の社会と比べ、話題といえば町内のことに限定されがちで、悪く言えば「世間が狭かった」から、住民は日本中の何処でも生活水準は同じだと思っていたらしい。貧乏を苦にすることも少なかったようで、人々は明るく大きな声で喋り合っていた。
その言葉は乱暴で荒っぽさが特徴だが、私たちが〈葛西弁〉と呼ぶこの土地の方言は、海で働く漁師たちの会話から発しているように思える。
話の相手を「おめぇ」「てめぇ」と呼んだのも、自分を「オレ」と言ったのも、海の上で働きながら「あなた」「キミ」「ボク」では迫力が無いし、重労働している場面で丁寧な言葉を使っていては力が出ない。第一、広い海の上では上品な言葉も使っていられないし声も届かないという特殊な環境から生まれたというしかない。
小舟で海上の仕事をしていれば生命の危険に関係するから、自然現象、特に気象の変化には細心の注意を払う。
晴れた空に現れたり消えたりする小さな白い雲を〈チョウチョ雲 一覧207〉と呼んで、強い風が吹き始める兆候とした。
最初にこの雲を発見した者は、「ホウ、ホウ」と奇声をあげて近くで働いている者へ信号を送る。忽ちにしてその信号が伝わり、みんなが急いで仕事をきりあげると陸地に向かって逃げる。まもなく強い風が吹いてくることになる。
今まで晴れていたのに寒冷前線の通過で天候が急変するのをショウテ 一覧158と言って漁師たちの間で怖れられていたものの一つである。
海が荒れることを「時化(しけ)る」と言うのはどの地方も同じだが、葛西では海が荒れなくても仕事のお休みを〈シケ 一覧123-1〉と言った。その他に、雨が降ることにも〈シケる 一覧123-2〉の使い方をしていた。
風雨が強いことを〈フキブリ 一覧266〉と言うのは、吹く風と降る雨が強いというところを縮めて表現したのかもしれない。
風向きにも呼び方があって、東風を〈コチ 一覧104〉と言うのは天神様の歌でも有名だが、北西の風を〈ナレェ 一覧233〉、南東の風を〈エナサ 一覧024〉などと言った。西風を〈オシャレッ風 一覧034〉とか〈サニシ 一覧117〉と言ったが、〈オシャレッ風〉のいわれは、西風が吹くと富士山がよく見え雪を被った富士が白粉を塗ってお化粧したように見えるから「おしゃれ」と言ったものと思われる。
方角では、北を〈タカ 一覧188〉、南を〈オキ 一覧033〉と言う。東京湾北辺の町の漁師とすれば、南の方が沖になるから「オキ」と言うのだろうとは理解できるが、北を「タカ」と言うのはどこから出ているのだろうか。
この南北の方角については、海上だけでなく陸(おか)でも使われた。
「駅のそばから一丁ばけタカへ行ったとこで・・・」(駅から一丁ばかり北へ行ったところで・・・・)という具合である。
吹いていた風が治まった時には〈風んナゲた 一覧234-1〉と言う。 〈ナゲる 一覧234-2〉は「凪(なぎ)」から出た言葉に違いない。
「ぐずついて、はっきりしない天候」とは〈ハキツカねぇ天気 一覧251-1〉と言うが、優柔不断で態度のはっきりしない人に対しては〈ハキツカねぇ人 一覧251-2〉を使った。
引き潮を〈下げ潮〉、満ち潮を〈上げ潮〉、干潮を〈ソコリ 一覧183〉満潮を〈ズベ 一覧164〉と言ったが、満潮と不良少女の〈ズベ〉とは無関係のようだ。
潮が上げてくることを〈ニッてきた 一覧239〉と言うのは、「満ちてきた」の訛りと理解したい。
アサリ・ハマグリなど、食用にする貝を〈ケーソ 一覧091〉と言うが、〈ケーソ〉の味噌汁を〈フーカシ 一覧267〉と言う根拠は判からない。味噌汁だから「蒸(ふ)かす」のではないのだが・・・。
漁師たちは、冬ならば海に出て海苔採りで働き、夏なら海の中に入って〈コシマキ 一覧105-1(腰捲き)〉という方法で貝採りをするのだが、この漁師たちを〈ハマド 一覧252〉と呼んだ。「浜の人」というほどの意味だろうか。
私たちが小学生の頃、蟹を捕まえて、
「ガニ、ガニ、ハマドがケェッタからマンマ炊け、シロ炊け」
そんなことを口々に言ったものだ。
〈ガニ 一覧057〉は「蟹」、〈ケェッタ〉は「帰った」、〈マンマ 一覧289〉はご飯のことであり、〈シロ〉は「汁(しる)」が訛ったものと考えられる。
会話ふうに訳すと、「蟹さんよ、浜で仕事をした人が帰ってきたから、ご飯を炊き、お汁(つゆ)を作って夕飯の支度をしなさいよ」ということになる。
捕まえた蟹をバケツか桶に入れておくと腹の方からブクブクと泡(あぶく)を出すことが多い。それがご飯を炊く時に釜から吹き出る泡に似ているところから「泡を出せ」と言うかわりに「マンマ炊け」と言ったのだろう。
長閑(のどか)な中にも、浜で重労働している父兄を思う気持が表れているような気がする。