わが町葛西の方言 ニ

 私たちが小学生の頃、師範学校を出てすぐ赴任してきた女性教諭は受け持ちの児童の一人から「暇をもらいたい 一覧124」と申し出られたから吃驚(びっくり)してしまった。時代劇で商家の奉公人が「暇をとる」と言えば奉公をやめて実家へ帰ることだし、武士が「永の暇(いとま)」と言えば禄を離れて浪人することになる。
 いずれにしても「暇を・・・」と申し出た児童は、もう学校へ来なくなってしまうことだと思った先生は、容易ならぬことと判断した。
 「どうして?、どうしてなの?」と急き込んで訊いてみたが、学校へ来なくなるほどの理由ではない。ともかく、自分だけの判断では解決できないと思って先輩教諭に意見を求めたところ、若い女性教諭が心配したほどでもなく、「早退したい」という意味だと判かってホッとしたという話が残っている。
 近頃では考えられないことだが、戦前・戦中の小学生は、学校の先生が天皇陛下の次に偉い人だと思っていた。
 しかし、そんな時代でも先生を悩ませたり驚かしたりする悪ガキが居たことは否定できない。尤も、その頃のイジメや悪戯は如何にも小児らしいもので、当節のような頭脳的で陰湿な行為は無かったようである。
 〈シャッツラニキィ 一覧136-1〉(小面憎い)悪ガキや〈シャシャシい 一覧125〉(厚顔ましい)ガキは、時々、とんでもない悪戯をする。
 〈トップツもねぇ 一覧227〉(突拍子もない)悪戯は、若い女性教諭に向けられることが多かった。
 「先生、〈いいもんヤンよ〉(いい物あげるよ)」
 蓮の葉っぱを袋代わりにした中に何かを入れて、上を藁で結んだものを手渡す。
 「あら、有難う。何かしら・・・?」
 藁の紐を解いた途端、
 「キャーッ」
 〈ドッキョ抜いた 一覧228-1〉(腰を抜かすほど驚いた)先生は、「してやられた」と〈ジンダラ踏んで 一覧126〉(地団駄踏んで)口惜ししがる。
 蓮の葉っぱの中から出てきたのは〈ゲエロ 一覧093〉(蛙)だったり〈カガミッチョ 一覧056〉(とかげ)だったりするのだ。
 相手が若い女性教諭なら安全だが、ベテランで土地の事情やこどもたちのやりそうなことを知っている教諭になると、忽ち〈フンヅカマッて 一覧268〉(捕まって)〈ヘンネジられ 一覧280〉(抓ねられ)たり〈カックラされ 一覧058〉(ひっぱたかれ)たりする危険がある。
 或る時、こんなことを若い男性教諭にやってしまった〈オソッサモン 一覧032〉(オッチョコチョイな奴)が居た。
 二~三人のうち、主犯格の奴が〈センサキ 一覧179〉(一番先)にとっ捕まってしまった。いくら〈チョッケん早ぇ 一覧201〉(敏捷)とは言っても若い男の先生にはかなわない。〈ヨコズッポ 一覧306〉(横っ面)を〈ハリマゲられ 一覧253〉(ひっぱたかれ)て〈エンガミた 一覧025〉(ひどいめにあった)のは勿論である。他の奴は〈スットコナ 一覧163〉(一目散)に逃げてしまったが、その後、この二~三人は、その先生から〈メドにとられ 一覧297〉(目のかたきにされ)て、ことあるごとに叱られていた。叱られている時は〈ツノクチ 一覧209〉(口を尖らせ)して不満の様子を示していても、すぐに忘れてしまうのが常だった。
 〈ツッケェシゴト 一覧208〉(口返答)を言えば〈ギュウタンベ 一覧071〉(こてんこてん)にされる恐れがあったからかもしれない。
 学校から〈ケェんと 一覧094〉(帰ると)年齢に応じた〈テツデェ 一覧215〉(手伝い)の仕事が待っていて、否応なしにやらされる。それがどこの家でも〈アタリメェ 一覧012〉(当り前)だから〈シャンネェ 一覧127-1〉(仕方ない)。〈ジクタク 一覧128〉(不平)でも言おうものなら〈ナグタモン 一覧235〉(怠け者)と〈ウナリツケられ 一覧016-1〉(怒鳴りつけられ)た挙句に〈ブックジかれ 一覧271〉(ぶん殴られ)るのがおちだと判かっているから、黙って手伝う。
 「誰それの家へ行く約束があるから」と嘘を言って手伝いを逃れようとしても、親はそれが口実だと承知していて、
 「約束したからって〈行きシッキャねぇ 一覧129〉(行く必要はない)。
 〈オラんウチ〉(私の家)は、〈あそこのウチんミテェ 一覧293-1〉(あそこの家みたい)に〈デエジン 一覧216〉(財産家)じゃねえだから、
 〈テメ〉(お前)はウチのテツデェを〈センギリイッペ 一覧180〉(目いっぱい)やってから行け」ということになる。
 手伝い仕事もしないで本でも読んでいようものなら、〈フングネられて 一覧272-1〉(踏みつけ、やっつけられて)しまう。
 大人たちは「漁師や百姓に学問は要らない。〈ナマジッカ 一覧236〉(なまじ)教育を受けさせれば生意気になって困る。特に女の子は嫁の貰い手が無い。だから、一人前の仕事が出来るように仕込むことが〈デェジ 一覧218〉(大切)だ」と、無茶な考えが通用していた。
 どうしても本が読みたくて、言いつけられた仕事をサボり、夏なら家の〈ウシロバ 一覧017〉(裏手)か〈ウラトボ 一覧018〉(裏口)の日陰で、冬なら〈ボッチ 一覧284〉(藁を積んだもの)の〈メェ 一覧298-1〉(前)で〈アッタカバッコ 一覧001〉(日向ぼっこ)しながら読書に耽ったりする子も居た。
 ところが、「楽あれば苦あり」で、〈ヨメシ 一覧307〉(夕食)の時が〈オッカネぇ 一覧035-1〉(恐い)。
 「〈エッケぇ 一覧026-1ズテぇ 一覧165〉(大きな体)して〈アスんでバッケ〉(遊んでばかり)いやがん。〈オーマックレぇ 一覧036〉(大飯食らい)なくせに、どのくれぇ〈スッタマ 一覧166〉(悪賢い)か〈スは知れねぇ 一覧167〉(程度の上限がわからない)。〈コンダ 一覧106〉(今度)言うこと聞かねけら〈カンニンしねぇぞ 一覧059〉(許さないぞ)」と〈ケタグされ 一覧090〉(蹴倒され)そうになる。
 あまり評判の良くない家の子と遊んでいると、
 「〈アスコの 一覧002テーラ 一覧219-1〉(あの家の人たち)は〈スリガシッケぇマケ 一覧168〉(ずる賢い血統)だから、あんまり〈ココロヤスく 一覧107〉(仲良く)しねぇ方んいいぞ」と注意されたりする。
 教育に関心が薄く、仕事第一主義の家が多かったから、家の仕事に〈ツッカぁ 一覧210〉(役に立つ)ことが〈オオサギやられ 一覧037〉(歓迎され)た。
 大人たちは、そのように一生懸命に仕事をしていても〈クラシ 一覧082〉(生計)は楽でなかった。借金もせずに〈エッペッコ 一覧027〉(いっぱいいっぱい)なら良い方だったようだ。
 海苔の生産などは、あまり割に合わなかったかもしれない。冬の収穫期には〈コンモレェ 一覧103〉(見事だと羨まれるような)ほど銭が入るように思えても、収穫するまでの設備投資と厳しい労働の実態を考えれば、決してトクな仕事ではなかったろう。それも〈アタれば 一覧003〉(豊作なら)のことで。〈ハズれれば 一覧254〉(不作だったら)、それこそ家計は〈イチノサケェ 一覧013〉(大ピンチ)になる。なにしろ、借金までして、しかも家族全部の手間をかけてやったのに〈スイコ 一覧177〉(収穫無し)では、泣くにも泣けない。