第3弾 篠田堀コース

今回は区内の内河川、公共溝渠、東のはずれの「篠田堀」を歩きます。
「篠田堀」は江戸川区の東部を南北に流れる用水路で、その北端や流末地点を今も確認できます。
現在では篠田堀親水緑道、東井堀親水緑道として、区民の散策コースになっています。
 
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1篠崎駅集合

1.篠崎駅南口

昭和45年 (1970) 年都営地下鉄10号線(都営新宿線)の東大島から本八幡駅までの延長路線が発表され、昭和58年 (1983) 年12月に船堀駅まで開通、昭和61年 (1986) 9月に一之江・瑞江・篠崎駅が開通しました。

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2京葉道路

2.京葉道路

区内初の有料道路として昭和35年 (1960) 4月に開通。名前どおり東京と千葉を結ぶ新しい交通動脈となりました。

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3篠崎土地改良地区

3.篠崎土地改良地区お知らせ

東京都市計画道路第288号線は昭和41年 (1966) 7月に告示された江戸川区中央3 - 20を起点に篠崎を経由し松江3 - 1を終点とする計画道路です。

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4竹と親しむ広場

4.竹と親しむ広場

竹と親しむ広場では竹の育成や竹垣の管理が行われています。竹細工、竹炭作りなど竹の活用を学ぶ場です。

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5篠田掘入口

5.篠田堀入口

篠田堀は昭和35年 (1960) 頃までは農業用水、肥船の水路などとして利用されてきましたが、その後雑排水の排水路となっていました。平成6年 (1994) より親水緑道として生まれ変わりました。平成7年 (1995) には「篠田堀親水緑道」は建設省の「手づくり郷土賞」を受賞しています。

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6無量寺

6.無量寺

真言宗豊山派で金滝山真徳院と号し、もとは葛飾の正福寺末でした。国府台合戦の際敗れた里見氏の残兵が拠ったため兵火にあい炎上したと伝えられています。

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7篠田掘現存北端

7.篠田堀の現存北端

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8旧住居表示

8.旧住居表示(下篠崎)

下篠崎町は昭和62年 (1987) 11月に現在の番地に変更になりました。

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9金海稲荷神社

9.金海稲荷神社

上篠崎にあるのぼり祭りで有名な浅間神社の境外末社で金海稲荷大神を本尊としています。

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10旧本州製紙

10.旧本州製紙

現王子製紙の江戸川工場は大正11年 (1922) 富士製紙江戸川工場として操業を開始。上・中級紙や包装紙の印刷を主要製品としていました。昭和8年 (1933) に王子製紙と合併しましたが、昭和24年 (1949) に3社に分割され本州製紙となり、さらに平成8年 (1996) 王子製紙と合併し現在に至っています。現在の江戸川工場は古紙を高度利用するモデル工場として稼働しています。

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11篠田掘流末地点?

11.篠田堀流末地点

このあたりが篠田堀の流末地点で東井堀と合流しています。

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12前川神社

12.前川神社

旧前野村の鎮守で素盞雄命、両足神、倉稲魂神をまつっています。もとは第六天社といったが明治9年 (1876) に前川神社と改称しました。

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13船溜り

13.船溜り

東井堀の船溜まりがあった場所です。

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14東井堀

14.東井堀 (1)

東井堀は曲金村(現葛飾区高砂7丁目付近)で小合溜井を水源とする上下之割用水から分かれた用水路で、写真は水路として現在も残っている部分になります。

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15南篠崎天祖神社

15.南篠崎天祖神社

旧村社で西光寺が別当でした。創建年月は不詳。天照大神をまつり神明社といわれました。

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16上鎌田の富士塚

16.上鎌田の富士塚

明治19年 (1886) に、旧上鎌田村の丸星講(富士信仰の団体である冨士講)の人々が築造しました。

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17東井堀

17.東井堀 (2)

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18東井堀北端(新水化した北端)

18.東井堀親水緑道始点

葛飾区からはじまる東井堀ですが、西小岩3丁目から二枚橋を経て谷河内付近までは暗渠となっていて、この写真にある京葉道路より南で東井堀親水緑道となっています。

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【 江戸川区立図書館/デジタルアーカイブで見る 】
 ・「東井堀跡」について → 『江戸川区の文化財 4』
 ・「河川と治水 上下之割用水」について → 『江戸川区史 行政編(第2巻)』