〓女能妙音講縁起之事
謹て以見るに、人王五拾弐代嵯峨天皇
第四の宮女にて相模の姫君〓女
一派の元祖とならせ給ふ事、
忝も下賀茂明神、末世の盲人を
不便に思召あって帝の御腹に
宿らせ給ひ、仮りに胎内より
御目盲て御誕生在て、父帝
王・母居、神社・仏閣に御祈誓
是ありといへとも、元来大願
成就の種なれは、夫ともかい
あらす、相模の姫君七歳の御時、
夢中ニ紀伊国那智山如意輪
観世音菩薩、御枕に立せ給ふ、
君は末世の女人盲人の師と
成らせ給ふへし、下賀茂王
家にて渡らせ給ふ諸芸を
元として世渡りを民間に
下り営み給ふへしと、夢想を
授んとの徳により則
五統と定メ、妙観派、柏派、播磨派、
弟子五人是より則友として
諸芸を励むへしと、既に
御夢覚させ、父母え御物語リ、
父帝は母御事祟の有難き
徳あるとて則摂家の内、
妙観派・柏派弐人の御弟子一條の
姫君、播磨の国府より国司の
御子、下野の城主御前派と
定める事也、近江の国の城主の
姫君なことの派と申なり、
右五人の御弟子渇仰の友と
して琴をかなて歌芸ひ、
其徳により拾五歳を経て
中﨟と号ス官録是あり、尤
初心にて弟子取事内にして
修行に出ぬ前なれば苦し
からす、但し中﨟より弟子
諸ともに修行に出る事
嵯峨天皇の御定め、院宣の徳也、
其徳により弐拾七歳を経て
一﨟官と号ス也、但し〓女官ニ
入れは賤しき家にゆかす、
武士百姓町人は売々による
へき也、寺修験門徒も神
主等へは出入るへき也、若作法を
背くもの是有候ハゝ、髪を切、
竹杖をあたへ、其咎の品により
所を追拂ふべし、或は拾里
弐拾里外へ追払ふべきなり、
但し理立たすんば頭ら頭らの
捌を得て納むへしと云々、
一、信心の本尊は如意輪観世音は
妙音菩薩にて渡らせ給ふ也、
位々の徳妙音菩薩、弁才天、
下賀茂明神常に祈るへき也、
世渡リの守護神にて渡らせ
給ふ、愚に心得なは立所に
御罰を蒙るへき也、
一、世渡リ武士所の庄屋在家ニ
至る事嵯峨天皇御勅定にて
日本修行御恩徳也、全く
旦家の恩にあらす、故ニ謹む
べし祟むべき也、有難き
御恩徳と伝心すべき事也と
云々、依て院宣の巻物如件、
式目之事
一、仲間惣頭一﨟官四拾年にして
頭とすべし、尤一派之内年
高のもの無之候ハゝ、四拾年にて
不足とも是を相立べし、
但し為頭身て一派の願を以て
吟味有之時は一流の一﨟を
集メ捌き致すべき也、誤て
壱人にて捌かば下も危き事、
慈悲之道不審成る時は、大祖の
諸願成就ならすと心得
べき事也、
一、一﨟より中﨟え本文字にて
呼ふべき事、尤初心えは片
名にて呼ふべき也、
一、仲間にて不行跡有之候て
年落の科有之候ハゝ、五年
七年拾年、其科の品を捌キ、
右之事ニ可取立て候事、
一、一派を背き他派え師を取候ハゝ、
右之元師匠え帰り候とも、
年数を削り帰る年より年
数とすべき事也、
一、弟子を取後日に定まらす
して師を極め候ものゝ事、先
約束え相返し、頼をもって
時宜に随ひ貰請べき事、
争ひをもって其壱人を捨
置候ハゝ下賀茂明神の罰
有之事、
一、約束の弟子をつれ、三年以上
世渡リ仕候ものゝ事、先約束へ
壱ヶ年んい金壱分宛差出し
可貰請事、
一、嵯峨天皇〓女能の三字を改メ、
〓女の稼を御定め被置候事、
一、妙音講会合之節、病気の
外は堅く壱人も不参成り不申候事、
一、其頭より廻状出し候ハゝ、名前
次第無滞先村へ可致順達
候事、
一、□を取年貢月数を以鐚壱貫
弐百文五派の年貢、
嵯峨天皇の勅定をもって御
定メ被置候事、
一、師匠終り年軽キ者共は其
組にて拾年同宿を極め、年
数積り候ハゝ、右之師匠の跡を
継くべし、他流の弟子た
り共、其組遠国成時は慈悲を
以て取立可申事、
一、在々庄屋に一宿并に入院
祝儀稼の事、国□り利分の
余りをもつて可請之事、
私の事にあらす忝も
嵯峨天皇の勅定にて極之
訖んぬ、
右表て書之通、諸法度
堅相背間敷事、尤脇に
て年を越し家に不帰
候ハゝ、半年の稼を留置べ
く候事、相模の姫君五派の
弟子に是を被伝置候也、
此旨背く間敷候、以上、
縁起式目 終
妙音菩薩弁財天賀茂明神
現当二世を救ひ給ひ、随分々
信心して、平生身持大切に
相守り、芸能せい出し、
仲間したしき附合を相
勤メ、必疑ひの心を起さす、
只一筋ニ万端ありかた
しと計りおもゐて
世渡りすへしと云々、
弘化五申年二月日
写之
須原姓
(花押)
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