元にした資料

史跡カリンバ遺跡重要文化財写真集

目録
[序文]

  1. この写真集は、カリンバ遺跡出土遺物のうち、国の重要文化財に指定された漆製品・玉製品・サメ歯・土器の写真集である。指定物件、点数は、第118号・119号・123号土坑墓の合葬墓3基から出土した計397点で、平成18年6月9日官報告示。
  2. 各写真のナンバーは、一覧表の最初の列に表示した通し番号と一致する。
  3. 本書の編集、および写真撮影は恵庭市教育委員会が行った。



国指定史跡カリンバ遺跡 図録

目録
ごあいさつ
おわりに
参考文献

 平成11年(1999年)の、恵庭市黄金地区土地区画整理事業に伴うカリンバ遺跡発掘調査で、縄文時代後期末(今から3,000年ほど前)の副葬品を含むお墓がたくさん発見され、日本中から大変な注目を集めました。中でも、複数の人を同時に埋葬したお墓(合葬墓)からは、色鮮やかなウルシが塗られた櫛や腕輪をはじめ、琥珀や滑石で作られた玉や勾玉が大量に発見され、その精巧さや色合いのすばらしさが、縄文人の美に対する意識の高さをうかがわせています。
 最近、縄文のウルシに対する関心が高まっています。それは、カリンバ遺跡で大量のウルシ製品が発見されたこと、道南の南茅部町で約9,000年前のウルシ製品が発見されたこと、青森県八戸市で樹皮に塗られたウルシ製品が発見されたことなどから、縄文人の高度なウルシ技術や技法、あるいは美に対する意識の高さが、理解されはじめたからだと考えられます。
 ウルシ製品の櫛・腕輪・額飾り・髪飾り・耳飾り・腰帯などは、朱を中心に真紅やオレンジ、ピンクと、目を見張るような色合いに驚かされます。また、滑石や琥珀を磨き上げた玉や勾玉をつなぎ合わせた、首輪(ネックレス)や腕輪(ブレスレット)の輝きは太古のロマンを十分に堪能することができます。
 これらの出土品や遺構等が遺跡の重要性を訴えることとなり、縄文時代の貴重な遺跡として平成17年3月2日国の史跡カリンバ遺跡として指定されました。最後に、これまでの間、ご指導、ご協力いただきました多くの皆様に衷心から感謝申し上げます。
 この図録により、カリンバ遺跡の魅力を感じ取っていただければ幸いです。
恵庭市教育委員会

 平成11年の調査終盤に見つかった3基の合葬墓は、その年の11月下旬に遺跡から切り離して本州へ運びました。副葬されていた大量の漆塗りの装身具や玉を期間内に調査することの困難さと、冬の凍結から漆製品を保護することが目的でしたが、平成12・13年に、埼玉県川口市にある保存研究所の室内で漆製品の保存処理を兼ねて発掘調査を行いました。
 切り取った合葬墓は、「縄文時代で最も豪華な墓」と呼ばれるように、赤やオレンジ、朱色などに塗られた様々な種類と多数の漆塗り装身具が副葬されていました。当時の人々は何故亡くなった複数の人を一つの墓に埋葬したのか、また、合葬墓の被葬者は他の墓より多くの装身具を身にまとって葬られた理由は何だったのか、など多くの疑問が浮かび上がりました。階層社会がすでに存在していたのではないかと考える研究者もいます。いずれにしても、カリンバ遺跡は当時の人々の葬送儀礼、装身文化や漆文化といった縄文時代の優れた文化を残した遺跡といえるでしょう。
 この貴重な遺跡を開発から保護し後世に残していくことを目的として、周辺区域で調査を行いました。調査の結果、段丘面の縄文時代後期から晩期にかけて土坑墓群の集中する区域を中心とし、さらに低地面の生活・作業空間を合わせ、約4万2千平方メートルが平成17年3月に国指定史跡になりました。また、平成18年には、合葬墓3基(118・119・123号)の副葬品397点が国の重要文化財に指定されました。

恵庭市教育委員会(2003)「カリンバ3遺跡(1)」
恵庭市教育委員会(2003)「カリンバ3遺跡(2)」
恵庭市教育委員会(2004)「カリンバ3遺跡(3)」
木村英明(1981)「柏木B遺跡」恵庭市教育委員会
苫小牧市教育委員会(1996)「柏原5遺跡」
土肥 孝(1997)「日本の美術第369号 縄文時代の装身具」至文堂
春成秀爾(1997)「歴史発掘④古代の装い」講談社
藤本英夫(1961)「御殿山ケールン群墳墓遺跡について」
『民族学研究』第26巻第1号

国指定史跡カリンバ遺跡

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