上下屏風洞洞窟遺跡(じょうげびょうぶどうどうくついせき) -縄文時代の洞窟遺跡-

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 広島県北東部の石灰岩(せっかいがん)帯には、帝釈川(たいしゃくがわ)の渓谷(けいこく)を中心とした約20㎞四方の範囲に、50か所以上の岩陰・洞窟遺跡が存在し、帝釈峡遺跡群(たいしゃくきょういせきぐん)として全国的に知られています。
 上下屏風洞洞窟遺跡(上下町小堀)もその一つです。この洞窟は、上下川との標高差20~30mの位置にあり、公園の整備工事に伴って人骨が出土したことから、入口付近で試掘調査が行われました。その結果、縄文時代前期(約7000~5000年前頃)と後期(約4000~3000年前頃)の土器が出土し、当時の人々が自然にある洞窟を住まいとして生活していたことがわかりました。
 また、この遺跡から東南約1.5㎞にある行年遺跡(ゆきとしいせき)(上下町階見)からは、押型文(おしがたもん)という文様のついた土器が出土しています。縄文時代早期(約9000~7000年前頃)のもので、現在のところ市内で最古の「人の営(いとな)み」の痕跡といえます。

上下屏風洞洞窟遺跡 〔洞窟入口は幅1.6m、高さ1.1m〕