古墳(こふん)の出現

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 弥生時代の終わり頃から、各地では大きな土盛り(墳丘(ふんきゅう))墓(ぼ)がつくられるようになり、その地方の王の墓と考えられています。墓はその後巨大化し、「竪穴式石室(たてあなしきせきしつ)」に遺体を葬るとともに多量の銅鏡(どうきょう)、鉄製の武器や農工具などが副葬(ふくそう)されています。この墓を「古墳(こふん)」といい、つくられた時代を「古墳時代(こふんじだい)」と呼んでいます。古墳は、方形と円形を組み合わせたかたちから「前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)」と呼ばれ、ヤマト(現在の奈良盆地周辺)の王が中心となって、日本各地の有力なクニが政治的に結びついて出現したものと考えられています。この連合を「ヤマト政権」といい、ヤマトの王は「大王(おおきみ)」と呼ばれ、その力は東北から南九州まで及びました。大王のなかには、中国に使いを送り「将軍(しょうぐん)」の称号をうけるものもいました。古墳時代後期(約1500年前頃)になると、日本各地で小さな古墳の密集した「群集墳(ぐんしゅうふん)」が出現します。これらの古墳では、「横穴式石室(よこあなしきせきしつ)」に追葬(ついそう)が行われており、家族を同じ墓に続けて埋葬していると考えられています。