市街地に広がる遺跡

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 昭和63年(1988)、元町地区の砂川(音無川)の西側で、都市計画街路の整備に伴い発掘調査が行われ、倉庫と考えられる平安時代の掘立柱建物跡や井戸跡などが見つかりました。柱の根元部分や井戸枠などの木材が、腐らずに当時の状態を保ったままで出土しました。また、井戸は使用を中止して埋め立てられたようですが、その土の中に完全な形の土器が多く納められていました。これは、井戸を廃棄する際に行われた儀式に関わるものと考えられます。

国府時代の土器〔土師器と須恵器〕


砂山遺跡の井戸

 この他にも、市街地には国府の時代の遺跡が数多く存在しています。府川町の文化センターの建設工事に伴って、鳥居(とりい)遺跡から木製の人形(ひとがた)が出土しています。これには人の顔が描かれており、病気など身体の災いをお祓いする儀式に「呪(まじな)い札」として使われたものと考えられます。

鳥居遺跡出土人形〔顔が描かれている〕

 備後国府跡の発掘調査では、国府附属工房の系譜を受け継いだ鋳物に関係した遺構・遺物が多く確認されます。また、中世には府中に「国分寺助国」という刀鍛治の一党がいたと伝わっており、近代金属工業の素地になった可能性があります。
 以上のような調査成果は、国府に関係する施設が元町周辺に存在していたという状況証拠であり、これから発掘調査が進んで行くなかで次々と付け加えられていきます。そのうち、政庁などの国府の中心施設が明らかになって行くでしょう。備後国府は、府中の原点ともいうべき遺跡で、解明が待たれています。