前原遺跡は、昭和10年(1935)の福塩線建設に伴う工事で、奈良時代の瓦が大量に出土したことにより発見されました。当初は寺院跡と考えられ、「父石廃寺」や「前原廃寺」などと呼ばれていましたが、現在では「葦田駅(あしだのうまや)」と考える説が有力になっています。駅家(うまや)説は、「マエハラ」という地名が「ウマヤ」→「マヤ」→「マエ」とつながることや、大量に出土している瓦を他地域の瓦文様と比較研究した結果から推定されているものです。
駅家とは、古代の官道(かんどう)に沿って一定の距離ごとに置かれていた施設で、乗継ぎ用の馬が常置されており、現在の高速道路のサービスエリアにあたります。都と大宰府を結ぶ古代山陽道は最も重要な路線とされ、外国からの使節が通ることもありました。山陽道では、外国使節の宿泊所も兼ねていて迎賓館(げいひんかん)的な性格もあったため、瓦葺き・白壁・赤塗りの建物であったと伝えられています。布勢駅(ふせのうまや)に比定されている兵庫県龍野(たつの)市の小犬丸(こいぬまる)遺跡では、大量の瓦のほかに、表面に白い土が付着した壁土や赤色顔料の付着した瓦が出土しています。