備後国府と前原遺跡

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 古代山陽道は、当時の国の中心である国府に近接した地域を通っていたと考えられますが、正確な位置はわかっていません。前原遺跡を駅家と考えた場合、遺跡の西側に山陽道が通っていたと推定されますが、平野部が狭い現地形から考えると、駅家・山陽道とも立地条件が厳しいところに設置されていたことになります。国府にとって、西の入口にあたる芦田駅は特に重要な地点であり、駅家や山陽道の設置にあたっては、駅間距離や通行の便だけでなく、国府の存在も背景として大きく影響していたと想定されます。