広島県内では、現在まで30例余りの火葬墓が確認されていますが、府中市は特に多く見られます。伊勢地岡(いせぢおか)遺跡(本山町・府中町)、亀ヶ岳(かめがだけ)遺跡(本山町)、坊迫(ぼうさこ)C遺跡(元町)、角尾山(かくおやま)遺跡(広谷町)、ウロウギ遺跡・亀寿山(かめじゅやま)遺跡(中須町)です。火葬墓の発見場所は、ほとんどが丘陵の先端部分で、府中市街地を臨める好立地と云えます。しかし、いずれの事例も骨蔵器の壺が偶然に発見されているだけで、蓋に使われた土器や埋められていた素掘りの墓壙(ぼこう)(墓穴)や石囲いなどの遺構は確認されていません。
火葬墓が府中市内に多いことについては、「備後国府」の存在を無視できません。国府では、国司だけでなく周辺の人々も仏教を信仰していたと思われ、その影響で多くの官人が火葬されていたことを想像するに難くありません。県内の火葬墓を見ても、役所跡や駅家跡・寺院跡などの近辺で確認されることが多く、律令国家や仏教との密接な関連をうかがわせています。
亀寿山遺跡の骨蔵器〔火葬人骨を収めていた〕