上下代官所跡の発掘調査

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 明治時代になって上下陣屋は廃止され、跡地には明治6年(1873)に学校(考按舎(こうあんしゃ))が建てられ、その後も保育所や役場として利用されてきました。この間、昭和16年(1941)には「天領(てんりょう)上下代官所跡」として、広島県史跡に指定されています。平成16年(2004)には府中市と合併し、上下支所として利用されていましたが、平成19年(2007)に支所が別の場所に移転し、解体工事されることに先立って、遺構の残存状況を確認するために発掘調査を行いました。
 明治2年(1869)の絵図などの検討から、敷地の北側では、現在の石垣の内側に代官所の時期の石垣と石段が存在していると想定していました。調査の結果、江戸時代の代官所の石垣と石段と明治時代の学校の石段と思われる痕跡を確認しました。石の積み方から見て、検出された石垣は幕末頃に築かれ、その後石段が築かれていると考えられます。さらに、学校として利用されている頃に、古い石垣の石を再利用しながら、石段の下端の位置に合わせて新しい石垣を築くと同時に敷地を拡張しています。この工事は、明治21年(1888)に寄付金800円をかけて大改築したものの可能性があります。また、現在の石垣は、昭和の初め頃築造されたものと思われます。

上下代官所跡の石垣