上下宿・上下銀とまちなみ

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 江戸時代に商品経済が発達するなかで、府中周辺の特産品である木綿、藍、煙草などや山陰・中国山地の産物が、石州街道を通って全国に運ばれていき、宿駅のあった府中市や上下は集散地として賑わいました。また、上下の有力商人は、代官所から委託された銀を元手として金融貸付業を営んでおり、その利潤によって減少した国内の銀産出量を補う貸付融通の制度は「上下銀」と呼ばれていました。その貸付は幕府領内にとどまらず、広島藩領・福山藩領など周辺地域にも及び、明治時代以降も上下では金融業が活発に営まれていました。
 このように、上下は交通や金融を中心とした商業の町として発展して、今ある町並みの原型を形づくっていきました。現存する明治時代の建物としては、上下キリスト教会や旧警察署があります。前者は、元々は商家の倉庫でしたが、戦後にキリスト教会として利用されています。後者は、後年に改築されていますが、見張り櫓は往時の姿を示しています。また、上下歴史文化資料館は、文学者岡田美知代(おかだみちよ)の生家を改築したものです。大正時代の建物としては、翁座(おきなざ)があります。歌舞伎の上演が可能な劇場として設計され、芝居・映画の上演などで賑わいました。

上下の町並み〔中央が上下キリスト教会〕