奈良時代頃、都と地方を結ぶ官道(かんどう)(今でいう国道や高速道路)が計画的に整備されました。駅家(うまや)は、その官道(かんどう)に沿って一定の距離ごとに置かれていた施設で、乗り継ぎ用の馬が備えられました。
当時、都と九州の大宰府(だざいふ)を結ぶ古代山陽道は最も重要な路線(官道)とされ、外国使節の宿泊所も兼ねていて迎賓館(げいひんかん)的な性格もあったため、朱塗(しゅぬ)りの柱、漆喰(しっくい)の白壁(しらかべ)に、瓦(かわら)が葺(ふ)かれた豪華(ごうか)な建物であったと伝えられています。