1万数千年前頃には、気候が温暖となり、海水面が上昇して日本列島は大陸から切り離され、シカやウサギなど中・小型の動物が増加し、魚介類・木の実などが豊富となったことで、一か所にとどまって「定住(ていじゅう)」生活ができるようになりました。その様子は、当時のゴミ捨て場である「貝塚(かいづか)」からうかがうことができます。また、土をこねて焼いた器(うつわ)(「土器」)が発明され、煮炊きや貯蔵に用いるようになりました。この時代の土器(どき)は、表面に縄を用いた文様がつけられたことから「縄文土器(じょうもんどき)」といい、この時代を「縄文時代(じょうもんじだい)」と呼んでいます。人々は、地面に穴を掘り、柱を立てて、草や土で屋根を葺(ふ)いた「竪穴住居(たてあなじゅうきょ)」に住み、住居の中央にある炉(ろ)で、火を焚(た)いて暖をとり、調理もしていました。また、弓矢につかう石の矢尻(やじり)など狩りの道具をつくったり、植物の繊維で編み物を編んだりしていました。
石材の材料(サヌカイト)と石器(石匙・スクレイパー)
ホリノ河内遺跡(元町)・七つ池(本山)
-府中市で確認されている最も古い「人の営み」の痕跡は、行年(ゆきとし)遺跡(上下町階見)で見つかっています。縄文ではなく押型文(おしがたもん)という文様のついた土器です。縄文時代早期(約9000~7000年前頃)に作られたと考えられています。