伊豆迫山遺跡(いずさこやまいせき) -弥生から古墳の住居と墓-

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 伊豆迫山遺跡(広谷町)は、市街地の東側丘陵に立地する遺跡です。平成8年(1996)と平成12年(2000)の発掘調査で、弥生時代中・後期と古墳時代(こふんじだい)中期の集落、弥生時代後期から古墳時代の初め頃までの集団墓(しゅうだんぼ)などが見つかっています。

伊豆迫山遺跡(広谷町)遠景

 弥生時代の集落は、南向きの斜面に営まれ、竪穴住居跡が数棟見つかっています。今から約1900年前頃のもので、住居の周辺からは、当時使用していた土器のほか、「分銅形土製品(ぶんどうがたどせいひん)」が多数出土しました。分銅形土製品は、瀬戸内海地域を中心に見られるもので、ムラのまつりの時の道具やお守りとして使用されていたと考えられています。

伊豆迫山遺跡(広谷町)の竪穴住居跡


墓穴跡


分銅形土製品

 集団墓は集落よりさらに上部の尾根上に造られていました。墓の数は約100基で、今から約1800~1700年前頃と考えられます。それらのなかには、ガラス玉や勾玉(まがたま)・管玉(くだたま)が副葬(ふくそう)されたものや、人骨の一部が残るお墓もありました。  
 市街地周辺では、他にも、門田(かどた)A遺跡・山(やま)の神(かみ)遺跡(桜ケ丘)など、市街地を望む丘陵一帯でこのような墓地が見つかっています。展望のよい場所に墓地がつくられていたようです。