その後、国衙領(こくがりょう)(荘園以外の土地)からの税などを特定の寺社や個人(後に世襲化)に与える「知行国(ちぎょうこく)」の制度もおこり、土地の私有化が進みました。各地の国府調査例から、この頃の政庁は施設が簡略化していったことがわかります。政庁に代わって、国司や目代の居館が政治の中心になったためと思われます。鎌倉時代になっても朝廷は国司を任命しましたが、武家政権(幕府)の影響力が大きくなるにつれて、次第に名ばかりのものになっていきました。
-府中市では、伊豆迫山遺跡(広谷町)でこの時代の土壙墓(どこうぼ)・木棺墓(もっかんぼ)が見つかり、副葬品として、土師器や刀の他、「湖州鏡(こしゅうきょう)」(中国の湖州地方で製作された鏡)が出土しています。湖州鏡(こしゅうきょう)には、中国からの輸入品のほかに日本や朝鮮で複製したものも含まれ、伊豆迫山遺跡出土の鏡は日本製と考えられます。
伊豆迫山遺跡木棺墓(SK26)
湖州鏡[径約13.5cm・日本製]
副葬された土器(土師器皿・小皿)