[5近代のあゆみ]

22 ~ 22 / 46ページ
 慶応(けいおう)3年(1867)の大政奉還(たいせいほうかん)の後、日本は明治天皇(めいじてんのう)を中心とし、近代国家として歩むことになり、社会の仕組みが大きく変わりました。政府は富国強兵(ふこくきょうへい)と殖産興業(しょくさんこうぎょう)の政策をとり、欧米からの新しい文化や技術を取り入れました。近代的な工場の設置、鉄道の開通、蒸気船の運航、郵便の開始、洋服・洋食・散髪などの新しい現象が見られ、文明開化(ぶんめいかいか)と呼ばれています。やがて、憲法が制定され、国会も開かれました。
 国力が強化される中で、朝鮮の支配を巡って、清(しん)国やその後にロシアとの対立が生じ、日清(にっしん)戦争(明治27~28年・1894~95)・日露(にちろ)戦争(明治37~38年・1904~05)を戦うこととなり、その結果、台湾や朝鮮を植民地(しょくみんち)としました。当時、世界では、ヨーロッパの一部の国を中心に、各地を植民地化していました。この国々の対立から起こったのが第一次世界大戦(大正3~8年・1914~18)です。
 大正時代(たいしょうじだい)(1912~1926)を中心に、人々の間に、民主主義的な政治への要求が高まり、労働者や農民の組合が結成され、部落開放運動、女性解放運動がおこりました。こうした政治・社会・文化面での運動や潮流を大正デモクラシーと言います。この時代には、ラジオ放送が始まり、大衆雑誌が発行されました。こうした政治や文化の大衆化とともに、生活の洋風化が徐々に広まっていきました。
 昭和(しょうわ)4年(1929)に始まった世界的な経済不況の中で、日本は中国大陸へ進出することで不況から脱出しようとしました。経済不況は、イタリア・ドイツ・日本などで、個人よりも国家・民族を優先させる体制を生み出し、やがて第二次世界大戦(昭和14~20年・1939~45)が引き起こされることになります。日本は昭和6年(1931)に満州事変(まんしゅうじへん)を起こし、以降15年にわたって中国と戦争することになります。さらにアジア南部へ戦線を広げ、アメリカ・イギリスなど連合国との戦争に突入します。当初は勝利しましたが、戦場の拡大とともに各地で敗退し、日本本土への空襲も激しくなりました。そして、昭和20年(1945)8月、広島と長崎に原子爆弾を投下され、日本は無条件降伏をしました。
 敗戦後、政治・経済・文化・教育など、広く改革が実施されました。そして、民主化の中心となったのが、国の根本的な法である日本国憲法で、昭和22年(1947)に施行されました。戦時中より、生活物資の不足などで、国民生活は苦しい状態に置かれました。しかし、国民の努力により、経済は徐々に回復しました。
 1960年代に入ると、政府による経済成長優先の政治で高度経済成長の時代に入りました。国民の生活は物質的に豊かになり、技術革新もどんどん進みました。しかし、経済の発展の中で、大気汚染や公害、自然環境の破壊など、多くの問題も生じました。
 1990年代にはバブル経済といわれた好景気が終わり、経済的な苦境のなかで21世紀を迎えました。少子高齢化や地域間格差など多くの問題をかかえ、将来への不安が大きくなっています。
 
 わたしたちの暮らしぶりも、10~20年前とは随分と様子が変わりました。
 今日のわたしたちの暮らしを見つめると、世界各地の動きと密接につながっていることに気づきます。こうした現代社会にあって、歴史を学びながら、一人ひとりが歴史を作る主人公であることを自覚し、世界の人々と協力して、地球の環境を守り、人々が貧困から脱して平和に暮らせるようにすることが、大きな課題となっています。

[近代のあゆみ]