こぼれ話  田山花袋が書いた明治40年頃の府中市 ~紀行文『日本一周』(中編大正4年(1915)刊行)「備後の山中を経て三次へ」より抜粋~

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福山から府中
 「川がある。町がある。織物などの出来る町である。牛の仔が何疋となく野に遊んでいる。私の志す方に山が重なりあって、(中略)やがて私の車は、通りの細い田舎町へと入っていった。
それが府中であった。煙草が出来たり、指物師(さしものし)の多かったりする府中の町だ。そこで私は一番大きな旅籠屋(はたごや)を選んで泊まった。」

大正時代の府中市街地
〔右上辺、専売局府中煙草製造所がみえます〕


昭和初期頃本通り
〔平地呉服店・備後銀行がみえます〕


現在の恋しき
〔田山花袋が宿泊した旅籠屋〕

 
府中から上下
 「路は葦田川の谷に沿って、くるくる廻って上っていった。(中略)信濃や飛騨のように深い山という感じは起こらないが、兎に角四面悉く山であった。こけら葺きの猟師の家などがぽつねんと一軒立っているようなところもあった。木野山に入ろうとする処に、橋があって、そこに一軒休み茶屋があった。(中略)いつの間にか峠をも越えた。そこからは下り坂になる。細い谷川が一歩ごとに段々開けてそして大きくなっていく。」
 
上下
 「いかにも海岸からはるばる山の中に入って来たという感じのする町であった。(中略)小学校があったりした。警察署が町の曲り角のようなところにあって、そこから商家の軒が両側につづいた。笠だの糸立だのを売っている家もあれば乾物類を店に並べている家もあった。―銀行と書いた大きな板が右に見えたと思うと、その隣の自転車の置いてある大きな店に車夫は梶棒を下した。」

大正7年(1918)の上下の町並み


明治末の上下尋常小学校
〔上下陣屋跡に建っています〕


明治38年翁橋
〔架換渡橋式〕


大正時代の上下本町通り
〔中央遠くにキリスト教会が見えます〕

 
*田山花袋は明治時代の文豪で、「蒲団(ふとん)」という作品が有名です。その「蒲団」のモデルとなったのが上下出身の作家岡田美知代と言われています。紀行文には、岡田家を訪ねて来た明治40年頃の様子が書かれています。