郡には郡役所が置かれ、官選の郡長が任命されました。さらに、明治23年(1890)には「郡制」が制定され、新たに議決機関として郡会が設置されることになり、郡は自治体としての性格を持つようになりました。
この頃から全国で郡の整理統合が進められ、日常的に行き来が頻繁な芦田(あしだ)郡と品治(ほんじ)郡のような近くて狭い郡同士は合併することになりました。明治31年(1898)に芦品郡が誕生し、新郡役所は、当時郡内で最も繁華な府中町の通りに面して建てられ、明治36年(1903)3月28日に移庁式が盛大に行われました。
この建物は和洋風折衷のいわゆる擬洋風建物です。当時、役所・学校・駅などたくさんの人が集まる建物は擬洋風で建てられることが多く、芦品郡の人たちも洋風群役所を見て、新しい時代の雰囲気を感じたことでしょう。
ところで、政府は地方行政制度、とりわけ「郡」の位置づけに悩んでいました。郡には課税権が与えられず、郡行政は府県知事や政府の監督を受け、自治体というには不完全なものでした。結局、大正10年(1921)に郡制廃止、5年後には郡役所の機能も廃止されるに至りました。半世紀に満たない中で、郡役所は歴史的役割を終えたのです。
移築前の様子(1976年頃撮影)
その後、旧芦品郡役所庁舎は県の出先機関などの事務所として利用されましたが、昭和51年(1976)、道路拡幅に伴い旧芦品郡役所建物は取り壊されることになりました。ちょうど、旧制府中中学(現府中高等学校)校舎の擬洋風建物が取り壊されたばかりで、街のシンボルのような建物が相次いでなくなってしまうことを残念に思う市民たちは、建物の保存運動を行いました。その結果、多くの市民の賛同を得て募金も集まり、土生町の造成地に移築され、歴史民俗資料館として再利用することになりました。
現在、明治時代に建てられた擬洋風の郡役所建物は極めて数が少なくなり、いくつかは国の重要文化財にも指定されています。時代を語る貴重な歴史遺産です。
現在の様子(2012年撮影)
天井を支える柱の骨組み
玄関車寄せの装飾
軒下四隅の飾り