Tumulus and Haniwa
七輿山古墳は、6世紀前半につくられた墳丘長約150メートルの前方後円墳で、同時期のものとしては東日本最大級のものとなります。この古墳を上空から見た形は、大阪府高槻市にある今城塚(いましろづか)古墳(墳丘長181メートル)を5/6に縮小したものと全く同じです。今城塚古墳は“真の継体(けいたい)天皇陵”とも呼ばれ、当時のヤマト政権においてきわめて重要な人が葬られた古墳だと考えられています。こうしたことから、七輿山古墳は上毛野国において非常に重要な古墳であると考えられています。
古墳は直径27メートル、高さ6メートルの円墳で、葺石(ふきいし)の葺かれた3段築成(ちくせい)と考えられます。最大の特徴は石室で、縦長のドーム状の石室の壁面は、棒状の片岩(へんがん)とやや大型の珪岩(けいがん)がほぼ一定の間隔で飛白模様(かすりもよう)をなすように配置され、「模様積み」と言われる精緻な美しさをもつ石室です。藤岡市と埼玉県の旧児玉郡域でみられる特殊なものです。
古墳に立て並べた土製品を「埴輪(はにわ)」と呼びます。最も多いのは土管のような形の円筒(えんとう)埴輪ですが、人や動物、家、武器などを象(かたど)った形象(けいしょう)埴輪も数多く作られました。埴輪は装飾物として古墳に飾られますが、無作為にではなく計画的に配置され、祭祀(さいし)の様子を表現しているといわれています。
群馬県では埴輪は6世紀に最盛期を迎え、多くの古墳に樹立しますが、6世紀末から7世紀になると終焉を迎えます。