小金の原御狩の図

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寛政七年乙夘春三月五日將軍
家齋(ママ)公下総國小金の原に御狩し給ふ抑この
御狩と申は曽祖
吉宗公享保十一年乙春三月廿七日彼原に猪鹿狩し
給ひし御跡をしたはせ給ひ七十年絶しをおこし
給はんとてかなたこなたにおほせてふるき書繪圖
なんと持つためなは誰にハよらす奉るへきよし
なとふれしらしめらる松平豆州立花雲州其事を
司しめ安藤和州石川将監成瀬吉右衛門なととり/\
に沙汰し侍り就中関東の郡代久世丹州すへて
のことともまかなへり又諸役人へハ夫々に命くたりて旧
記とももとめ出てこゝの御固かしこの勢子なんと
さま/\の所作とも前のとらの初秋の頃には誰彼つと
むへきなと人数凡に定ありて各用意を成にけり
冬のさむきもいとはて駒か原鼡山なといふ野原
行て組々のもの引連習ふこと度々なり始のほとハ
麾もてまねくもしたかはす口を開てさけへとも耳
つふれたるか如く思ひ/\に走り迴り足よはきハふみ
倒されよくわしるものハ馬よりも先に出てしたり
かほなる躰をして立たるもいと見くるしかりし度々習
ぬれハおほよそには習えしにや左へさせは左へ周り
右へ麾は右へ行事には覚ぬ臘月十六日にハ惣平
均なりとて駒か原の霜ふミわけて様々の所作ともし
侍ぬその年ハ雪もふりくれ行年のことしけきにおこ
たり又年始の御規式なんとにてしはしハ其事もな
さゝりしに初春廿二日には立花の何かし見分せら
れにけりきさらきの十六日には習えし所作とも残なく
上覧ましまさんためとて駒か原に成セ給ふこの日
宵より雨いとふ降て明かたにハやみにけり北
風はけしく空暗くおほひと寒ことかきりもなし
宮益町といふ所の百性の家にいたりこゝにてをの/\
赤飯をそ下し賜にける夫よりハ供人もつれす馬に
のりおもひ/\また組々の羽織を着し頭役ハ麾を
さし纏押立駒か原にいたりぬ風ハいよ/\強く人も
馬も吹よするやうにそ有し程なく御駕の御注進
なりとて大筒二放耳のもとにて聞えぬれは皆々
おとろき持塲/\へそ出にける布衣已上のものハこ
ふ松のもとにて
御目見つかふまつり馬にのるへきのよし御側の衆傳
有てみな馬にのりておの/\屯へ集りやかて御
ならし始り夫々の所作とものこるかたもなく首尾
とゝのひ皆安堵の思ひをなしにけり御相圖にした
かひ奉り進退 御心に叶ひ侍しのおほせと立花
の何かし番頭物頭のもの共へ申傳へ給ぬ遠からぬ道
なれといろ/\の用意ともしく人々事しけく侍りける
ゆへにや程もなく弥生四日になりぬきのふまてハ雨
ふりつゝきて道すからの事なと思ひつゝけ待りしに
けふハ空も晴やかに成て道も大かたよかりし人々の歓
おほかたならすかねててかためあれは夜深きにやとりを
いて両国の橋にいたりぬれははや御舩のよそおひもきら/\
しくまた御先に旅立人々のよそおひなと見んとてや
老若群集し待ぬ
夘の時過る頃牧野内膳正の下屋鋪本所南割下
水といふ所に行しに辰の時の初めにや人々も揃な
ハはや打立ん物ならしなひそと群にましる
事なかれなといひて列を正し竪川を右に見
なし行て逆井の川を渡てさくら道とて
平かにすくなる道にそ出し
田面の道を過る折しも鴈のともなひかほに飛行
を長閑かりし小橋いくつも渡て市川ハととへは
一里もありなんとことふまた一里はかりも行て尋
ぬれは同しやふにそ答めきいそかむとおもへと
人多伴ひ行ことなれハ重荷もちたるものゝかた
ハゆるほとにておのつから人も我も行止り/\して
同し心にもとおしなるへし
巳の時過る頃にや漸川の邉にいたりはやく舟よ
セよなとゝよひあひて我先にといそけと舟
きろふ馬なともありて心にまかセす馬人ともにこそ
り合てあやふくもむかふの岸にいたり市川の驛
にあかりこゝにてしはしやすらひ腰兵粮なとおもひ
/\に腹作り帯しめなほしまた小金の原にてハ水の
よからぬよしもあれは各同意するもありて立出に
けり此川をこしぬれハ土地のやふすもことかはりて
松の葉のみとりも一きはつや/\と勝れてみる也
国府の臺のふるき跡また赤かけのものすこきを左
になし北なる道をのほりてきよけなる松原にそふ
てゆきぬ
こなたより下る坂のけはしく道も狭く馬のかよひ
なとたやすからぬを新たに山を切開て類ひなく
清々にも造られてけり左のかたハ谷水のなかれ春め
きさし波よせて池のことく汀には姫こふしなと
いふ花の日々と咲かゝりうるハしき長閑やかなり右
のかたハ少し遠く松山の幾重もかさなりたるか木立
しけからすうす/\と立並て緑の色ことに晴たる
さまなと言葉もなくまた山をのほりて平かなる
野原を右に見なししはし行待れハはや百性の勢
子なりとて小さきのほりを持何村何人なと書てさし
上け竹螺とやらんいふ笛を吹聲高くたてゝ苅を
追ふて詰寄ける遠かたにハ鹿の走り行なと
馬の飛やふにかすかに見へし
午の刻の終りの頃にもや有けん五本木の小屋塲
といふ所にいたりぬ惣囲は竹の矢来にて門四あり
西のかたの門よりそ入ぬ百四十間四方程にて二万三千
坪惣人数一万三千五百二拾一人馬数三百八拾五疋も
そ聞えし一棟/\にわかり苫もて葺たり大なる桶
に飯を入て配りあたへ大釜竃ハヽさふにて湯わかし
馬の足洗なとすへての事皆御陳中のならハし
なりとも聞えし
進處あたりハみな百性の勢子也かの笛を吹聲たて
篝いくつもたき鉄砲して其あたりに流星の花
火をましえ大竹の節をこめて切たるを火に焚て
音たてゝ猪狩追込勢ひいかめし此人数七八万
計りとそ鉄砲ハ武蔵上総下総常陸の國四季打
又ハ自限なといふ鉄砲揃なく持出よと松平豆州
安藤和州に命しはからハしめらるゝこと也小屋ニは色々
の紋の幕うち纏槍なんと立て其さまおこそか也
時々役するものめくりきて非常をいましめ火の元
用心なといへと草臥たるもの共いらん速やかならさるをハ
こと/\しくのゝしり行くもありけり南のかたハ丘にハ
鐘やくらをまふけて時鐘をも告しらしめらる丑の
時の終には一番の具とて南の木戸にて螺を吹ハ
みな一同に飯たまゝり馬に鞍置すへての事とゝのへて
待ぬ其後九番の具まて定めありて騎馬道歩行道
其列をわかちゆくしてそ押出しぬ歩行のものハ鹿
鑓とて柄を竹にてこしらへたるを持馬上のものは
口坿の百性に小菅笠ともにもたセて武者溜まて
揃ぬ漸夜明かたに成りたれハ高挑灯ともはけしく
また小暗に木戸を乗出し御狩塲さしてそ急きぬ
限りしられぬ廣き野原のうちに小山も又ひきし
所にハ沼も有て道もよからぬを多勢押行ことなれハ
いとさふ/\し茨くの木しけく生しを苅とりし跡なと
にてハ足をいためあゆみかねてそ覚ゆ道おかし
はや御狩始ならむなといそきて漸辰の時の初め
の頃にもや有なん初の屯のいふ所にそいたりぬこゝにハ
鹿虻といふ虫多馬の足を刺ことしきりなりし
いつれの馬もいとくるしけ也人里とたかひたるゆへにや
霜いとふ降て雪ほとに白々としたるゝ所もあり
追駈騎馬ハこなたの備の前に馬立並ていかめし御目付
御使番ハみな伊達成胴着に裾細脚半をつけ袖なし
の羽織を着しぬいろ/\の模様糸綱なと付たるも有
てけふときさまして目立しとそ出立けり御立
塲の高さ三丈はかりとや四方より登る坂道をつけ
て裾のかたにハ鹿垣をもふけ上には青竹にて腰矢
来をゆひ若松を植させ給ひ誠にゆゝしき御粧とそ
拝し奉りぬ御後のかたにハ白に御紋の大吹貫雲を
しのき春風になひきていつちよりもまかふへくもなき
御しるしとそ此吹貫のさし渡し二丈四尺有しとそ
長さは其外とに應して幾丈にもや有けん中の段にハ
御弟君右衛門督との民部卿との此御狩御拝見の為とて
御座をもふけてそおハしけん
やかて松戸の驛より御馬にて渡御まし/\まつ
立塲/\のやうを
御巡見あるへしとて御先も誰彼乗續騎射のいて
とて笠をき行縢をつけ弓矢たつさえおもひ/\の
伊達胴着にて列す歩行にて射すゝ役も二行に
あゆみ御先に白熊の對の御鑓しろ/\と風になひき
御丈ハいさみいさんてほへ狂ふもありさて
御乗らせ給ふ銀にたみたる御笠紅精好の御陳羽織
金の御模様御麾を指セ給ひ御馬もたくましけなるを
ゆるくあゆませ給ふ御勢旭にげんきごう□しくかゝやくはかり
拝し奉りぬ御跡に御両卿供人少々連玉つて供奉せらる
松平豆州をはしめ御供の歴々皆馬上にてしたかひ
奉りぬ馬上にて備しものともは皆其まゝにて首を
馬の立髪につけて伏し歩行立のもの膝をつきたる
計にて平臥いたすましきよしかねて畏かし馬上の
もの計ハ笠着よとの仰めり御免にすみて御立塲
へ入セ給ひぬれハ程なく
惣始りの御相圖大鉄砲二放次に五放つるへ打井
上何かし組のもの御前にてつかふまつれハ御向備四百
弐拾五放一度につるへて打せぬ原迴りの勢子も夫々の
相圖有にや鉄砲打立し程に其響四方にわたりはら/\
といふ音してものをはしきなとするやうに覚へぬ
御向備百人組御持組御先手組々へハ白の吹貫にて御差
圖成し給ふ毎に進退又は鉄砲うたせ聲立ること
幾度もおなし組のものは皆勢子杖はかり成し
荒れくる猪もあらんなとあやしとて十手其外え
ものゝいかめしけなるを羽織にひきかくしておるも有
騎馬の両番頭へは御相圖白布也番頭組をつれ
て左右より乗出し乗合の御しるしにつき夫より
御相圖にしたかひ詰寄狩つきとめ又引またすゝミ
出るも見るなり歩行立上番頭へは御相圖御貝也
後ハ白大麾にかはると承之太鼓をうたせ入せ/\
詰寄鹿つきはたらく御左備にては柏子木うち/\
詰寄する四本松のうちにてはしめのほと騎射あり
久世丹州ハ赤き大挑灯を大竹に付て印にし赤き
羽織に形付たるを差上逍りそこをもらすなこゝを
とめよかしなとふせけとかきりもなき原のこと
なれハおもふやうにはあらさりし也すこやかなる獣
は多くもらしぬると聞えし追掛騎馬百騎計りにて
乗つゝむとすれともれてにくるも多かりし御細のかたへ
追つめんとすれと行はまれ也つかれてたおれたるを
耳尾なとをとりて引入るなといとおかしけ也君にも
御馬上にて御鑓のつきける数ありし也鹿すくなき折
にや大鉄砲二放つゝうたセらる是をうけ給り百性
勢子一段と詰よせ鉄砲打聲たて篠竹又ハ色々
のものを持笛を吹おめきさけひて詰よするさまいとさは
かしくかしかましきことのかきりなかるへし馬もおとろ
きまたハつかれてや走り出し乗たをして落るものも
多し絶入たるなとも有て百性に脊負れくるしけに
退たるなとも見へしはけしく走り廻り落てハ直に
のるも有又ハ落て馬にはなれ馬ハ歩行立のうちへ
走り入備みたれしなとも有しとそこゝに牧士といふ者
有かの原を日頃乗廻りて野馬とる業ゐニて熟したるもの
也赤き羽織に駒形付たるを一様に着なし猪鹿追
ことまことに駿きわさ也走る鹿を追越/\て先へ廻り
追戻し追廻る手煉見事也と人皆感しぬ追駈騎馬
なんとハ多くの中よりゑらまれ馬もつよきを乗たらん
なれと人も馬も野に馴ぬ故にや鹿を追にいつもあ
とより計り乗行ついに追失て歯かみする計りならん
かとも見へし獣数御網の内すくなしとて立花の雲州
一騎乗に乗廻こゝかしこに沙汰セられ段々に追つめ
御塲のほとりまて惣勢子押詰たり其聲郊原に
ひゝき遠山も崩るかと計り覚へたり兎角して獣出
かねたるなんとゝいふ程こそあれ北のかたに野火をかけ
たり烟天におほひ火飛散風にまかせてやけ行たり
其夜まてもきへす家居なとおもはす焼しもある
とそ江戸にても此けふりを見て両国橋の邉まて
火消役なと詰しとなん
未の刻過る頃にもや有けん狩ニてさせ給ひしとてかの
御相圖の鉄砲七放初めのことくうたセらる御向備を
はしめ込置侍りし薬ともおもひ/\に拍子響かし打拂て
御狩濟たり元来此原ハ野馬のあら野なるをけふの
御塲の御まふけとて馬ともハこと/\く原へ追やりけるに残り
たる野馬子をつれて三ツ四ツ勢子におわれて出ぬ猪
のかけめくるかたちハ蚤といふ虫に似たり鹿の走りさまハ
品もなくたゝあしの早きこと見止かたし枯野の色に
まかひてそここゝと指ものすれと初めのほとは見付さ
りししはし見馴ぬれは草と鹿と見わくる事になり
しなと皆興セし夫より皆々列を乱さすもと来し
道を小屋塲にかへりぬ放火のけむりにむせひ目いたく
腹さひしきゆへにやけさよりも道遠く覚へし漸をのか
小屋/\に入湯のミものたうへて力をえたりし
上にハ 御成道通松戸の驛を 還御なさしめ給ふ
常ハ此川舟渡にてあるをけふの御まふけとて舟橋を
渡され大舟数多横たへ大綱にてつなき橋のもとをハ
新たに築なとして木立枝ふりすくれたる松を植さ
セられ又松戸臺の御小休と申ハ驛をこして細道を登り
左りのかたの小山也老松枝をつらぬ月の風景作れるか如く
川のあたりを見をろしたるは類ひなき気色
に覚ゆ此前にて御往還ともに御小休をそなさしめ給ぬ
やゝありて御目付の小屋へ参れといひこしほとに皆々
行ぬ御菓子下し賜るよしの傳あり忝さをまふし待りぬ
夫より誰彼の小屋なとへ行て目出たしなとことふき
廻り怪我セしものもなく天氣も能く濟たりなと
人々の歓にや小屋/\とよひあひて物の音も聞なぬ
ほとにそ有けり申の刻過る頃にや打立へきとの案
内ありしニ待もふけしまゝに急き出立ぬれと多勢のこと
なれは道もはかゆかすたとり/\するうちにはや日暮に
けり市川の宿よりハ六七町もあなたかとありしいよ/\
道おそく風ははたえをとをしてさむ/\やすらふも野
の中に馬をとゝめてゐる事なれはいと久しくそ覚へし
市川の驛にいたりこゝにてしはしやすらひ腰兵狼な
と少しつくろひやかて立出ぬ舟渡さう/\しく人多
込合松明挑灯のミにてハ見わけかたくて渡し守も
渡しかぬ言葉あらそひなんとありけり踏はつして川へ
落て人に助けられぬれにぬれて来るも有り眠り/\
てあゆミかねしもあるほとなれは川へ落たるもむへ
なりとそからふしてこなたに上り市川の関を越
て一里はかり行しころ空かき曇て西のかたハ雲
ならるにハあるましなといふにはや降出しぬいよ/\
道をいそき逆井の渡にいたりぬこゝにても物たかひ
よとひてしはし時をうつしこなたに上り草臥つ
先やすめなとゝて百性の家かりて入ぬ此所よりは
列を正すにも及はす己々か心にまかすへきとの掟に
したかひ皆人別れぬやゝ行て鐘の聲聞しほとに
所のものにとへは丑の時也とこたふこゝハ本所二ツめ也
大たにもやならんかといよ/\道を急き寅の時過
頃宿所にかへり明る六日辰の時のころ立花の何
かしのもとへ行て組々のものまてさはる事もなく
帰りしよしを皆々申てけり夫より心おちつき二夜
寝さりしほとを取かへすへしなとゝ休みぬ七日にハ
御獲給るのよし申傳あれハ八日にハ 御殿に出て
忝さをまうし奉りぬ獣をハおの/\へわかちいた
たき組々のもの迠も御いさ傳へしのゆかしきをあふき奉ら
れなといひて鼻をおほひなから持連てそことふきける
久しく絶にし小金の御狩の 御時にあひ奉ること
ありかたき御事の至り也とうやまひおかミ奉る
ことを書とゝめぬ