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墨蹟遺考  乾
墨蹟遺考  坤
 
 
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墨蹟遺考序(ぼくせきいかうのはしがき)
おのれ年頃考(かうかへ)おきつる種(くさ)〳〵の説(せち)ども物に書おけるを。ひと日友の訪(とひ)来てこを見ていへらく。君世を去(さり)給はん後はむなしく埋木(うもれき)になりぬべく。今より板(いた)にのほせて広く人に見せ給へといへど。そハつたなきおのれが考(かう)いかでかハと
 
 
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いへど三人四人してしきりにそゝのかす物から。稲舟(いなふね)のいなミかたう。草枕旅に遊びし頃。愛(めづ)らしと思ひし事(こと)も書続(つゝ)けて書賈(ふミや)にあたふることゝハなりぬ。文のてにをはかなのさだ考の違(たが)へるふしもありぬべし。年老て此(こ)を正(たゞ)さむ勢(いきほ)ひなくなりぬれはそがまゝ物しつるなり。見む人是をなとかめ給ひそ。只心のまに〳〵筆を走(はし)らせつ。おのれなき後も残れとて墨蹟遺考と称名(なづけ)て広く物せるなりけらし
   六十三齢
   月下亭音高
 天保十まり二とせといふ
   きさらき十八日
 
 
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   目録
○神代紀(じんだいき)の裏(うら)   ○昔噺(むかしはなし)の裏(うら)   ○雅児(をさなご)の芸(げい)の解(さとし)
○よい〳〵わい〳〵   ○道具(どうぐ)   ○小間物(こまもの)
○時鳥(ほとゝぎす)   ○名謂(なのり)   ○蹙鐘(しゞまのかね)
○鮫頭(さめづ)   ○   ○頓(やがて)
○冷敷(すさまし)   ○風和(なごむ)   ○毛々牟自伊(もゝんじい)
○いんのこ〳〵   ○口をし   ○あま犬こま犬
○阿宇牟(あうん)   ○きちん宿(やど)   ○はたご
○浮世(うきよ)   ○現身(うつゝ)   ○馬牛声(うまうしのこゑ)
○職人(しよくにん)   ○東金(とうがね)      ○保久曽頭巾(ほくそづきん)
○鰹節(かつほぶし)   ○千(せん)六本     ○f股引(もゝひき)
○鹿島立(かしまだち)   ○甲子(きのえね)灯心(とうしん)   ○船風(ふねかぜ)の詞(ことバ)の差別(けじめ)
 
 
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○晦(みそ)□(虫損)蕎麦(そば)   ○べい〳〵言葉(ことば)   ○黒木(くろぎ)
○雁(かり)がね   ○亀(かめ)酒(さけ)を好(このむ)   ○おくかない
○たから   ○鍵(かぎ)   ○宝珠(ほうしゆのたま)
○打出(うちでの)小槌(こづち)   ○隠蓑(かくれがさ)隠笠(かくれがさ)   ○福(ふく)といふ事(こと)
○雑煮(ざふに)   ○始末(しまつ)倹約(けんやく)   ○髪下虫(かミさげむし)
○おふくろ   ○文字(もじ)   ○仏(ほとけ)に生花(いきばな)を奉(たてまつる)
○茶(ちや)の湯(ゆ)   ○墓(はか)に莽(しきミ)を刺(さす)   ○酒盛(さかもり)
○音曲(おんきよく)并作者(さくしゃ)古今論(こゝんのあげつろい)   ○獣肉(けたものゝにく)穢(けがれ)の弁(べん)   ○梅若丸(うめわかまる)の墳(つか)
○酒(さけ)を諸白(もろはく)と云(いふ)   ○古根(ふるね)が辞世(じせ)   ○田鶴丸(たづまる)が辞世(じせ)
○鳥待(とりのまち)の待の字(じ)   ○歌人(かじん)古跡(こせき)   ○倭健命(やまとたけのミこと)の陵(ミさゝぎ)
○三社(じやの)託宣(たくせん)   ○信田杜(しのだのもり)の葛(くず)   ○狐(きつね)人の妻(つま)と成(なる)
○仏(ほとけ)作(つくり)て魂(たましひ)不入(いれず)   ○の文字(もじ)   ○通計六十八題
 墨蹟遺考(ぼくせきゐかう)上巻
   ○神代紀(しんだいき)の裏(うら)   平林邦恭(クニユキ)著者
日本書紀(にほんしよき)古事記(こじき)等(とう)の神代巻(じんだいのまき)ハ軽(かろ)く見過(すぐ)すべからず。表(おもて)と裏(うら)ある事なり。天照皇大神(あまてらすすめおほがミ)ハ其(その)弟(おと)素盞鳴命(すさのをのミこと)の荒(あら)びによりて。天石門(あ□のいはと)に隠(かく)れ給ふ。此段ハ各々の人体(にんたい)にある事(こと)なり。天(てん)より請(うけ)得(え)たる本心(ほんしん)ハ則(すなハち)天照大神なり。我体(わがからだ)も大御神の後胤(おほミかミのこういん)なり。母の胎内(たいない)より生れ出し時ハ。本心のまゝにて私意(しゝん)といふ物さらになし。月日を経(ふ)るに随(したが)ひて。私意体中(しゝんたいちう)に生れ出て欲(よく)を発(はつ)せしむ。是(これ)則(すなハち)明玉(めいきよく)ニ錆(さび)の出る初めなり。成人(せいじん)に随(したがひ)て私意(しゝん)のミ増長(ぞうちやう)し。本心ハ無が如(ごと)し。仏家(ぶつけ)によみたるうたに
   □子(を□なご)が次第(しだひ)〳〵に知恵付(ちゑづき)て仏(ほとけ)に遠(とほ)くなるぞかなしき
 
 
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此□□(私意カ)といふ者則(すなハち)素盞鳴命なり。青(あを)山を枯(から)山にし御田に駒(こま)を放(はな)し荒(あら)し。大御神の宮中(御てん)に大小便(べん)をまりちらし。機殿(はたどの)へ天斑駒(あめのぶちごま)を皮(かハ)を逆(さか)はぎに剥(ぱぎ)て。甍(いらか)をうがちて投入(なげいれ)給ふ。此時機織女(はたおりめ)の神二神打殺(うちころ)さる。因茲(これによりて)天照大御神ハ。天石門(あまのいハと)を開(ひら)きて入給ふ。故(ゆゑに)常暗(とこやミ)の世(よ)となれり。私意増長(ぞうちやう)して本心天石門に入時ハ其身の破滅(はめつ)なり。然(しか)れども又素盞鳴命に善事(よきこと)もあり。脚摩乳(あしなづち)手摩乳(てなづち)の神の娘(むすめ)。奇稲田姫(くしいなだひめ)山俣蛇(やまたおろち)に呑(のま)れんとせしを。助(たすけ)て我(わが)御妻(□□め)とし給へり。蛇(おろち)ハ大水(ミづ)なり。此大水出て川ハ弥俣(いやまた)にさけて。稲田(いなだ)を呑(のま)んとせしを。命(ミこと)大勢(ぜい)の神たちを集(あつめ)。酒(さけ)を呑せて堤(つゝミ)を築(きづき)などして。此大水を防(ふせ)ぎとめて。稲田を助けておのが御田となし給ふ也。水の引たる跡(あと)の川尻(かハしり)に一振(ふり)の剣(けん)を得(え)給ふ。是を蛇(おろち)の剣(けん)といふ。後に草薙(くさなぎ)の宝剣(ほうけん)是(これ)也。素盞鳴命ハ暴傷(そこなひやぶる)の神也。今世(いまのよ)にも損破(そこなひやぶる)生れ付の人多し。其(そ)ハ俗(ぞく)に云(いふ)損財者(ぞんざいもの)。物ごと行形(ゆきなり)にする族(やから)なり。人生れて三歳(ミつ)四歳(よつ)までハ本心八九分(ぶ)なり。五歳(いゝつ)六七歳(むつなゝつ)のほどハ私意(ししん)の起(おこ)り初故(はしめゆゑ)。男女とも草木(くさき)を荒(あら)し。生物(いきもの)を殺(ころ)し。器財(どうぐ)を暴(こハし)。障子(しやうじ)を破(やぶ)り。悪行(あくぎやう)いはん方なし。親(おや)たる者よく禁(いま)しむべきわざぞ。愛(あい)におぼれて捨置(すておく)時ハ其子に報(むく)ふぞかし。八九歳(やつこのつ)より悪行(あくぎやう)静(しづ)まりて善(ぜん)か悪(あく)かの境(さかひ)とそなる。仏家(ぶつけ)に所謂(いはゆる)六道(どう)の辻(つぢ)なり
   ○昔噺(むかしはな)しの裏(うら)
子供(こども)の噺(はな)す昔話(むかしハなし)ハ皆(ミな)表裏(おもてうら)あり。表にハ面白(おもしろ)く語(かた)りて。裏ニ天理(てんり)を含(ふく)めり。耆(ぢゞ)ハ山へ草刈(くさかり)に嫗(ばゞ)ハ川へ先濯(せんだく)にといふハ。山ハ陽(やう)川ハ陰(いん)也。此陰陽(いんやう)の中に流(なが)れ来たる桃(もも)を。嫗(ばゞ)の手に拾(ひろ)ひたるハ。即(すなハち)子(こ)を産(うむ)ことを知(し)らせたり。山より耆(ぢゞ)の取来らハ理(り)に当(あた)らぬ也。桃の中より人産(うま)れ出たるハ桃を人にしたる作(つく)り物語(ものがたり)也。桃ハ邪気(じやき)を払(はら)ふ物故(ものゆえ)に
 
 
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鬼(おに)を従伏(したがへ)宝物(たからもの)を取なり。抑(そも/\)鬼といふものハ絵(ゑ)に書(かき)たる形(かたち)の物に非(あら)ず。只(ただ)人に畏(おそろ)しき形(かたち)を見せむ為(ため)に然(かく)書たる也。角(つの)ある物に牙(きば)なし。牙(きバ)有物(あるもの)に角(つの)なしといへり。鬼とハ人死(し)して鬼となる。鬼ハ皇国(ミくに)にてしこ(▯)といふ。其(その)形(かたち)見悪(ミにく)きをさして云言(いふこと)なり。又鬼と云(いふ)字(じ)の音(おん)ハき(▯)といふ。き(▯)ハ気(き)にて人ハ死して気となる事なり。此気も邪気(じやき)なれバ。人を病(なやま)し種々(くさ〳〵)の崇(たたり)をなす也。則(すなハち)桃太郎の従伏(したがハ)せしむる鬼ハ此邪気(じやき)也。人の臨終(りんじう)(しぬるとき)の時。人を恨(うらむ)か。欲意(よくしん)に迷(まよ)ふか。子の愛(あい)に心を残(のこ)すか。何(なに)事にても此世に思ひを残す時ハ。皆(ミな)彼(かの)邪気となりて。正気(せいき)に平等(びやうどう)(まじハる)する事なり難(がた)し。正気(せいき)に平等(びやうどう)するを仏家(ぶつけ)に極楽(ごくらく)往生(わうじやう)といふなり。邪気となるを地獄(ぢごく)に堕落(だらく)(おちる)すといふ。科(とが)人御仕置者(おしおきもの)の類(たぐひ)。正気に平等する事(こと)なし。扨桃(もゝ)の邪気(しやき)を解除(はらふ)といふハ。神代巻に伊弉諾命(いざなぎのミこと)。其妻(そのつま)伊弉冉命(いざなミのミこと)。迦具土(かぐづち)の神(かミ)を産(うミ)給ひて。其(その)火(ひ)に御隠処(ミほど)(かくしどころ)を焼(やかれ)て神去(かミさり)(しぬる)まし。黄泉国(よもつくに)に行(ゆき)給へバ。伊弉諾命(いざなぎミこと)妻(つま)を慕(したひ)黄泉平坂(よもつひらさか)より。黄泉(よミ)に行(ゆき)其(その)妻(ミめ)。伊弉冉(いざなミ)の命(ミこと)に逢(あひ)て見(ミ)れバ。穢(けがら)ハしき事のミにて剰(あまつさへ)邪神(じやじん)(よこしまのかミ)ニなり給ひけれバ。諾命(をとこがミ)竊(ひそか)に逃出(にげいで)給へバ。邪鬼(じやき)(おに)ども追来(おひきた)る。爰(こゝ)に桃木(もゝのき)有(あり)。木蔭(こかげ)に逃入(にげいり)て桃(もゝ)の実を(ミを)取(とり)て。邪鬼(じやき)どもに打付(うちつけ)給へバ皆(ミな)畏(おそ)れて逃走(にげはし)る。此故(ゆゑ)に今(いま)禁中(きんちう)の節分(せつぶん)の夜(よ)にハ。桃弓(もゝのゆミ)蓬矢(よもきのや)にて鬼を追(やら)ひ給ふなり。さて又日本一の黍団子(きびだんご)といふ。黍(きミ)ハ則(すなハち)鬼魅(きミ)にて矢張(やはり)邪鬼(じやき)なり。此鬼魅(きミ)を自在(じざい)に団(まろ)めて食物(くひもの)とする時ハ。邪鬼(じやき)の根(ね)をたつをいふ。従(したが)ふ犬(いぬ)ハ魔除(まよけ)。雉子(きじ)猿(さる)ハ頭(かしら)赤(あか)くして陽物(やうぶつ)なれバ。陰邪(いんじや)を取(とり)ひしぐ味方(ミかた)なり。扨(さて)鬼従伏(おにをたいらげ)て宝物(たからもの)を取(とる)。此宝(たから)物ハ邪気を除(はらひ)て無病(むびやう)安体(あんたい)なるをいふ。金銀(きん〴〵)財宝(ざいほう)ハ集(あつま)れども又散期(ちるご)あり。病なきこそ人ハ一生の宝なれ。扨また一話(ひとつのはなし)に嫗(ばゞ)が
 
 
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飼置(かひおき)たる雀(すゞめ)。糊(のり)をなめたる科(とが)によりて。舌(した)を鋏(はさミ)切(きり)て放(はな)つ。耆(ぢゝ)是(これ)を聞(きゝ)て不便(びん)に思ひ。雀の宿(やど)りを尋行(たづねゆく)○糊(のり)ハ法(のり)にて念仏(ねんぶつ)なり。嫗(ばゞ)念仏を嫌(きらひ)て邪見(じやけん)なれバ。或人(あるひと)念仏をすゝめたる也。此すゝめを雀(すゞめ)になしたり。嫗(ばゞ)大に怒(いかり)て又とすゝむることな□(虫損)れと。其人の舌(した)を止(とゞ)むるを舌切雀(したきりすゞめ)とそいふ。耆(ぢゞ)ハ善人(ぜんにん)にて雀(すゝめ)の宿(やど)に尋(たづね)至(いた)り大に馳走(ちそう)に成(なり)。家土産(ミやげ)に重(おも)き葛籠(つゞら)と軽(かろ)き葛籠(つゞら)を出(いだ)し。何(いづ)れニても持帰(もちかへ)り給へといふ。耆(ぢゞ)が云(いふ)おのれハ年老(としおひ)て重(おも)き物ハ持難(もちがた)し。軽(かろ)き方(かた)こそよけれと。軽きを貰(もら)ひて宿(やど)に帰(かへ)り。彼(かの)葛籠(つゞら)を明(あけ)て見れバ。金銀(きん〴〵)財宝(ざいほう)山の如(ごと)し。是(これ)ハ善人(ぜんにん)に天(てん)より恵(めぐミ)を施(ほどこ)し給ふ事なり。凡(すべ)て善(よき)と悪(わろき)と二ツあるものを。人の一ツ遣(や)らんといふ時。凡人(ぼんにん)ハ能方(よきかた)を取(とる)を禁(いまし)めて云(いふ)噺(はな)し也。我(われ)を卑下(ひげ)するハ礼(れい)なり。礼ハ則(すなハち)天道(てんとう)なり。天道(てんとう)ハ本心(ほんしん)のまゝにて少(すこ)しも私欲(しよく)(よくしん)なきをいふ。私欲(よくしん)なけれバ天より恵(めぐミ)下(くだ)る也。さて老女(ばゞ)是(これ)を見て欲心(よくしん)増長(ぞうちやう)して。雀(すゞめ)の宿(やど)に尋行(たつねゆく)。又馳走(ちそう)になりて軽重(かろきおもき)の葛籠(つづら)を出すを。重(おも)き方(かた)を取(とり)て脊負(せおひ)帰(かへ)るさの道(ミち)にて開(ひら)き見るに。畏(おそろ)しき鬼魅(ばけもの)出て嫗(ばゞ)を喰殺(くひころす)。す(ママ)○是(これ)天理(てんり)に背向(そむき)たる禁(いましめ)にして。我(わが)体中(たいちう)の天照大神(あまてらすおほミかミ)天石門(あまのいはと)に入(いり)給ひ。常闇(とこやミ)となれバ其身(そのミ)如是(かくのごとく)なりと。禁(いまし)めし噺(はな)し也
   ○雅子(をさなご)の芸(げい)の解(さとし)
幼児(こども)を遊(あそ)ばするに。手拍(てうち)〳〵阿波々(あハヽ)。頭(つむり)闐々(てん〳〵)。介繰(かいぐり)〳〵。止々目(とゝのめ)といふ事あり。先(まづ)手拍(てうち)〳〵ハ我(わが)日本(ひのもと)の風儀(ふうぎ)(ならハせ)にて。悦(よろこ)ばしき事。愛度(めでたき)事にハ必(かなら)ず手(て)を□(虫損)なり。別(わけ)て神拝(かミををがむ)ハ手(て)を拍(うち)て拝礼(はいれい)し。酒宴(しゆゑん)の席(せき)にハ拍上(うたげ)とて昔(むかし)より拍(うつ)なり。故に我国の風儀(ふうぎ)を教(をしふ)る也。阿波々(あハヽ)ハ笑(わら)ふなり。是ハ手拍(てうち)〳〵の対(つい)にして。手(て)を拍(うち)て笑(わら)ふハ至(いた)りて悦(よろこ)ばしき事か。愛(めで)たき事の有(あり)さまにて。生(おい)たちに先(まづ)よき祥(さが)を教(おしふ)るなり。夫(それ)より次(つぎ)ハ頭(つむり)闐々(てん〳〵)なり。是(これ)
 
 
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ハ悪徒(わるいたづら)を禁(いま)しめ。物ごと成人(せいじん)の後(のち)差(さし)出る事を禁(いま)しめて。自(ミづか)ら頭(つむり)を打(うつ)なり。ある人大黒天の讃(さん)に
   此槌(つち)は宝(たから)打出す槌でなく徒者(いたつらもの)の頭(かしら)うつ槌
又おのれか愚詠に
   汐(しほ)の山差出(さしで)の磯(いそ)のさし出ずハよる白浪(しらなミ)に打(うた)れまし物を
さて又介繰(かひぐり)〳〵と云(いつ)て。左右の手首(てくび)を廻(まハ)すハ。日々の世渡(よわたり)の事なり。武家(ぶし)ハ勤(つとめ)に怠(おこたり)なく忠勤(ちうきん)を励(はげ)ミ。町人ハ各(おの〳〵)其(その)業(なりハひ)に出情(せいをいだ)し。百姓ハ耕(たがやし)作(つく)るを専(もつハら)とするなり。日々に介(かい)の廻(まハ)るハ水車(ミづぐるま)の如(ごと)し。水淀(よど)ミて流(なが)れぬ時(とき)ハ車廻らず。車廻らざれバ米(こめ)も舂(つか)れず臼(うす)も不挽(ひかず)。日用(にちよう)不弁(へんぜず)。其(その)業(なりハひ)を励(はげむ)時ハ彼(かの)介繰(かいぐり)〳〵となる。各(おの〳〵)世渡(よわたり)ハ繰廻(くりまハ)しなり。其綾取(あやどり)ハ生れ付にて一子相伝(いつしそうでん)にも行(ゆ)かぬ物也。其時に応(おう)じての介繰(かいぐり)なり。貧福(ひんふく)おし並(なべ)て。介繰無(なき)時(とき)ハ其家(そのいへ)滅(めつ)すなり。又止々目(とゝのめ)といふあり。左りの手掌(たなびら)を右の食指(ひとさしゆび)にて突(つく)く事也。是ハ取止(とりとゞ)めといふ事にて。物事(ものごと)十分ハ満(ミち)。ミてれバかくる。山も登(のぼり)つめれバ下(くだ)らねバならず。万事に付て八分にことをなさバ長久也とて。取(とり)とゞめ〳〵といひて。手平(てのひら)を以(もつ)てせきとむる也。取止(とりとゞ)め〳〵といひしを。後(のち)にとゝのめ〳〵と訛(なま)りいふ故(ゆゑ)わかり難(がた)し。何事も末(すゑ)の世となれバ昔人(むかし)の云置(いひおき)し言(こと)も。訛(なま)りて別(わか)ち難(がた)くなり行こそ浅ましけれ
   ○よい〳〵わい〳〵
栄す言(はやすことば)によい〳〵わい〳〵と云(いふ)。よい〳〵ハ善々(よい〳〵)(よし〳〵)。わい〳〵ハ悪々(わい〳〵)(わろし〳〵)なり。人を嘲(あざけ)り笑(わら)ふ声(こゑ)を悪々(わい〳〵)といふ。又褒(ほむ)るを善々(よい〳〵)といふ。善悪(ぜんあく)ハ世の中の馴(なら)ひにして天理(てんり)なり。善悪(ぜんあく)。邪正(じやしやう)。貧福(ひんふく)。賢愚(けんぐ)各(おのおの)対(つい)にして悦(よろこ)びあれば憂(うれい)あり。晴天(せいてん)あれば雨天(うてん)有(あり)。皆(ミな)〳〵よい〳〵わい〳〵
 
 
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にて持(もち)たる世の中なれバ。歓喜(よろこび)ハ憂(うれひ)の本(もと)。憂(うれひ)ハ歓喜(よろこび)の種(たね)。啼(なく)ハ笑(わら)ふの本(もと)。笑(わら)ふハ泣(なく)の末(すゑ)。楽(らく)ハ苦(く)の種(たね)。苦(く)ハ楽種(らくのたね)にして。少(すこし)も片寄事(かたよること)なし。禍(わざわい)来(きた)るとても心を痛(いた)ましむる事(こと)なかれ。歓(よろこび)有(あり)とても祝(いは)ふ事(こと)なかれ
   ○道具(どうぐ)
道具といふハ本(もと)仏(ほとけ)の具にて仏器(ぶつき)をいふ也。今ノ世に家具(かぐ)調度(てうど)をも。凡(すべ)て道具(どうぐ)と云(いふ)ハ誤(あやま)りなり
   ○小間物(こまもの)
此(こ)ハ高麗(こま)物なるべし。古(いにしへ)高麗(こま)より渡りし物を然云(しかいひ)しを。末(すゑ)の世となりて。皇国(ミくに)の産物(しな)をも高麗物と云(いふ)。其中(そがなか)に鼈甲(べつこう)(たいまい)ハ高麗物なり子供の持遊(もてあそび)の独楽(こま)も高麗(こま)より渡りし物故其まゝこまと云也
   ○時鳥(ほとゝぎす)
鳥(とり)ハ啼(なく)声(こえ)を以(もつ)て多(おほ)くハ名(な)とす。時鳥の歌(うた)に名のるといふハおのが名を声にたつる故(ゆゑ)なり。郭公(くわくこう)と書(かき)しハ誤(あやまり)なるべく。其(そ)ハ歌によめる呼子鳥(よぶこどり)のことなるべし。弥生の末(すゑ)卯月の初(はじ)めつかた。太(ミ)山にて郭公(くわつこう)〳〵と啼(なく)鳥(とり)なり。是(こ)も時鳥(ほとゝぎす)の種類(たぐひ)なり。時鳥と書(かく)ハ。卯月になれば必(かならず)其時(そのとき)を違(たが)へず啼(なく)故(ゆゑ)。時の鳥とハ書たるなり。此外に種々(くさ〴〵)の字(じ)どもを書しハ其義によりてなり
   ○名謂(なのり)
名を言(いへ)といふことを。名謂(なのれ)ともいふハ。万葉集に言(いへ)と云ことを。能良閉(のらへ)。あるひハ乃礼(のれ)といふ。良閇(らへ)の約(つゞめ)。礼(れ)なれば。名謂(なのれ)ハ名を言(いへ)といふことなり
 
 
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   ○蹙鐘(しゞまのかね)
此(こ)ハ禅寺(せんでら)にて無言(むごん)の行(ぎやう)をする時。撞(うつ)鐘(かね)をいふ。今迄物云しを。是より無言なりと。知らする鐘(かね)の音(ね)なり。志治麻(しぢま)の仮名(かな)ならば。静(しづま)の意(こころ)なり。志々麻(しゞま)の仮名(かな)なれば取(とり)ひろげたる物を一所(ひとゝころ)に寄(よす)る意なり。蹙鐘(しゞまのかね)ハ源氏ノ物語に末摘花の巻の歌いくそたび君がしゞまにまけぬらん物ないひそといはぬたのミに○女君の御めのと。こじゞうとていとはやりかなる若人(わかうど)心もとなう。かたはらいたしと思ひて。さしより聞ゆ○かねつきてとぢめんことハさすがにてこたへまうきぞかつハあやなき
   ○鮫頭(さめづ)
江戸品川の駅(うまや)の上(かミ)に鮫頭(さめづ)といふ所有。此名いぶかしく思ひしに里老(さとびと)の物語にハ昔(むかし)此所に鰐鮫(わにざめ)の頭(かしら)流れ寄りし故然云(しかいふ)といへりはたと考(かうがへ)当(あた)れり。其(そ)ハ昔(むかし)此処を三枚洲(さんまいづ)といひしならんを。後に訛(なま)りて佐米豆(さめづ)といふから。字(じ)に鮫頭と書しに。字に泥(なづミ)て鮫(さめ)の事に云(いふ)ハ取(とる)にもたらぬこと也。既(すで)に此沖(おき)に三枚洲(さんまいづ)といふ所有りて即(すなハち)洲(す)三ツ有りといふ。是にて三枚洲なること必定(ひつじやう)せり
   ○
古(いにし)への消息(せうそこ)文(ふミ)に書(かき)し言(こと)の残(のこ)れるハ。今の世の女の文(ふミ)のとぢめにかけるかしくなり。加志久(かしく)と書ハ加志古斯(かしこし)といふ言(こと)にて。俗(ぞく)に云(いふ)恐多(おそれおほ)しと云言(いふこと)なり。古(いにし)へハ加志古(かしこ)と書しを。何(いつ)の世(よ)にか古(こ)を久(く)に書違(かきたが)へしにや。そハかしこと書しをかしくとよみ誤(あやま)りやしけん。久(く)も古(こ)も五音相通也おのれより上様(かミさま)の人に対(たい)してハ。あなかしこと古(いにし)へハ書たり。然書(しかかけ)ること今ハ絶(たえ)てなし。あなとハ歎息(たんそく)の詞(ことば)なり。呼(あゝ)又𢘟怜(アハレ)。この𢘟怜(あはれ)ハ𢘟(あゝ)○怜(はれ)といふ二言を一言にして云詞なり。歓(よろこ)ばしき
 
 
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事(こと)にも愁(うれ)ハしきことにも。アヽといひ又アヽハレ又アナといふ詞也。又かしこまるといふ言(こと)。俗にハ承知(しようち)した意(こゝろ)。又膝(ぴざ)を折(をり)て居(すわ)る事と思へり。前に云し如。加志古麻流(かしこまる)ハ恐入(おそれいる)意にて。其(それ)を本(もと)にて膝折居ことにも云へり。目上(めうえ)より物を云つかるを加志古(かしこ)まるといふハ。承知(しようち)したる言にハ非(あら)ず。其云(そのいひ)つかるゝ詞を恐入といふ意なり
   ○頓(やがて)
頓(やがて)ハ俗(ぞく)に即刻(そつこく)。直(すぐ)に。其儘(そのまゝ)といふ言なるを。程(ほど)経(へ)て後(のち)にの言と思ふハ大なる非言(ひがごと)なり。夜賀弖(やがて)ハ頓(とん)と云文字を当(あて)て字音(じおん)に云時ハ頓智(とんち)。頓作(とんさく)。頓死(とんし)。頓病(とんびやう)。頓首頓拝(とんしゆとんはい)など。其時(そのとき)其節(そのをり)のことなるを知(し)るべし
   ○冷敷(すさまし)
冷敷(スサマシキ)ハ物に進(すゝ)ミのなき。気(き)に入らぬ事なるを。今俗(いまのよに)恐敷(おそろしき)事に思(おもふ)ハ古(いにしへ)にたがへり。清少納言(せいせうなごん)の枕(まくら)の草紙(そうし)に。昼(ひる)吼(ほゆ)る犬(いぬ)。火(ひ)おこさぬ。すびつなど皆(みな)進(すゝ)ミなき物なり
   ○風(かぜ)和(なごむ)
風の和(なご)ミたるを和(なぐ)ぐといふべきを。今俗なげるといふハ転(うつり)なり風なき日和(ひより)を和(なぎ)といふをや但シ那古米(ナゴメ)の古米(コメ)を約(ツヾ)むれバ計(ケ)となる故那計流(ナゲル)ハ那古米流(ナゴメル)なり
   ○毛々牟自伊(もゝんじい)
小児(こども)の畏(おそ)るゝモヽンジイ(□□□□□)とハ如何(いか)なる事をかいふらんと思(おもふ)に。はたと考(かうがへ)当(あて)たり。此(こ)ハ文亡人(もんもうじん)と云言(いふこと)なり。理(り)も非(ひ)も不分(わからず)。怒(いか)るときハ口(くち)を開(ひらき)て大声(おほこゑ)立(たつ)る。其時(そのとき)文亡(もゝん)カアカアハ口をひらく声也となるなり。世に是程(これほど)おそろしき物ハあらじ
 
 
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   ○いんのこ〳〵
これハ小児(こども)の寣(おびゆ)る時の咒(まじなひ)なり。いんのこハ犬(いぬ)の子(こ)と云(いふ)言(こと)なり。犬(いぬ)ハ魔除(まよけ)なり。故(かるかゆゑ)に婚礼(こんれい)の調度(どうぐ)に犬張子(いぬはりこ)を用(もち)ふるハ此(この)故(ゆゑ)なり
   ○口をし
口(くち)をしとハ善事(よきこと)を云聞(いひきか)すれども。不用(もちひず)云甲斐(いひがひ)なき事にて。言(いひ)し口(くち)の惜(をし)きなり
   あま犬こま犬
神前(しんぜん)にあるあま犬こま犬と俗(ぞく)に云犬あり。是(これ)ハ神功皇后(しんこうくわうごう)三漢(かん)征罰(せいばつ)し給ひて。三漢の大王ハ日本の犬なりと宣(のたまひ)し故(ゆゑ)即(すなハち)。神前(しんぜん)の犬ハ三漢の大王を従(したがへ)給ふを示(しめ)す也。左右ともに高麗犬(こまいぬ)也然(さ)るを凡(すべ)ての神前に置(おく)ハ誤(あやま)りなり。神功皇后を祭(まつ)れる神前歟(か)。又八幡大神の広前(ひろまへ)に限(かぎ)ることなるを知るべし
   ○阿宇牟(あうん)
仏閣(ぶつかく)の金剛(こんごう)那羅延(ならえん)の二王(わう)ハ。開口(くちをあき)合口(くちをむすぶ)にして。阿宇牟(あうん)を表(ひやう)したり。開口を阿(あ)。合口を宇(ウ)といふ。是(これ)即(すなハち)南無(なむ)なり。南(な)を引(ひけ)バ阿(あ)となり無(む)を引(ひけ)バ。宇(う)となるにて悟(さと)るべし。牟(ん)ハ宇(う)の余(あま)りなり
   ○きちん宿
旅宿(りょしゆく)にきちん宿(やど)きせん宿とあるを考(かんがう)るに。其(そ)ハ木賃(きちん)木銭(せん)といふ言(こと)なり。京大坂又伊勢近江辺ハ。薪(たきゞ)を只(たゞ)に木と云(いひ)割(わり)たるを割木(わりき)といふ。此方(こなた)にて米(こめ)を出(いだ)し焚(たき)貰(もら)ふ故(ゆえ)。木の賃(ちん)木の銭(せん)と云事也
   ○篼(はたご)
契冲云篼ハ馬(うま)に飼(か)ふ物入るゝ籠(かご)なり。旅籠と書も此意なり
 
 
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宇治(うぢ)拾遺(しうい)にはたご馬などいへり。今ハ旅人に宿かす家をはたご屋とのミいひて其外(そのほか)をわすれたり
   ○浮世(うきよ)
うきたる世(よ)と思ひ誤(あやま)る者多し。字(じ)ハ仮字(かりじ)にて憂世(うきよ)と云(いふ)事(こと)也。此うきハ憂(うい)辛苦(つらい)のうき也。まゝならぬ世などゝ同じ
   ○現身(うつゝ)
夢(ゆめ)に対(むか)へて現(うつゝ)といふ如レ常なり。現身(うつゝ)の意ハ天の霊(ミたま)をうつせるなり。さる故にうつし身とも。うつせミともいふ爰(こゝ)にてハ蝉(せミ)の事に不非(あらず)
   ○馬(うま)牛(うし)の声(こゑ)
馬(うま)の声(こゑ)をイ(○)といふ其イ(○)を延(のべ)て啼(なく)故(ゆゑ)イ延(いばゆ)といふ。万葉十二ノ巻に馬声蜂声石花(いぶせ)蜘蟵(くも)と書(かけ)り。又牛鳴(うしなく)を万葉十一巻に。牟(む)の一言に当(あて)たり。牟(む)ハ牛鳴(うしなく)なりと字書に有よし宣長云(いへ)り。今牛の声をモウ(□□)といふモウ(□□)の約(つゞ)め牟(む)なり
   ○職人(しょくにん)
職人ハ公家(くげ)士農工商(しのうこうしやう)皆(ミな)職人なり。今俗(いまのよ)工人(こうにん)を職人と云(いふ)ハ外(ほか)をしらざる故なり
   ○東金(とうかね)
上総国(かづさのくに)東金(とうがね)ハ本(もと)土岐之峯(ときがね)なるを。止宇賀祢(とうがね)と音便(おんびん)に云(いへ)り。元来(もとより)邉田方村(へたかたむら)と云(いひ)しを。土岐(とき)何某(なにがし)城(しろ)を建(たて)て籠(こも)れり。此(この)城跡(しろあと)ハ今の東金新宿岩崎(しんしゅくいはさき)の後(うしろ)の山なり。天正年間(ねんぢう)に酒井(さかゐ)小太良貞隆(さだたか)の居城(きよじやう)なり。後(のち)に邉田方村(へたかたむら)へ隠居(いんきょ)して。此所(このところ)を音便の尽(まゝ)東金(とうがね)と書初(かきそめ)しと。里老の語(かたり)りき
 
 
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   ○保久曽頭巾(ほくそづきん)
橘菴漫筆と云物に曰世俗(せそく)山岡(やまをか)頭巾(づきん)といへる物ハ。元(もと)苧屑(をくづ)頭巾(つきん)也。文録(ぶんろく)以前(いぜん)まで木綿(もめん)の舶来(はくらい)せざる時ハ。下民(けミん)ミな冬(ふゆ)も麻(あさ)の布(ぬの)に芦(あし)芒(すゝき)の穂(ほ)を入て着服(ちゃくぶく)せし故。布子(ぬのこ)と云(いふ)。穂入(ほいれ)と云(いふ)時分(じぶん)ハ麻苧(あさを)を頻(しきり)に用(もち)ふる故。苧屑(をくづ)数多(あまた)出来たり。是(これ)を以(もって)頭巾を製(せい)し。北越(ほくゑつ)山野(さんや)の寒気(かんき)に堪(たへ)ざる民(たミ)常(つね)に着(ちゃく)す。尤(もつとも)夜行(やぎやう)ハ是非(ぜひ)に用ふる故に。古風(こふう)の画(ゑ)に猟師(かりうど)強盗(さんぞく)の類(たぐ)ひ夜行(やぎやう)を専ら(もつば)とする者。着(ちやく)せし処(ところ)を描(かけ)り。元(もと)苧屑(をくづ)頭巾なりしを。転(てん)じて保久曽(ほくそ)頭巾といへり。山岡(やまをか)頭巾ハ弥(いよいよ)真(しん)を失(しつ)せり。これハ三荘太夫(しやうだいふ)が浄留理(しやうるり)より出たりとみゆ。又塗師(ぬし)の許久曽(こくそ)ハ苧屑(をくづ)なりとあり
   ○鰹節(かつをぶし)
同書に鰹節(かつをぶし)ハ松魚干(かつをぼし)或ハ鰹干(かつをぼし)なるべし。文字ハよろしきに随(したが)ふべし。節の字ハ義(ぎ)に当(あた)らねど悪(あ)しき文字ならすと云り
   ○千六本
セロツポの味噌焼汁(ミそやきじる)と云物。京師(けいし)の茶席(ちゃせき)にも用ふ。是(これ)をソロツポ汁などゝ弥誤(いよ〳〵あやま)れり。大根(たいこん)を繊(せん)に切(きり)て味噌(みそ)を焼(やき)て羹(あつもの)とせし物なり。故に繊蘿蔔(せんらふ)汁(じる)と云ふを誤れりと有り蘿蔔(らふ)ハ大根の漢名なり是も同書見(ミえ)たり
   ○股引(もゝひき)
今世の股引ハ股佩(もゝはき)なりと兵具(ひやうぐ)俎談(そだん)にありと同書に書たり
   ○鹿嶌立(かしまだち)
鹿(か)しまだちハ令(あかし)レ明立(まだち)なり。阿(あ)ハ省(はぶ)く例(れい)なり。朝(あさ)早(またき)に立(たつ)事(こと)なるを。鹿嶋てふ字(じ)に泥(なづ)ミて。鹿嶌の神の事にいへるハ皆(ミな)非言(ひがごと)也。
 
 
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万葉に阿加志(あかし)を令(あか)レ明(しめ)と書(かけ)りメとマと相通なり
   ○船風(ふねかぜ)なとの差別(けじめ)
舩(ふね)。風(かぜ)。酒(さけ)。竹(たけ)。手(て)。苗(なへ)。目(め)。金(かね)。此類(このるい)の言(こと)物の上に有(ある)時ハ必(かならず)。布那(ふな)。加謝(かざ)。佐哿(さか)。多加(たか)。多(た)。那波(なハ)。麻(ま)。加奈(かな)と云(いふ)例(れい)なり即(すなハち)。船子等(ふなこども)。風車(かざくるま)。酒盛(さかもり)など下(しも)皆(ミな)同じ。物の下に有ル時ハ。何舩(なにぶね)某風(なにかぜ)と云例なり。今俗(いまのぞく)に此(この)例を知(し)らで竹屋(たけや)。船宿(ふねやど)など書(かく)ハ皆(ミな)非言(ひかごと)なり。四ノ音より転(てん)じて一ノ音となる例なり。是余(このよ)も数多(あまた)此類(このたぐひ)の言(こと)有べし皆是にならふ
   ○甲子灯心(きのえねとうしん)(※註1)
近来(ちかきころ)甲子日(きのえねのひ)に灯心(とうしん)を売(うり)歩行(あるき)て。甲子灯心〳〵と呼(よぶ)。昔(むかし)ハなきことなり。其(そ)ハ甲子庚申(こうしん)と云から庚申を灯心と思ひて売也
 
註1 甲子灯心 十干十二子を組み合わせたものの第一番目で物事の始まりとして重んじ、甲子の日子の刻(午後一一時から午前一時)まで起きていて商売繁盛などを願い大黒天をまつり待つ夜にともす灯心。
 
   ○晦日蕎麦(ミそかそば)
江戸の町家(まちや)にて近来(ちかごろ)月々の晦日(ミそか)に。何(なに)の事(こと)とも知らず蕎麦(そば)を喰(く)ふ物と心得(こころへ)て。我(われ)も人(ひと)も喰(く)ふ事となれり。是(これ)ハ箔屋(はくや)にて味噌(ミそ)を焼(や)く香(か)のすれバ。金(かね)延(のび)ぬ故(ゆゑ)味噌(ミそ)を焼事(やくこと)を禁(いましめと)す。隣家(となり)などにて味噌(みそ)を焼(やく)香(か)のする時ハ。家内にて蕎麦(そば)を食(くふ)す。其時(そのとき)彼(か)の味噌を焼(やく)香(か)の消(きえ)て金よく延(のぶ)となん。或(ある)人の語(かた)りし故に味噌香蕎麦(ミそかそば)といふ事を。三十日蕎麦と思ひ誤(あやま)りて喰(く)ふ事とハなりぬ
   ○べい〳〵詞(ことハ)
べいといふ詞ハ可(べく)の音便(おんびん)にして。中昔(なかむかし)の詞(ことば)なり。さるを今の京人(ミやこひと)。関東(くわんとう)べいなどゝ賤(いや)しむるハ。皇国(ミくに)の書(ふミ)も見ぬ文亡人(もんもうじん)のいふ言なり。抑(そもそも)べい(□□)と云言ハ。源氏ノ物語行幸巻に。ぎしきなどあべい(□□)かぎりに云々又真木柱(まきばしら)の巻に。子たちのおひさきとほうてさすがにちり
 
 
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ぼひ給ハん有様どものかなしうもあべい(□□)かな。とあり又紫式部日記の中宮御産の処(ところ)に。おり物ハかぎりありて人の心にしくべい(□□)やうなけれバ云々と有り猶此外にも多く有べし
   ○黒木(くろぎ)
黒木ハ山より伐出(きりいだ)したるまゝの木を云(いふ)。此(これ)を板(いた)に挽(ひく)か柱(はしら)に木(き)どりて。鏨(かんな)に掛(かく)るを精(しらべる)といふ。黒木に対(むか)へて云なり。山城(やましろ)の八瀬大原(やせおほはら)の里(さと)人(ひと)牛(うし)に負(おハ)せて。京に出て売(うる)黒木即(すなハち)是(これ)なり。古(いにしへ)ハ内裏(だいり)を黒木にて造(つく)れり。日本紀に齊明天皇(さいめいてんわう)土佐国(とさのくに)朝倉(あさくら)(※註2)に黒木御所(くろぎのごしょ)を造(つくり)たまふ。奈良帝(ならのミかど)も黒木の御所の大御歌(おほミうた)あり万葉八に
波太須珠寸(ハタスヽキ)尾花逆葺(ヲハナサカフキ)黒木用(クロキモテ)造有室者(ツクレルヤドハ)迄万代(ヨロヅヨマデニ)   元正天皇御製
青丹吉(アオニヨシ)奈良乃山有(ナラノヤマナル)黒木用(クロキモテ)有造室戸者(ツクレルヤトハ)雖居座不飽可聞(ヲレトアカヌカモ)   聖武天皇御製
 
註2 土佐国朝倉 高知市朝倉に鎮座する朝倉神社で、祭神は天津羽羽神・斉明天皇。「延喜式」神名帳に土佐五座の一として「朝倉神社」が見える。「日本書紀」斉明天皇七年七月二四日條の「天皇、朝倉宮に崩りましぬ」の記事を当社のこととする説が古くから行われてきた。明暦四年(1685)林春斎の記した土佐国朝倉宮縁起も、斉明―天智天皇頃の百済派兵と合わせて当社にあてている。現在、「日本書紀」の記す朝倉宮は福岡県朝倉郡朝倉町に比定、定説となっているが、当社付近にはこの記事およびそれから派生した伝承にちなむ地名がある。
 
   ○雁(かり)がね
鴈(かり)ハ鳥の名。鴈がねといふ時ハ。啼声(なくこゑ)を云(いふ)なれど。鴈がねといふ鳥の名のやうになり来(きた)れるなり。加里(かり)ハ加計里(かけり)の中略。我(が)ハ之(の)に通(かよ)ふ辞祢(てにをハね)ハ音(ね)なり。万葉に鶴之音(タヅがね)鴨之音(かもがね)。中昔(むかし)に鶯(うぐひす)の初音(はつね)などいふ音(ね)なり。万葉十三十八丁に多頭我鳴乃(タヅがねの)今朝鳴奈倍爾(けさなくなべに)雁鳴者(かりがねハ)云云又八に今朝乃且開(けさのあさけ)。雁之音寒(かりがねさむく)聞之奈倍(きゝしなべ)。野邉能浅茅曽(のべのあさぢぞ)。色付丹来(いろづきにける)又十に雁之鳴乎(かりがねを)。聞鶴奈倍爾(きゝつるなべに)。高松之(たかまどの)云云又九に弓削皇子奉歌(ゆげのミこにたてまつるうた)三首といふ中に。古今集秋上ニ出佐宵中等(さよなかと)夜者深去良斯(よハふけぬらし)雁音乃(かりがねの)所聞空(きこゆるそらに)月渡見(つきわたるミゆ)又八に今朝之且開(けさのあさけ)雁鳴聞都(かりがねきゝつ)春日山(かすがやま)云云又古今集に友則秋風に初鴈がねぞ聞ゆなるたが玉章(づさ)をかけて来つらん之等(れら)皆(ミな)雁(かり)が音(ね)の意なり。又音をなくとよみしハ人の上にも鳥虫などにもよむ也同集
 
 
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春霞かすみていにし鴈がねハ。今ぞ鳴なる秋霧(あきゞり)の上に。又夜を寒(さむ)ミ衣かりがね鳴(なく)なべに。萩(はぎ)の下葉(したは)もうつろひにけり。又うきことを思ひつらねて鴈がねの。啼(なき)こそ渡(わた)れ。秋の夜な〳〵。などあり又万葉に雁金(かりがね)てふ鳥の意なる歌もあり。そハ鴈がねの来啼(きなき)しなべに。又鴈がねの声きくなべに。又鴈がねの寒く啼従(なくなべ)などあり。此等(これら)ハ其(その)ころより然(しか)云(いひ)ならハしけん
   ○亀(かめ)酒(さけ)を好(この)む
世俗亀を捕(とらへ)て放(はな)ちやらんとする時。酒を飲(のま)するハ誤(あやま)りなり。亀ハ酒を好(この)む物に非(あら)ず。其(そ)ハ上古(むかし)酒を醸(かも)して甕(ミか)にいれおくなり。此甕(ミか)ハ即(すなハち)今の世の瓶(かめ)なり。瓶(かめ)ハ酒を入るゝ器なれば亀も同音故。亀ハ酒を好むと心得たる誤りなり。人さへ酔(よふ)を亀の腹へ酒の入なば死すべし。毒(どく)を呑(のま)するに同じ
   ○おくかない
今の世に畏(おそろ)しき事を。おくかないといふハ。俚言(ぞくげん)に非(あら)ず古言(こげん)なり。奥所(おくところ)無(なき)と云言にて。おくか(○)のか(○)ハ所(ところ)の古言にて。おく深く果(はて)のなき意(こころ)なり。其(そ)ハ万葉集十二二十丁に念出而(おもひでゝ)為便無時者(すべなきときハ)天雲之(あまくもの)奥香裳不知(おくかもしらず)恋乍曽居(こひつゝぞをる)又同巻三十四丁に霞立(かすミたつ)春長日乎(はるのながびを)奥香無(おくかなく)不知山道乎(しらぬやまぢを)恋乍可将来(こいつゝかこん)又十三十四丁に於久鴨不知(おくかもしらず)云云又十七八丁に於久香之良受母(おくかしらずも)又大海乃(おほうミの)於久可母之良受(おくかもしらず)と有
   ○たから
宝(たから)といふハ本(もと)。田刈(たかり)より出たる名にて稲(いね)を云べし。それよりうつりて金銀(きん〳〵)珠玉(しゆぎよく)をも宝といふ也。字(じ)ハ借物(かりもの)にして
 
 
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我国(わがくに)の多加良(たから)といふ詞(ことば)へ。唐(から)の宝(ほう)といふ字(じ)を当(あて)たる物なり
   ○鍵(かぎ)
宝(たから)の中(うち)の鍵(かぎ)ハ日本紀に天智天皇の御世三年に近江国粟(栗)田郡(※註3)に磐城(いはきの)。村主(すぐり)(※註4)。殷(いん)といひし人の妻(つま)。家(いへ)の庭(にハ)に出たりしに。前へ空(そら)より鑰匙(かぎ)二ツふり来(きたり)けるを取(とり)て夫の殷(いん)にあたへける。それより其家(そのいへ)富(とみ)栄(さかえ)たりし事見えたり。是よりや世にめでたき宝として絵(ゑ)にもかく事にハなりけむ。
 
註3 栗田郡 「日本書紀」雄略天皇一一年五月一日條に白鵜が出現との近江栗太郡の報告、天智天皇三年(664)一二月條に「栗太郡人磐城村主殷」という例がある。
註4 村主 村長の意。主として渡来系の諸氏が称した。
 
   ○宝珠(ほうじゅ)
俗宝珠(ほうしゅ)の玉(たま)といふ。珠(しゅ)ハ玉なれバ玉といふ事重(かさ)なれり。此(これ)を如意(によい)宝珠(ほうじゆ)とも云て。暦(こよミ)の初メに見えたり。此珠(たま)を宝と云のミ見たる人もなし。故(かるがゆゑ)に考るに女人の陰門(いんもん)の形(かたち)なり。人の出身の門なれバ也かくいふハ神家仏家の秘事(ひめごと)なるべし。社頭(やしろ)の鈴(すず)ハ陽(やう)にして男根(なんこん)の貌(かたち)を表(へう)したり。垂(たれ)の布(ぬの)ハ六尺にして。犢鼻褌(したおび)を表せり。鳥居(とりゐ)ハ女の胯(また)也。額(がく)ハ陰門(いんもん)なり。額の後(うしろ)の柱(はしら)をさね柱といふ。さて仏堂の鰐口(わにぐち)(※註5)ハ陰門なり。是も垂布(たれぬの)六尺にて下帯(したおび)を表(へう)したり。又木魚(もくぎよ)ハ男根。鉦(かね)ハ陰門なり。神仏を拝(はい)するに諸手(もろて)を合するハ。是男女男左女右和合(わがふ)の貌(かたち)にして。子宝(こだから)を得ん為なり。皇国(ミくに)にてをがむといふことハ。をれかゞむにて。平伏(へいふく)する事なり。手を合するハ西戎(てんぢく)の拝礼(はいれい)なり。さて又男根をちんぼうと云ハ珍宝(ちんぼう)の意也。人妻を敬(うやまひ)て内宝(ないほう)といひ又万葉十六八丁に女を宝之子等(ら)といふも子宝を得(え)ん為の名なり奥州路に道祖神(さえのかミ)(※註6)の祠(ほこら)おほくありミな石にて作りたる男根なり人胤のたえぬを本(もと)とせり
 
註5 鰐口 社殿・仏堂正面の軒下につるす金属製の音響具。
註6 道祖神 村境にあって外部から村落へ襲来する疫神や悪霊などをふせぎ止めたり、追い払ったりする神。また、行路の神、旅の神、生殖の神ともされる。
 
 
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   ○打出の小槌附大黒天
大黒天ハ七福神の一神にて。陰(いん)の神なり。北ハ陰にして子ノ方なれバ鼠(ねずミ)を令遣(つかハしめ)とす。夜の九ツ時なり。男女の房事(ぼうし)を陰事(いんじ)といふ。合交(かふかう)を司(つかさ)どる神なれバ。持(もち)給ふ小槌(こづち)ハ子宝を打出(うちいだ)すなり。打出の子槌なり。槌(つち)ハ陰門の形なり。小口宝珠(ほうじゆ)なり甲子(きのへね)に黒豆(くろまめ)の飯(いひ)をたくハ。黒ハ陰(いん)。豆ハ女の陰を表したり俗。女の陰を豆といふにてさとるべし大黒天の俵(たわら)を踏(ふ)まへ給ふハ。米ハ人命を司(つかさ)どる物なれバ。第一に是をふまえ給ふなり
   ○隠蓑(かくれミの)隠笠(かくれがさ)
是ハ男根を隠笠(かくれがさ)といひ陰門を隠箕(かくれミの)といふ。秘事(ひじ)なり
   ○福といふこと
福(ふく)ハ豊盈(ふくるゝ)より出たり。囊(ふくろ)も布袋(ほてい)和尚も。豊盈(ふくれ)たるをもつて云布袋の小供(こども)を愛(めづ)るハ子宝を愛るなり。体(たい)豊盈(ふくよか)なれバ七福の一神なり
   ○雑煮(ざふに)
正月元日に家〳〵雑煮を食(くふ)といへども其(その)故(ゆゑ)よしを知らず。抑(そも〳〵)雑煮(ざふに)といふことハ。餅(もち)を煮(に)て食事にハ非(あら)ず。大晦日迄の食物の残りたる種々(くさ〳〵)の物。色々(いろ〱)取集(とりあつめ)味噌汁(ミそしる)の残りたる中へ打(うち)込(こミ)。もちもあれバ共に入(いれ)交(まぜ)て煮て食ふを雑煮と云(いふ)也。此(これ)ハ春(はる)の初(はじ)めの日なれバ。年中斯(かく)あれかしと専(もハら)倹約(けんやく)を宗(むね)として食事なり。七種(くさ)の粥(かゆ)十五日の小豆粥(あづきがゆ)など。皆(ミな)倹約(けんやく)の初めなり。故(ゆえ)に京大坂凡(すべ)て上方(かミかた)にてハ。年中朝ハ前日(まえび)の茶(ちや)の残りたるにて。
 
 
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茶粥(ちゃかゆ)を食するなり。冥理(みやうり)に叶(かなふ)といふべし。雑といふことハ種々のものと云意にて。雑吸(さふすひ)なども種〳〵の物を入て煮(に)てすゝるを雑吸とハ云なり味噲汁に不レ限そこら。こゝらを拭(ふく)を雑巾(ざふきん)といふ
   ○始末(しまつ)倹約(けんやく)
世(よ)に始末(しまつ)倹約(けんやく)を一ツ物と心得たる人多し。始末ハ初(はじ)め終(をハり)といふ意(こゝろ)。倹約ハつゞめつゞむといふことなり。抑(そも〳〵)始末ハ天理(てんり)なり。人ハ朝夕(あさゆふ)始末の放(はな)るゝ事ハなき物なるを。やゝもすれバ始(はじめ)ありて末(すゑ)なき事あり。天理に脊(そ)向(むく)を知らぬなり。朝(あさ)。日輪(ひ)東(ひがし)より出るハ始(し)なり夕(ゆふ)べに西(にし)へ入が末(まつ)也。夜(よ)が明(あく)るが始(し)。日か暮(く)るゝが末(まつ)。起(おき)るが始。寝(ね)るが末。家具(どうぐ)を取出すが始。取納るが末。生るゝが始死が末。万事に付て始末の放(はな)るゝ事ハなき物なり。人の許(もと)にて金銀(きん〴〵)借(か)れバ。借(かる)時が始にて返(かへ)す日が末也。其返(かへす)べき日に返さゞれば。始末(しまつ)相当(さうたう)せぬ故。借(かり)たる人の家前(まへ)ハ通り難し。是天理に背(そむく)故斯(かく)の如し。其外傘(からかさ)挑灯(てうちん)風呂敷(ふろしき)等。借時ハ雨にぬれず。闇(やみ)の夜も明(あか)るく。持(もち)悪(にく)きも包ミて持よく乱(ミだ)れぬハ大恩(おん)なり。此恩をわすれて借(かり)たる物も返(かへ)すをわすれ。後にハおのが物となすやから多し。皆天理に背(そむく)罪(つミ)人なり。傘ハよくほして畳(たゝミ)こよりにて結(むす)び挑灯ハ蝋燭(ろうそく)を付(つけ)。風呂敷ハ皺(しハ)をのしたゝミて厚(あつ)く礼(れい)を述(のべ)て返すが始末相当といふべし。神仏に供物(くもつ)を備(そな)へても下(さげ)るをわすれ。上たる物御酒(ミき)ハ酢(す)に返り。備(おそなひ)は鼠の餌食(えじき)となるぞかし。返(かへり)て上ざる方勝(まさ)るべし。障(さは)らぬ神に祟(たゝり)なしといへり。客(きゃく)へ膳(ぜん)を居(すゑ)て下(さげ)ざると同じ。其(その)無礼(ふれい)なるを知らぬずうか〳〵とする故たちまち祟(たゝり)を冠(かふむ)るも是非(ぜひ)なき事共なり
 
 
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   ○髪(かみ)さげ虫(むし)
四月八日江戸の家〳〵にて。釈迦(しゃか)の甘茶(あまちゃ)にて墨(スミ)を摺(すり)〽ちはやぶる卯月八日ハ吉日よ。かミさげ虫をせいばいぞする。といふうたを紙に書て。家内の柱(はしら)其外へも逆(さか)しまに張(は)れバ。虫を除(よく)る咒(まじなひ)なりと。亭中(ざしき)へも張(はる)事とハなりぬ。抒(そも〳〵)髪(かみ)さげ虫といふハ。雪隠(せついん)に居(ゐ)る蛆虫(うじ)のことなり。田舎(ゐなか)の蛆(うじ)ハ尾(を)有(あり)て長き故(ゆゑ)。尾長蛆(をながうじ)といふ。夫(それ)を訛(なまり)りて。うながうじといふ。又其(その)尾(を)を髪(かミ)に見立て。髪下虫(かミさげむし)とハ云なり。さて右にいへる咒(まじなひ)の歌ハ。雪隠(せついん)へ這(はひ)あがらざるやうにとて。雪隠へ壱枚(まい)張(はる)べき物を。家内へ張(はる)ハ。諸虫(むし)の出ぬ咒と心得たる誤(あやま)りなり。亭中(ざしき)などへハ出る物に非(あら)ず
   ○お袋(ふくろ)おかみ御新造(しんざう)
世俗(せぞく)に女の年(とし)老(おい)たるをお袋(ふくろ)といふこと。中原の康富記(やすとミのき)(※註7)に享徳四年正月九日今暁室町殿ノ姫君誕生也。御袋(おふくろ)大館兵庫ノ頭ノ妹也とあり。東山義政(ひがしやまよしまさ)公御代に初て見えたり。其外古き物には見えず。お袋と書(かく)ハ借字(かりじ)にて御福呂(おふくろ)なり。呂(ろ)ハ添(そへ)ていふ辞(ことば)なり。福と褒(ほめ)て云(いふ)言(こと)にて御(お)ハ尊敬(うやまひ)なり。凡(すべ)て御といふ時にハ様(さま)といはず。御福呂にて足(たれ)り。それをお袋様おかミ様などゝ云(いふ)ハ。御のことを知らぬからの誤(あやまり)なり。たゞお袋又上様(かミさま)にて尊(たふと)ミて云(いふ)詞(ことば)なり。又おかみさまといふハ御上(おんかミ)の意(こゝろ)なれバ。此上もなき尊称(たふとミな)なり。神も上(かミ)の転語(てんご)也。又御新造(ごしんざう)というハ御深窓(こしんそう)の意(こゝろ)にて。漢籍(からのふミ)に深窓(しんそう)にそだちて。などいふ深窓(しんそう)なれバ。奥様(おくさま)と云に同じ。奥様ハ家(いへ)の奥(おく)に居(ゐ)る故(ゆゑ)。奥と云。又北(きた)の方(かた)といふハ凡(すべ)て人の家(いへ)ハ。南表(ミなミおもて)に建(たつ)るが定法(さだまり)にて。源氏(げんじ)
 
 
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物語(ものがたり)など。其外にも南表(ミなみおもて)の事あり。其南表の奥に住(すむ)故(ゆえ)北(きた)の方(かた)とハいふなり。又娘(むすめ)の事をおじやう様と云も。嬢(じやう)の字(じ)の音(こゑ)を云(いふ)言(こと)にて娘(むすめ)といふ事なり。是も御孃(おじやう)にて尊(たふと)ミハ足(たる)なり。凡て女の名にお某(なに)といふハ尊(たふとミ)て云めれど。下(した)へさまといはねバ無礼なる様に聞ゆれバ。おしなべて御某様といふこととハなれり。公儀も御公儀にて宜敷を又様と書ハ重(かさな)れり。然(さ)る故に武家にてハ上に御とあれバ様とハ不書(かゝず)御公儀とのミ書(かく)なり
 
註7 康富記 権大外記の中原康富(1400頃)―長禄元年(1457)の日記。一五世紀前半の室町幕府・朝廷などに関する史料として貴重。中原康富記。正五位下。有識故実に通じ、学問にもすぐれ、伏見家や花山院家など多くの公家の子弟を教えたほか、和歌・連歌の会にも参加した。
 
   ○文字(もじ)
文字ハ本(もと)。皇国(ミくに)になし。人皇(にんわう)(※註8)七代(しちだい)孝霊天皇(かうれいてんわう)の御宇(きよう)(※註9)。漢(から)より渡るとぞ。世の中の通用(つうよう)の為(ため)にハ至(い□□)(虫損)てよき物なれバ。皇国(ミくに)の詞(ことば)に当(あて)て奴(やつこ)として遣(つか)ひし物なり。然(さ)る故(ゆゑ)に万葉集ハ字意(じのこゝろ)に拘(かゝハ)らず。見つるかも(□□□□□)といふ言(こと)へ見鶴鴨(ミつるかも)の字を借(かり)用(もち)ふる如(ごと)く。此外も推(おし)てしるべし。教書(をしへぶミ)を始(はじめ)て凡(すべ)ての漢籍(からぶミ)ハ読(よむ)に煩(わずらハ)しく。上中下三段の中へ甲乙丙丁の返(かへ)りを付(つけ)て。読惡(よみにく)きやうにしたるハ。如何(いか)なる佞心(ねしけこゝろ)ぞや。是(これ)にて異国(ことくにの)人の心おしはかりて知らるゝなり。今の儒者(じゅしゃ)ども教道(をしへのミち)ハ口(くち)に云(いへ)ど。専(もハら)漢字(からもじ)のよめるを鼻(はな)にかけ。人を眼下(めのした)に見るハかたはらいたし。皇国(ミくに)に生(うまれ)て皇国に住(すむ)人ハ。皇国の事を知らねバならず。其(そ)をおのが国の五十連音仮名(いつらのこゑかな)の定例(さたまり)。歌(うた)の例(のり)。辞(てにをは)の定(さだ)などの事ハ儒者ハしらぬが多きぞかし。喩(たとへ)バ我家(わがいへ)の作法(さほう)を知(し)らで。向(むかひ)の他家(いへ)の作法を知ると云に同じ。苟(かりそめ)なる消息文(せうそこふミ)も草(さう)の手(て)に書(かき)て。我(われ)ばかり読(よ)めて人にハ不読(よめぬ)なり。人によめぬ消息なら無筆(むひつ)にハ劣(おとる)といふべし。無筆なら借筆(かりふで)にて用(よう)ハ弁(べん)ずれども。整(なまじひ)にかく
 
 
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によりて。人を窘(こまら)すといふ物なり。字ハ誰(たれ)にもよくわかりて。よみ安きが専(せん)一にして字の本意なり。皇国の書(ふミ)も書紀(にほんぎ)ハ舎人親王(とねのミこ)のかゝせ給ふ書(ふミ)なれど。漢籍(からぶミ)のさまに物し給へれバ。読(よむ)に煩(わつらハ)し。皇国の書ハ皇国の詞(ことバ)なるぞよき。漢国(から)ハ表(おもて)を餝(かざり)て心黒(きたな)し。彼国(かのくに)の物語(ものがたり)書(ふミ)ハ皆(ミな)餝(かざり)にて偽(いつはり)多(おほ)く。別(わき)て廿四孝など理(ことわり)に違(たがひ)たる偽(いつはり)多し。今の世ハ皇国の人皆。漢(から)人の心になりたるハいと浅ましきことにあらずや
一年雪(ひとゝせゆき)のふりけるあしたに
   塵芥(ちりあくた)下にうずミて美(うつく)しき人の心の雪の明ぼの
 
註8 人皇 神代と区別して、神武天皇以後の天皇をいう語。
註9 御宇 天子の治め給う御世。
 
   ○仏(ほとけ)に生花(いけばな)を奉る
草木(くさき)ハ非情(ひじやう)にして生物(いきもの)なり。其(そ)をきりて水に活(いけ)て仏に奉るハ殺生(せつしやう)といふべし。仏に心あらバ嫌(きらひ)給ふべし。水にさゝれたる草木の心になりて見るべし。然(さ)ぞ苦(くる)しからん。なれども昔(むか)しより名僧(めいそう)たちの仕置(しおか)れたることにしあれバ。今さらいふも詮(せん)なきことなり。活花(いけはな)を楽(たの)しむも本意(ほい)なき業(わざ)なり。草木ハ生立(おひたち)のまゝなるか直(すなほ)にしてよきを。折曲(をりまげ)て貌形(ふり)をつけ面白(おもしろ)しなど云(いふ)ハ。殺生(せっしやう)をして楽(たのし)むと同じ。徒然草(つれ〴〵ぐさ)に曰(いふ)。資朝卿(すけともきょう)(※註10)東寺の門に雨(あま)やどりせられたりけるに。畸人(かたハもの)ども集(あつま)り居(ゐ)たるが。手(て)も足(あし)もねぢゆがみ。うちかへりていづくも不具(ふぐ)に異(こと)やうなるを見て。とり〴〵に類(たぐ)ひなき曲者(くせもの)なり。尤(もとも)愛(あい)するに足(たれ)りと思ひて。守(まも)り給ひける程に。頓(やが)て其(その)興尽(きやうつき)て。見悪(みにく)くいぶせく(※註11)。おぼえければ。只(たゞ)素直(すなほ)に愛(めづ)らしからぬ物にハしかずと思ひて。帰(かへ)りて後(のち)。此間(このあひだ)植木(うゑき)を好(この)ミて。異(こと)やうに曲折(まげをり)あるを求(もと)めて眼(め)を悦(よろこ)ばしめつるハ。彼畸人(かのかたハもの)を愛(あい)するなりけりと興(きやう)なく覚(おぼえ)けれバ。鉢(はち)に植(うゑ)られ
 
 
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たる木ども皆(ミな)掘捨(ほりすて)られにけり。さも有(ある)べき事なりと有(あり)
 
註10 資朝 正応三年(1290)―元弘二年(1332)。父は権大納言正二位日野俊光。資朝1324年三十五歳で権中納言となり、同年九月後醍醐天皇の鎌倉幕府追討の謀が暴露したため、六波羅に捕えられ(正中の変)鎌倉に護送された。翌年佐渡ケ島に配流されたが、元弘の乱の勃発により後醍醐天皇が隠岐に流されたとき、元弘二年(1332)六月、配所で斬られた。四十三歳。資朝について徒然草で第百五二・百五三・百五四段に書かれているが、ここに記載されているのは百五四段である。
註11 いぶせく いとわしく、きたない。恐ろしく、気味がわるい。
 
   ○茶湯(ちゃのゆ)
茶湯ハ人の交(まじハ)りを厚(あつ)くし。掛物(かけもの)など古画(こぐわ)古筆(こひつ)を好(この)むハ吉(よ)けれど。茶碗(ちやわん)の古(ふる)きを好むこそ心得(こゝろえ)ね。其(そ)ハ屠児(ゑた)癩病(らいびやう)又ハ非人(ひにん)などの呑古(のミふる)しゝにや知らず。それを価(あたひ)尊(たふと)く買求(かひもと)めて。貴人(きにん)高位(かうゐ)の方(かた)の愛(めで)て。自(ミづから)ものミ客(きやく)にものますハ。気違(きちがひ)の所行(おこなひ)にあらずや。凡(すべ)て飲食(のミくひ)の器財(うつは)ハ新(あた)らしく清(きよ)きこそよけれ。太宰(だざい)が春台(しゆんたい)(※註12)雑話(ざつわ)にも。茶湯を難(なん)じて此事(このこと)を書(かき)たり
   ○墓(はか)に莽(しきミ)をさす
莽(しきミ)ハ毒木(どくぼく)なり。此実(ミ)を喰時(くふとき)ハ即(すなハち)死(し)す。鼡(ねずミ)など喰(くら)へバ即時(そくじ)に死(し)せり。然(さ)る故(ゆゑ)に悪敷実(あしきミ)といふを。あを省(はぶ)きてしきミとハいふなり。田舎(ゐなか)にて死人を埋(うつ)むれバ狼(おほかミ)来り掘(ほり)出して喰(くら)へり。是を防(ふせ)がん為(ため)に埋(うつ)みし所へ莽(しきミ)をさせバ。狼毒(どく)を恐(おそ)れて掘らずと云(いへ)り。此故に死人に莽を用ふるなり。然(さ)るを江戸の墓所(はかしよ)に莽を刺(さす)ハ如何(いかゞ)なり。凡(すべ)て草木(くさき)の花を手向(たむく)るこそよけれ。返(かへつ)て田舎(ゐなか)の墓処(はかしよ)ハ莽なき故。木草の時の花を手向るなり。莽の事(こと)を。花といふも如何なり。此葉(は)を干(ほし)細末(こまかく)して抹香(まつかう)線香(せんかう)を製(せい)し。仏(ほとけ)に炷(たき)て手向れバ。不浄(じやう)を除(よぐ)といへど。よき香(か)にもあらず
 
註12 太宰春台 延宝八年(1680)―延享四年(1747)。江戸時代中期の儒学者。春台は号で、名は純。通称は弥右衛門。本姓は平手で、織田信長に仕えた平手政秀の子孫であるという。加賀藩家老横山氏に仕えていたが、父言辰は太宰氏の養子となり信濃飯田の城主堀氏の家臣となつたが、飯田藩士を改易され一家で浪人して江戸へ出て学問を修める。但馬出石・下総生実藩に仕官したが辞し、荻生徂徠の門に入る。その秀才と剛気は孔子の弟子子路になぞらえられた。学者としての名声が高まるにつれ本多伊勢神戸藩主・柳沢越後黒川藩主・黒田上野沼田藩主ら大名の尊信を受け、その扶持を受けて生活を支えた。著書は多く「論語古訓」「孔子家語増注」「詩書古伝」「経済録」「聖学問答」など。日本に「経済」といふ言葉を広めた人物でもある。
 
   ○酒盛
人の家の祝(いは)ひ事有時ハ。客(きやく)を招(まね)きて酒を饗応(もてなす)に。ほどよく飲(のま)しむるこそ饗応(もてなし)の本意(ほんい)なれ。下戸(げこ)の客ハ酔(ゑひ)て後(あと)の苦(くる)しけれバ。飲(のむ)まじとするを。強(しひ)て飲(のま)するこそ心得ね。身(ミ)の
 
 
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分量(ほど)より過(すぐ)す時ハ。帰(かへ)る道(ミち)に行倒(ゆきたふ)れ。雨(あめ)の降(ふる)時ハ衣類(いるい)を穢(けがし)し。甚(はなはだ)しきハ堀(ほり)。川(かハ)などへ倰僜(よろめき)落(おち)て死(し)するも不知(しらず)。客を仇敵(あだがたき)とするに等(ひと)し。其(そ)を饗応(ちそう)と心得(こゝろえ)たるハ乱心(きちがひ)に似(に)たり。信実(しんじつ)の心あらバ。酒ハ過(すぐ)さぬやう程(ほど)よく呑(のミ)給へ。過す時ハ御身の毒(どく)となる也。今日の祝ひに各々方(おの〳〵がた)に毒(どく)を飲(のま)しむるハ。我(わか)祝(いは)ひにあらず。程(ほど)よく飲(のむ)時ハ百薬(やく)の長(ちやう)たり。程(ほと)能(よき)饗応(もてなし)を我(わか)本意(ほんもふ)とせり。というこそ実(まこと)の心なれ。其(そ)ハ本(もと)客ハ辞宜(じき)して食飲(くひのミ)を少(すくな)くする故(ゆゑ)強(しひ)る事(こと)とハなりたり。客ハ饗応(もてなし)にあづからバ飽(あく)まで飲食(のミくひ)ハすべき事なり。人を招(まね)きて饗応(ちそう)するに惜(おし)む主(あるじ)やある。惜(をしむ)心あらバ饗応(もてなし)ハせぬなり。其外(そのほか)常々(つね〳〵)人の許(もと)へ行て饗応(ちそう)にあハヾ。辞宜(じき)をやめて出す物を。我好む品(わかすくもの)なれバ。格別(かくべつ)の御持(もて)なしなりと。褒(ほめ)て沢山(たくさん)喰(くふ)べき物なり。饗応(もてなし)の品(しな)を気毒(きのどく)などゝ思ひて不食(くはぬ)ハ返(かへつ)て主人(あるじ)不敬(けい)となるを不知(しらず)。沢山饗応に預(あつか)りて。又我家(わかや)へ来(きた)□□(虫損)時。厚(あつ)く饗応(もてなす)べし。此外江戸の商人の蛭子講(ゑびすこう)。田舎(いなか)の祝(いは)ひ事に。飯(いひ)を高(たか)く盛(もり)て多(おほ)く食(くハ)するも。同日の論(ろん)にして。只(たゞ)人を苦(くる)しましむるを祝ひとするハ愚(おろか)の甚敷事(はなはだしきこと)なり。只(たゞ)人の身の為(ため)を思ひ毒(どく)になることハ去(さ)りて。薬(くすり)に成(なる)物をほどこし度(たき)ものなり
   ○音曲(おんきよく)并作者(さくしや)古今論(こきんのあげつろひ)
音曲ハ儀(ぎ)太夫浄瑠理(じやうるり)こそ面白(おもしろ)けれ。作者ハ近松(ちかまつ)門(もん)左衛門。竹田出雲(たけだいづも)。近松半二(ちかまつはんじ)。此三人を置(おき)きて次(つぎ)〳〵下(くだ)れる世々作者共数多(あまた)ありといへ共。てにをはも知らず。仮名遣(かなつかひ)も弁(わきま)へず。聞(きく)人も知らず。天明寛政の頃(ころ)まで作者有りといへ共。今文政天保に至(いた)りてハ作者絶(たえ)てなし。
 
 
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戯場(かふきしばゐ)の狂言(きやうげん)作者ハ。桜田治助(さくらだぢすけ)。並木(なミき)五甁(へい)。学力(がくりき)ハなしといへ共。作方(つくりかた)面白(おもしろ)し。今時の狂言作りハ。てにをはといふ物有りなしも知らず。仮名(かな)ハゐ(▯)もい(▯)も一ツ物と心得。本末(もとすゑ)も合(あハ)ぬ浄瑠璃。長歌を作り。多くハ古人の文句(もんく)を抜取(ぬきとり)て作るハ。かたハらいたきわざなり。そハ才(ざえ)の短(ミじか)き故(ゆゑ)なるべし。狂言も始(はじめ)に出たる人末(すゑ)に見えず。別(わき)て顔見世(かほミせ)など。景様(けいやう)よき見えのミありて。本末(もとすゑ)合(あハ)ず。いとも〳〵みだりなり。今の世学(まなび)の道(みち)を初めにて。工人(てびと)の業(わざ)。書画(しよぐわ)。菓子(くわし)の製(こしらへ)。凡(すべ)ての物よく開(ひらけ)たるを。浄瑠璃作者。狂言作者の衰(おとろへ)。又俳優(やくしや)に妙手(めいじん)なる者なし。相撲(すまひ)ハ谷風没(ぼつ)してより以来(このかた)ちひさし。今の初段ハ昔(むかし)の三段位なりけらし。戯場(しばゐ)浄瑠璃(じやうるり)ハ。江戸半太夫河東(かとう)。又都太夫一中(いつちう)などハ品(ひん)よく聞ゆるを。都路豊後録(掾)より豊後節(ぶし)と云(いひ)て。賤(いや)しく劣(おと)れるを。二流になりて。冨本(とミもと)。常磐津(ときハづ)といふ。常磐津の方ハ聞(きゝ)よけれども冨本ハ賤(いや)しく。又冨本より清元(きよもと)といふ□(虫損)の出て。是ハ無下(むげ)に賤(いや)しく新内節(しんないぶし)てふ物と同じくて。聞(きけ)バ耳(ミヽ)の穢(けが)るゝ心ちせられて。許由(きよゆう)が古事(ふること)(※註13)も思ひ出られつ。斯(かく)成下(なりくだ)りたるを。今俗(いまのひと)よき事と思(おも)ひ。我娘(わがむすめ)にならハするこそ浅間しけれ。親子(おやこ)の中らひにてハ語(かた)られぬを知らず。大声(おほごゑ)あげてうたふハ。親も恥(はぢ)といふことを知らぬハ。いとも〳〵浅ましき事にあらずや。凡(すべ)て河原者(かハらもの)の業(わざ)を学(まな)ぶハ。則(すなハち)河原者に落(おつ)るなり。雪踏(せつた)直(なほ)しを覚(おぼ)ゆると同じ。又娘に踊(をどり)を習(なら)ハするも同じ業(わざ)ながら猶甚(はなはだ)し。町家にても分限(ぶんげん)よき人の娘ハ。深窓(しんそう)に養育(そだち)て。人(ひと)敬(うやまひ)てお嬢様(じやうさま)といふ。其お嬢様が局見世(きりみせ)(※註14)の売女(じよろう)になり。合手(あいて)ハ三尺帯(じやくおび)の鳶(とび)の者(もの)になる。金銀(きん〴〵)を出して我子に斯様(かくざま)なるまねを
 
 
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さするハ本心(ほんしん)の事(こと)にあらず。乱心(らんしん)の所行(わざ)なり。当世(いまのよ)ハ人も我(われ)も悪敷(あしき)事に染(そま)るから。賤敷(いやしき)事をしても。賤(いや)しとも思はず。恥(はぢ)をかきても何(なに)とも思はず。恥(はぢ)という事さへ知らぬなり。人たるべき行(おこな)ひハ更(さら)になく。畜類(ちくるい)の所行(わざ)になり行(ゆく)こそ浅ましともいはん方(かた)なけれ
 
註13 許由の古事 許由は中国古代三皇五帝時代の人と伝わる。伝説の賢人・高士・隠者である。伝説によれば、許由は陽城槐里の人でその人格の廉潔さは世に名高く、当時の堯帝がその噂を聞き彼に帝位を譲ろうと申し出るが、それを聞いた許由は箕山に隠れてしまう。さらに堯帝が高い地位をもって許由に報いようとすると、許由は頴水のほとりにおもむき「汚らわしいことを聞いた」と、その流れで自分の耳をすすいだという。
註14 局見世 切見世。江戸の下等な遊女屋。
 
   ○獣肉(けもの)を食(くへ)バ穢(けが)るといふ事
皇国(ミくに)にて獣肉(じうにく)を食(くふ)ハ。遠(とほ)く神代よりの事なり。古事記神代十五巻に火遠理命者(ほをりのミことハ)(※註15)。為山佐知毘古而(やまのさちびことして)。取毛麤物毛柔物(けのあらものけのにこものをとり)と有り。又仁徳天皇秋の夜毎(よごと)新殿(しんでん)に后(きさき)とゝもに出給ひ。兎我野(とがの)に鹿(しか)の啼音(なくね)のいと哀(あハれ)に聞えけるを愛(めで)て聞給ふに。有夜(あるよ)其(その)鹿(しか)不鳴(なかず)本意(ほい)なく夜を明し給ひけるに。朝かれひきこし召給ふに鹿のあつ物出けれバ拍手を召て此鹿ハ何れにて取しそと尋給ふに兎我野(とがの)にて取(とり)し由申けれバ。天皇大になげき給ひさすれバ夜毎鳴し鹿なりと御(ミ)ことのり有けれバ。拍手何某(なにがし)引籠(こも)りて我(わが)罪(つミ)を侘(わぶ)しと日本紀に見えたり。又書紀(おなじふミ)十四雄略巻(ゆうりやくのまき)に。自(これ)レ玆以後(よりのち)倭国造(やまとのくにのミやづこ)吾子籠宿禰(あごゝのすくね)貢二挟穂子鳥別一(さほのことりわけをたてまつりて)為二宍人部一(しゝむとへとなす)と有宍人部(しゝんどべ)ハ鳥獣(とりけだもの)の肉(にく)を司(つかさ)どる役(やく)なり。又遥後(はるかのち)天武天皇白鳳四年九月三十日に詔二諸国一曰(くに〳〵にミことのりしてのたまハく)莫レ食二牛馬犬猿鶏之宍一(うしうまいぬさるにハとりのにくをくらふことなかれ)と書紀(にほんぎ)二十九巻に見えたり。獣宍(しうにく)を不食(くはぬ)ハ何(いつ)の頃(ころ)にや。桓武天皇以来(このかた)なるべし。今世(いまのよ)にも信濃国(しなのゝくに)諏方(すハ)の神(かミ)ハ祭(まつり)の前夜(よミや)。鹿(しか)の首(くび)十二。自(ミづから)拝殿(はいでん)にならべ給ふ。又公儀(おほやけ)にてハ正月元日兎(うさぎ)の御吸物(すいもの)御吉例(きちれい)の由(よし)(※註16)なり。獣宍(しうにく)を食(くひ)て穢(けが)るゝ物なし。御世〳〵の帝(ミかど)諏方(すハ)の神(かミ)。御公儀にてハ召上られぬはづなり。凡(すへて)穢(けがれ)といふ物ハ。主(しう)に不忠(ふちう)。親(おや)に不孝(ふかう)盗心(ぬすミこゝろ)邪心(よこしまこゝろ)を穢といふ。目に見。身(ミ)に触(ふれ)口に食(くひ)なとの事
 
 
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に穢といふ事なし。心さへ清浄(きよらか)なれバ。神前に出ても憚(はゞか)る所なし
 
註15 火遠理命 火照(ほてり)命は海幸彦(うみさちひこ)として、鰭(はた)の広物(ひろもの)、鰭の狭物(さもの)を取り、火遠理(ほおりの)命は山幸彦(やま)ちひこ)として、毛(け)の麤物(あらもの)、毛の柔物(にこもの)を取りたまひき。
註16 兎の御吸物御吉例の由 家康の九代の祖である世良田有親(ありちか)・親氏(ちかうじ)親子が永享の乱(1438-39)で将軍義教に敗れ追われた際、小笠原光政が自宅に受け入れ年を越させることにした。ところが饗応する膳に乗せるものがない。そこで光政は十二月二九日弓矢を手に狩りに出かけたが降り積もる雪のため一羽の兎しか取れなかった。光政は兎を吸物に仕立て、麦飯にゴマメのなますをそえて心づくしの年賀の膳とした。のち松平姓となって三河国に名をなした親氏は、あの兎こそ瑞兆であったと信じ、光政に林姓を与えて侍大将に招致。毎年元旦の賀宴には松平一族よりもまず最初に光政に瑞兎の吸物と盃を与えるのをつねとした。林家ではこの重要な年頭行事にそなえ毎年十二月二九日には兎狩りをして獲物を献上するのが恒例となった(「献兎賜盃」)。
  なお、その後、辞退を余儀なくされたが、文政八年(1825)一万石となって貝淵藩(のち請西藩)を立藩した林忠英は翌年十一月に老中へこの行事の復活を願い出てゆるされた。年賀のため登城してきた徳川御三家・松平一門以下の諸大名に兎の吸物がふるまわれるが、林家当主は時の将軍から百官に先んじて盃を受け、兎の吸物をともに祝う光栄に浴しつづけた。
  ―中村彰彦『「脱藩大名の戊辰戦争』(中公新書、2000年)―

 
   ○梅若丸(うめわかまろ)の墳(つか)
今の世に梅若丸といふハ。才寿(さいじゆ)丸の事なり。此墳(つか)ハ何(いつ)の頃(ころ)にか。端場(はしば)の保元寺(はうげんじ)に引かせたり。此寺(このてら)今法源寺(はふげんじ)に改(あらたむ)塚名(つかのおもて)ハ証法(しようのはふ)空童子(くうどうじ)延暦(えむりやく)十四年乙亥(きのとのゐ)三月十五日。裏(うら)に才壽丸(さいじゆまろ)生年十一歳隅田川汐入天氏寮(てんしりやう)建之(これをたつる)と有り。今年天保十一年庚(かのへ)子迄千四十六年の星霜(としつき)を経(へ)たり。比叡山(ひえいざん)の児(ちご)なるよし其伝(そのてん)詳(つまびらか)ならず
   ○酒を諸白といふ
今の世に酒(さけ)を諸白(もろはく)といふハ。仮字(かりじ)にて諸ハ室(むろ)なりモム相通白ハ寿(ほぐ)にてハホ相通保具(ほぐ)ハ褒詞(ほめことば)なり酒を褒たる詞なり又唐土(もろこし)の芳野(よしの)の山といふ。唐土(もろこし)も仮字(かりじ)にて毛呂(もろ)ハムロなり。コシハ久志(くし)なりコク相通室酒(むろくし)の吉(よし)といふ言(こと)にて。酒を褒たる冠辞(まくらことば)なり。久志(くし)ハ酒の古語(こご)にて。久志を約(つゞ)むれば伎(き)となる。故御伎(ミき)といふ。今の世神に奉るのミ御酒(ミき)といへど凡(すべ)て御(ミ)ハ尊称(たふとミな)にて。酒を尊ミていふ言なり
   ○古根が辞世
相模国(さかミのくに)三浦郡(ミうらこほり)葦名(あしな)の里(さと)に。諸草古根(もろくさのふるね)といふ俳諧歌(はいかいうた)よみあり。狂哥堂(きやうかどう)真顔(まがほ)(※註17)の連下(れんか)にして農人(のうにん)なり。一年(ひとゝせ)の春(はる)。水辺梅(すいへんのうめ)といふ題(だい)を得(え)て
   汲(くミ)あぐる水に浮(うか)ミて筒井筒(つゝゐづゝ)井筒に匂ふ梅の花びら
此歌真顔の高点の由に聞たり。さて文政三年の秋。此古根風の心ちして煩(わづら)ひけるに。日に次て病(やま)ひ重(おも)り。九月の初(はじめ)つかた病はげしく。臨終(いまハ)の時に及(およ)びて。妻(つま)を枕(まくら)べに呼(よび)て云(いふ)。我命(わがいのち)
 
 
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今日限(かぎり)なり。辞世(じせ)の歌をよみたれバ。物に書付(かきつけ)置(おき)て。石に鐫(ゑら)せ我墓(わがはか)に建(たつ)べしとて則
   あしかりの芦名(あしな)を跡(あと)に先(さき)の世へ急(いそ)ぐ旅路(たびぢ)に身ハ失(うせ)にけり
と詠(よミ)て息絶(いきたえ)たり。生年三十二歳なり。然るに此家に古く仕(つか)へし。又兵衛といふ者あり。故郷(ふるさと)鎌倉(かまくら)雪下(ゆきのした)に。万の物を商(あきな)ひて世を渡(わた)り。折々(おり〳〵)三浦の主家へ尋(たづね)て。実々敷(まめ〳〵しき)男なり。有夜(あるよ)の夢(ゆめ)に。当主人(いまのしゆじん)来りて云(いふ)。今夜我ハ此世を去たり。汝(いまし)に頼度事有(たのミたきことあり)て暇乞(いとまごひ)がてら来る也。我臨終(いまハ)に辞世の歌を詠(よミ)しなりとて。右の歌を三べんよみて我死後(しご)石塔(せきとう)へ鐫(ゑら)せ給ハれ。此事をたのミ度来るなりと云終(いひをは)ると思へバ夢ハ覚(さめ)けれバ。又兵衛わすれぬうちと直(すぐ)に右の歌を物に書付置。夜の明るを待(まち)て三浦の主家へ行(ゆき)て見れバ。主人の妻眼(め)を泣(なき)はらして夜べ子の刻(こく)に息絶(いきたえ)られたり。夫(それ)ニ付辞世の歌よみ給ひしと。書付しを出し見すれば又兵衛大ニ驚(おどろ)き懐中(ふところ)より。夢に告(つげ)たる歌を出しミるに。同じ歌なれバ。有し次第(ことども)を語(かた)りしに。妻も大ニ驚きたり。扨(さて)有にもあらざれバ野辺(のべ)の送(おく)りをなし。遺言(ゆひげん)の通(とほり)。菩提寺(ぼだいじ)の石塔(せきとう)に辞世を鐫せ建(たて)しと聞伝(きゝつた)へり。歌のあしかりハ足柄(あしがら)にて郡(こほり)の名。万葉集に相模歌。に阿斯加里(あしかり)と有(ある)ハ国振(くにぶり)にして足柄なり。芦名ハ所の名なり
 
註17 狂歌堂真顔。宝暦三年(1753)~文政一二年(1829)。江戸時代後期の狂歌師、劇作者。本名は北川嘉兵衛。太田南畝(四方赤良)に学ぶ。鹿都辺真顔。四方真顔。後に四方歌垣など。狂歌四天王の一人。真顔は狂歌の点料で生計をたてた最初の人でもあり、化政期には門人は三千人といわれて、その勢力範囲は北は陸奥から南は九州にまでおよんでいた。劇作名、恋川好町。家業は江戸数寄屋橋河岸の汁粉屋で、大家を業とした。しかし、晩年は家庭的にも恵まれず、貧窮のうちに没し、万巻の蔵書は散逸した。
 
   ○田鶴丸の辞世
尾張国(をハりのくに)名古屋(なごや)。橘菴(きつあん)田鶴丸(たづまる)(※註18)。別号(へちがう)を三臓楼(ざうろう)といひて。はやうよりおのが友だちにて。常に国ハ隔(へだ)つれど。互(かたミ)に消息(せうそこ)通(かよ)はしたる。
 
 
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いと風流(ミやび)たる歌よみなり。詠(よめ)る歌あまたの中にも。春曙(はるのあけぼの)を
   花鳥に今目(いまめ)の覚(さめ)て是までの朝寝(あさね)くやしき春の明ぼの
とよみたるハいと愛度(めでた)し。此人年老(としおい)て去(さり)ぬる。壬辰(ミづのへたつ)年京(ミやこ)にのぼりて。久しう菴(いほり)を結(むす)びて有つるを。天保六年乙未夏(きのとのひつじのなつ)肥前国(ひぜんのくに)。長崎へ下られて九月(ながづき)の末(すゑ)陸奥(ミちのおく)の松嶋見に行んと心ざし。長崎を立出播磨路(はりまぢ)にて大船に乗大坂へ至(いた)らんとす。此時十月(かミなづき)の六日の夜の事なりしが。明石(あかし)の新濱(にひはま)といふ所の澳(おき)にて。難風(わろきかぜ)にあひて。此大船破(こわ)れたり。浦方より助舟を出し。種々介抱(かいほう)する所。四拾人乗の人七人溺(おぼれ)死(し)して。破(やれ)たる船を浦方に引来て。取片付るに剃髪(ていはつ)の人壱人。碇綱(いかりづな)にしかと取付たるを見付。忽(たちまち)引上て見れバ惣身(ミのうち)寒(ひえ)たれど。いまだ腹(はら)のあたり少し暖(あたたか)ければ。水を吐(は)かせ藁火(わらび)にて暖(あたゝ)め。耳(ミヽ)に口を添(そ)へてよびいけるに息吹(いきふき)かへし苦(くる)し気(げ)なる息の中(うち)よりおのれハ尾張の国名古屋田鶴丸といふ者なりと云て頓て
   有難や底(そこ)の藻屑(もくず)となりもせで身ハ浮草(うきくさ)の岸(きし)にこそよれ
といひ終(をハり)て空敷(むなしく)くなりぬ。此由(よし)公(おほやけ)に祈(うた)へ出れバ心を付て取おくべしと仰言(おほせごと)故(ゆゑ)。新濱(にひばま)村の長林寺(ちゃうりんじ)といふ寺へ葬(はふむり)しと聞ぬ。其(その)時年ハ七十七なり。かゝる老人の冬の海にやゝ一時も沈(しづミ)ていかで命のたもたん。息を返(かへ)してかゝる愛(めで)たき歌をよむ事ハ。いとも難(かた)きわさになん
 
註18 橘菴田鶴丸。芦辺田鶴丸宝暦九年(1759)~天保六年(1835)。狂歌師。三蔵楼等と号し本名は岩田次郎兵衛。名古屋の人。家は染色を業としたが寛政の初から狂歌師を志し江戸で唐衣橘洲に学ぶ。文政八年熱田に帰り再び江戸に行き松島を遊覧。時に年六十八。又熱田に帰ったが天保六年っ四国遊歴の途次播磨沖で船が難破し水死。年七七。「狂歌江戸の花」「狂歌蘭亭帳」などの著がある。
 
   ○鳥(とり)の待(まち)の待の字(じ)
月待(まち)日待甲子(きのえね)。庚申(こうしん)。巳待(ミまち)。鳥待(とりのまち)などの待(まち)ハ。字(じ)に泥(なづミ)て待意(まつこゝろ)と思ふハ違(たが)へり。其(そ)ハ祭(まつり)といふことにて。待ハ仮字(かりじ)也
 
 
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麻都理(まつり)の都理(つり)の約(つゞ)め知(ち)となれり。故麻知(かれまち)といふ。上総国(かづさのくに)などにてハ。八月十五日ハ八幡(はちまん)の麻知(まち)なりなどいふ。江戸にても十一月上ノ酉の日を鳥(とり)の麻知(まち)といふにても。待(まつ)ことに不非(あらざる)を知るべし
   ○歌人の古跡(こせき)
加茂長明が記に無名抄曰(いふ)或(ある)人云紀貫之(きのつらゆき)が年頃(としごろ)住(すミ)ける家の跡(あと)ハ。勘解由(かでの)小路よりハ北(きた)。冨(とミ)小路よりハ東(ひんがし)の角(すミ)なり。又在原業平(ありハらなりひら)の中将の家ハ。三条坊門(ばうもん)より南(ミなミ)。高倉(たかくら)より西に。高倉表に近(ちか)く□□(虫損)侍き。柱(はしら)なども常にも似(に)ず。ちまき柱(ばしら)と云物にて侍りけるを。何(いつ)の頃(ころ)の人の仕業(しわざ)にか。後(のち)に例(れい)の柱のやうに削(けづり)なしてなん侍し。長押(なげし)もミな丸に角もなく。まことに古代の所と見え侍き中頃晴明(せいめい)が封(ふう)じたりけ□(虫損)とて。火(ひ)にも焼(やけ)すして久しくありけれど。世の末(すゑ)にハかひなく一年の火に焼(やけ)にき。又(また)周防内侍(すほうのないし)の家ハ。我さへ軒(のき)のしのぶ艸とよめるハ□(虫損)んせい堀川の北と西との角なり。又人麿の墓(はか)ハ大和国にあり。初瀬(はつせ)へ参る道也。人まろの墓と云て尋(たつね)るにハ知れる人もなし。彼(かの)の所にハ歌塚(うたづか)とぞいふなる。猿(さる)丸太夫が墓ハ。或(ある)人云。近江(たながミ)(田上)の下にそつかといふ所あり。そこに猿丸太夫が墓あり。庄(しやう)の堺(さかひ)にてそこの券(けん)に書(かき)のせたれバ皆人知れり。又(また)大友黒主(おほとものくろぬし)の社(やしろ)ハ。志賀(しが)の都(みやこ)に大道(おほミち)より少し入て山際(やまぎハ)に。黒主明神と申神(かミ)ゐます。是ハ昔(むかし)の黒主が神になれるなり。又喜撰(きせん)が跡(あと)ハ。三室戸(ミむろと)の奥(おく)に廿余町ばかり山中へ入て。宇治山(うぢやま)の喜撰が住(すミ)ける跡(あと)有(あり)。家ハなけれど堂(どう)の石ずゑなどさだかにあり。是等(これら)尋(たづ)ねて見るべき事なりとあり。長明ハ元暦(けんりゃく)文治(ぶんぢ)
 
 
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の頃(ころ)の人なれバ。文治より今年天保十一年迄(まで)。凡六百五十七年の星霜(としつき)を経(へ)たり。然れども是(これ)に記(しる)されたれバ。拠(よりどころ)ハあるなり
   ○倭建命(やまとだけのミこと)の陵(ミさゝぎ)
本居宣長云。此(この)陵(ミさゝぎ)ハ伊勢国(いせのくに)荘野駅(しやうのゝうまや)と石薬師(いしやくし)駅との間。大道(おほミち)の少西の方。高宮村(たかミやむら)と云に。丸山と云あり。茶臼(ちやうす)山とも経塚(きやうづか)とも白鳥(しらとり)塚とも。鸄塚(ひよどりづか)とも云て。甚大(いとおほき)に高(たか)く円(まろ)にして。周(めぐり)に堀(ほり)の形(かたち)なども数(かず)〳〵残(のこ)りて全(また)く上代(かミつよ)の御陵(ミさゝぎ)どもの状(さま)なり。□(虫損)づハこれあらむとぞおぼゆるといへり
   ○三社(さんしゃ)の託宣(たくせん)
大神宮(たいじんぐう)三社(さんじや)を書(かき)たるを俗三社の託(たく)といふ。此(こ)ハ託宣(たくせん)を書(かき)たるを云(いふ)べし。又三社ハ左を春日とし右を八幡とするハ誤(あやまり)なり又一説に左を天児屋ノ命(あまのこやねのミこと)。右を太玉命(ふとだまのミこと)なりといふも非なり。大神宮儀式帳に同殿ニ坐ス神二柱。坐ス二左方ニ一称(マヲス)二天□(虫損)力男神ト一。霊御形(ミたまかミかた)弓ニ坐坐スヲ二右方ニ一称ス二萬幡豊秋津姫ノ命ト一。也是皇孫ノ之母(ミハヽ)。霊ノ御形剱(ツルギ)ニ坐スとあり又後世尊命(ミことミこと)を別て尊を重(おも)しとし命を軽(かろ)しとす是も韓(から)にならひたる事にて。古ハ尊とハ不(かゝ)レ書(ず)書紀古事記等ミな命と有が例なれバ命と書べきなり
   ○信田杜(しのたのもり)の葛(くず)
和泉国(いつミのくに)信田(しのだ)の森の楠(くす)ハ古へより名高く千枝(ちえ)に栄(さか)えしよしハ代々の歌人もよむ事なり古今六帖に
   和泉なる信田の杜の楠木の千枝に別れて物をこそ思へ
此外代々の撰集(せんしう)にも数多(あまた)あり。然るを近松門左衛門楠(くす)を葛(くず)に誤(あやま)りて葦
 
 
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屋道満(あしやどうまん)大内鏡(かヾミ)といふ浄瑠璃(しやうるり)を作り。信田の森の葛(くず)の葉狐(きつね)の事を面白く書なしたり。楠(くす)葛(くず)仮名(かな)の同じけれバ。ふと誤(あやま)りしなるべし。もとより信田の杜に葛(くず)ハ無(なき)物なるを。此浄瑠璃より俗(ぞく)信田の森へゆき葛を尋(たつぬ)るによりて。此四五十年以前神主楠木の本に葛を植(うゑ)て。人に見する事とハなりぬ。葛のは狐ハ近松が作にしてあらぬ事也。又恋しくハ尋来て見よの歌も。近松が是に付ての作なるベし
   ○狐(きつね)を妻にする
狐(きつね)を妻(つま)にせし事ハ前談(まえ)に云(いふ)安倍保名(あべのやすな)葛(くず)の葉(は)狐(きつね)を妻(つま)にせし事近松(ちかまつ)が浄瑠璃(しやうるり)に見えたり。此事珍(めづら)しからぬ事にて昔(むかし)も今(いま)も有事なり。遊女(ゆうじよ)売女(ばいじよ)を妻にすれバ則(すなハち)人を化(ばか)したる古狐なり。又遊女売女に限(かぎ)らず妻の行(おこな)ひ道(ミち)にそむきたるハ皆(ミな)獣心(きつね)の顕(あらハ)るゝ所にて苟(かりそめ)にも空言(うそ)を云(いひ)て人を誑(たぶらかす)。則(すなハち)狐(きつね)なり又妻ハ人にて夫(をっと)の狐なるもあり夫婦(ふうふ)揃(そろ)ひて狐なるもあり世にいふ似(に)た物ハ夫婦なりといふ是なり。其外公家(くげ)武家(ぶけ)の貴人(きにん)にも狐の化(ばけ)たるが多し又(また)穢多(ゑた)非人(ひにん)乞食(こじき)の中にも人は何等(いくら)も有べし人に生れ出て僅寿(わづかなるよ)に畜類(ちくるい)の真似(まね)をして一生(いつしやう)を終(をハ)るハ口をしき物にあらずや
   ○仏(ほとけ)作(つく)りて魂(たましひ)不入(いれず)
この世の喩(たとへ)に云(いふ)言(こと)にて僧(そう)ハ経文(きやうもん)念仏(ねんぶつ)題目(たいもく)に魂(たましひ)を入(いれ)ざる事なり。魂を入るゝ時(とき)ハ其僧(そのそう)則(すなハち)生如来(いきによらい)にて名僧(めいそう)是なり。地獄(ぢごく)に堕落(おち)たる亡者(もうじや)もかゝる僧の回向(ゑかう)にあひなバ極楽(ごくらく)浄土(しやうど)に行事(ゆくこと)無疑(うたがひなし)今の世の法師(ほうし)ハ万人に一人ハ難(かた)く
 
 
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口にのミ経念仏題目ハいへど魂ハ外(ほか)へうつりて居(ゐ)る也。これを仏作りて魂不入といふ凡(すべ)て士農工商(しのふこうしやう)に限(かぎ)らず人ハ各(おの〳〵)其(その)務(つとむ)る職(しよく)に魂を入るゝ時ハ妙(めう)といふ物顕然(あらはれ)出るなり。矢(や)にて石を射抜(いぬき)木刀(きだち)にて金鉄(きんてつ)を截(きり)。是(これ)ハ誰(たれ)にても出来(でき)る事なれども其物(そのもの)に魂の入らぬ故(ゆゑ)に出来(でき)ぬなり我(わか)魂(たましひ)ハ神(かミ)なり又仏(ほとけ)なり此(この)魂を出(だ)すと出(だ)さぬとの差別(けじめ)にて出す事ハ中〳〵難(かた)き事(わざ)なり。然(さ)る故(ゆゑ)に仏作りて魂不入といふ。魂をいれずにいかなる有難(ありがたき)経文(きやうもん)をよみたりとも俗(ぞく)の鼻唄(はなうた)をうたふに同じ事にて何(なに)の役(やく)に立(たゝ)ざる也其物に魂を入んと思ハヾ。余念(よねん)を去(さり)て一向(いつかう)に明(あけ)ても暮(くれ)ても凝堅(こりかた)まれば魂ハ入(いる)なり。魂入時ハ妙(めう)顕(あらハる)る。飛弾(ひだ)の甚(じん)五良が工(さいく)古法眼(こほうげん)の絵(ゑ)其外(そのほか)古(いにし)への名僧(めいそう)たちなり。或(あるひ)ハ木食(もくじき)をし山籠(やまごもり)をするハ魂をいださんとて也。六根清浄(ろくこんしやふじやう)太祓(おほはらひ)に曰(いはく)我身波(わがミハ)則(すなハち)六根清浄奈利(なり)六根清浄奈留(なる)我(が)故(ゆゑ)仁(に)五臓(ござう)乃(の)神君(しんくん)安寧(あんねい)奈利(なり)五臓乃神君安寧奈留我故仁天地(てんち)乃神(しん)止(と)同根(どうこん)奈利天地乃神止同根奈留我故仁万物(はんもつ)乃霊止同躰(どうたい)奈利万物乃霊止同躰奈留我故仁所為(なすところの)無願而(ねかひとして)不成就矣(かなハさることなし)と有(あり)。前(まへ)にも云如(いふごとく)の魂ハ神(かミ)なり。此(この)神を出(だ)す時ハ何(なに)の願(ねがひ)にても叶さる事なし
   □(虫損)「」の文字
此略字(りやくじ)何(いつ)の頃より書初(かきそめ)めけん書出(かきいだ)しゝ頃(ころ)ハ定(さため)てよみかねしなるべし此(こ)ハ為二参入一(まゐいらせ)にて本(もと)の意(こゝろ)ハ下(した)より上(うへ)へ行(ゆき)し人を云(いふ)言(こと)なるを種(くさ)〳〵に移(うつ)りて男の消息文(てがミ)の奉(たてまつる)と云ことにも用(もちひ)奉存為又人に物(もの)送(おく)る事にも又人に物為喰事(くはすこと)に
 
 
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も用(もちひ)て本トの意を失(うしな)へるなりまゐらせ候を「」と書(かき)てハ然(しか)よむ者ハあらじ。「」といふ文字(もじ)なりとて書習(かきなら)ハするによりて今の俗(よの)女ハ。皆然(ミなしか)心得(こゝろゑ)て貴人(きにん)へ上る文(ふミ)にも不礼(なめげ)なる事も思はす書来れる事とハなりぬ。貴人へ上る文(ふミ)は文字正(たゞ)しく書(かく)こそ敬(うやまひ)といふべけれ可(べく)候をも「」などゝ書も同じ略字(りゃくじ)。かしこを「」と書も同じ凡(すべ)て文(ふミ)ハ通用の為なれバ略字ハ書ぬこそよけれ
墨跡遺考上巻終