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   目録
九十九里(り)の鰯網(いわしあミ)   同図(づ)
小馬子牧(をまごのまき)の野間取(のまどり)   同図
東金蟻塔(とうかねのありのとう)   同図
初島大鮫(はつしまのおほざめ)   海上(かいしやうの)図
観音窟(くわんおんくつ)の蚦蛇(うハばミ)   同窟(くつ)図
箱嶺(はこネ)の山洪波(やまつなミ)   同図
日峯丸山(ひがネまるやま)霧中図(きりのなかのづ)   同石碑(せきひ)図
十国五島(こくごとう)眺望(てうぼう)の図(づ)   八葉(ひら)
   通計六題十五図
 
 
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墨蹟遺考下巻
   ○九十九里(※註1)の鰯網(いわしあミ)
天保五とせといふ秋葉月の末(すゑ)つかた。上総国(かミつふさのくに)東金(とうかね)に遊(あそ)びし頃(ころ)。九十九里の網引(あびき)見(ミ)にゆかんと。友(とも)とする人四五人(よたりいつたり)して行(ゆき)けり爰(ここ)より二里(り)余(あま)り耕地(かうち)を行て。片貝(かたかひ)(※註2)の濱(はま)といふ所に出たり。こゝも則(すなハち)九十九里の中(うち)にして。凡(すべ)てハ当国(たうごく)虎見村(とらミむら)(※註3)の出崎(はな)より。下総(しもつふさ)銚子(てうし)の犬吼(いぬぼう)が出崎(はな)まで。六丁を一里にして九十九里ありとぞいふなる。此辺を黒戸(くろと)の濱(はま)。又ハ矢刺(やさし)が浦(うら)(※註4)ともいふとぞ。岩(いハ)一つなく遠浅(とほあさ)の海(うミ)にして。地曳網(ぢびきあミ)にハ爰(こゝ)に続(つゞ)く所なしといふ。海(うミ)の向(むか)ひ□(虫損)見渡(ミわた)し不知澳(しれざるおき)にて。異国(から)なりといへり。常(つね)に大波(おほなミ)うちよする音(おと)ハ五六里(り)の程(ほど)響(ひゞく)べし。此海の鳴音(なるおと)にて近(ちか)きわたりハ日和(ひより)の善悪(よしあし)を知(しり)るとなん。爰(こゝ)に来(き)て見るにいと
 
 
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静(□づ□)にして漁猟(いさり)する海士(あま)一人も見えず。遥々(はる〳〵)来(きた)りて名立(なたゝ)る。あびき不見ず(ママ)に帰(かへ)らんこと。いとも本意(ほい)なく思ひて。此所(こゝ)彼所(かしこ)見廻(めぐ)り歩行(ありく)うち遥(はるか)なる沖(おき)に鯨(くじら)の汐(しほ)を吹(ふき)たるを見付(みつけ)たり。いと愛(めづ)らしく皆(ミな)〳〵興(きよう)に入見て居(ゐ)たるをりしも。蜑小舟(あまをふね)二艘(さう)漕(こぎ)出て網(あミ)を張(は)れり。是(これ)を見て此浦(うら)の蜑(あま)ども我(われ)も〳〵と舟漕(ふねこぎ)出して網をはる。網一張に舟二艘也辛(から)うじて延(はえ)終(をハ)れバ一組(くミ)の網(あミ)に四十人片綱二十人ツヽ各(おの〳〵)力(ちから)を出(いだ)して引(ひく)。左右の綱(つな)の頭(かしら)二人にて曳(ひき)ためたる綱(つな)を丸く居置(すゑおき)て。所(ところ)〴〵の綱(つな)の結目(むすびめ)をとき幾(いく)丸にも丸め置て。辛(から)うじて浪打(なミうち)ぎはに網の袋(ふくろ)を引上(ひきあぐ)る。此袋ハ細美(さよミ)の布(ぬの)(※註5)にて拵(こしらへ)たる横(よこ)三間余(げんよ)も可有(あるべく)。其中(そのうち)に鰯(いわし)の高(たか)さ二尺(じやく)程(ほど)重(かさな)り有(ある)中へ。海士(あま)三四人赤裸(あかはだか)にてわけ入(いり)。鰯の中に交(まじ)りたる。鯖(さば)赤鱏(あかえひ)。河豚(ふぐ)。鮫(さめ)などをえり出して。渚(なぎさ)の真砂(まさご)の上に投出(なげいだ)す。此魚(うを)干(ひ)たる砂(すな)にまみれて。はねたるいと面白(おもしろ)し。網(あミ)を曳泄(もれ)て鰯の逃(にぐ)るも夥(おびたゝ)し。裾(すそ)をつまげてにぐる鰯を左右の手して㸕(つかむ)に七八疋ハ取得(とらへ)つれど全方(せんかた)なくて放(はな)ちやりぬ。砂にまみれたる魚(うを)。他人(あたしびと)の貰(もら)はんといへバもて行ねと云(いひ)て遣(や)る。物をしミせぬハ海士人(あまびと)のならひなりけり。扨(さて)袋(ふくろ)の鰯ハ此わたりの村(むら)〳〵より女ども攩網(たま)を手毎(てごと)にもて来て。赤裸(あかはだか)になり二布(ふどし)ばかりにてすくひかづきて。一丁程(ほど)上(かミ)の干(ひ)たる真砂(すな)の上に運(はこ)べり。此すくふ攩網(たま)ハ木の三つ枝(また)を押曲(おしまげ)。輪(わ)にして網を結付(ゆひつけ)。尻(しり)のくゝりに栓(せん)をさすなり。浪打際(なミうちきハ)より乾場(ほしば)まで行(ゆく)と帰(かへ)りと二行(きやう)になりて運(はこ)ぶいと急(きう)也。攩網(たま)ニ鰯一援(いつぱい)いれかづきて乾場(ほしば)に至(いた)りて攩網(たま)の栓(せん)を抜(ぬく)故(ゆゑ)。かづきたるまゝいわしハ落(おつ)る右より来て左りに帰る。道にて栓を□(虫損)すなり。烈敷事(はげしきこと)いはんかたなし。此九十九里の海辺(かいへん)不残(のこらず)網曳(あびき)せし事故。いとも〳〵賑(にぎ)
 
 
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ハしく東金(とうがね)の人さへ斯(かう)やうの事ハ珍(めづ)らしといへり。斯(かく)て此海士(あま)の家主(いへあるじ)知(し)る人にて。皆(みな)〳〵集(つど)ひて家(いへ)に入奥(おく)まりたる所にまとゐ居(を)れり。ほどなく主(あるじ)来りて茶(ちや)をもてなしつゝ。えり出したる魚共鉋丁(ほうちやう)せん。暫(しば)しいごひ給へとて。魚どもを庭(にハ)の井にて洗(あら)ひ。魚桶(はんだい)に水を入。打(うち)入るゝに勇(いさぎ)よく游(およ)げり。星鮫(ほしざめ)の皮(かハ)を去(さ)り身を三枚(まい)におろして。刺身(さしミ)に造(つく)り籠(かご)に入て井の水にてよく洗(あら)ひ。簀(す)の上におき䔲(わさび)醤油(しやうゆ)にて出せり。赤鱏(あかえい)の味噌(ミそ)吸物(すひもの)煮肴(にさかな)。又(また)河豚(ふぐ)を取(とり)て腹(はら)を切(きり)腸(わた)を去(さり)皮(かハ)をむきて水に入るゝに。いよ〳〵勇(いさぎ)よく游(およ)げり。性(せい)の強(つよ)きを驚(おどろ)けり。此河豚(ふぐ)七八寸程(ほど)あり。四五疋(ひき)を鉋丁(ほうちやう)して三疋ばかり刺身(さしミ)に造(つくり)残(のこ)りハ。肝(きも)白子(しらこ)などを入て汁(しる)にして出せり。是ハいと気味(きミ)悪(わろ)く櫡(はし)もとらざりしに。主(あるじ)いへらく此浜(はま)にて昔(むかし)より河豚(ふぐ)に当(あたり)りたる者(もの)なし。無心置(こころおきなく)たうべ給へとせちに云(いふ)にぞ。無是非(ぜひなく)なく〓をとれり。初(はじめ)て刺身(さしミ)肝入(きもいり)の汁(しる)を給(たう)べしに。いと〳〵うまし。星鮫(ほしざめ)ハ此辺(このわたり)にて佐賀(さが)といふ是(これ)も骨(あら)に身(ミ)を交(まぜ)。肝和(きもあへ)てふ物にせり。そハ生(いき)たるまゝ腹(はら)を切(きり)肝(きも)を取(とり)て。浅く(ざつと)湯(ゆ)がき摺鉢(すりばち)に入(いれ)よく摺(すり)。味噌(ミそ)酢(す)を交(まぜ)て摺合(すりあハせ)。星鮫(ほしさめ)の肉(ミ)又(また)骨(ほね)を細(こま)かに切て和(あへ)るなり。いと高味(かうミ)なる物なり。海辺(うミべ)ハ酒盛(さかもり)荒々(あら〳〵)しく。初(はじめ)より茶碗(ちやわん)にて呑(のむ)故(ゆゑ)。大に酔(ゑひ)て其夜(そのよ)ハ早(はや)う打(うち)ふしぬ明(あく)る朝(あさ)まだきに起(おき)出(いで)。主(あるじ)に悦び(よろこび)を述(のべ)て帰(かへ)らんとするを。主せちにとむるを強(しひ)て帰(かへ)れり。斯(かく)て昨日(きのふ)来(き)し耕地(こうち)を行(ゆく)に。朝雰(あさきり)深(ふか)うして道(ミち)のわかちなきを。一人(ひとり)がおのれ知るべせんと先に立て行。耽々(ほのか)に物の見ゆと思へハ近(ちか)づくまゝ杜(もり)のあらはれ出るなどいと愛たし。日ハ高(たか)う昇(のぼ)れど光(ひか)りなく。只(ただ)空(そら)に輪(わ)のミ見ゆるもおかし。行(ゆき)〳〵て辰(たつ)過(すぐ)る頃(ころ)東金(とうがね)に帰(かへ)れり
 
註1 九十九里 千葉県大東崎から刑部崎までの太平洋に面する砂浜海岸。長さ60㎞。慶長四年(1599)五月の「廊之坊諸国旦那帳(熊野那智大社文書)に九十九里とあり、名の由来は「古は六丁を以て一里とす。百里に幾しと云ふことにて、九十九里の名あり」という。
註2 片貝 現、九十九里町
註3 虎見村 東浪見村(現、一宮市)
註4 矢刺が浦 源頼義・義家あるいは源頼朝の奥州征伐の際に一里ごとに矢を立てさせて九九本になったという口碑がある。
註5 細美の布 貲(きよみ)布。古くはカラムシなどを原料にして、細い糸で折り目を細かく織った上質の麻布。後世は粗く織った麻布の称となり、近江産のが名高い。
 
   ○小馬子牧(をまごのまき)の野馬取(のまどり)
 
 
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(絵図)
 
 
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(絵図)
 
 
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(絵図)
 
 
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葉月(はづき)ハ東金に遊(あそ)びくらして。九月(きく)二日東金の下(しも)なる多摩(たま)(※註6)てふ所(ところ)を過(すぎ)。東(ひがし)の方(かた)山道(やまミち)十町程にして松の郷(がう)(※註7)といふ所あり。村長(むらおさ)土肥氏(どひうじ)(※註8)のもとに行て足(あし)をとどめぬ。家主(いへあるじ)風流(ミやび)を好(この)ミて家号(かごう)を常磐園(ときハぞの)名を繁躬(しげミ)といへり。主のいへらく今日よりちかきわたりの牧(まき)に。野馬取(のまどり)あり。今日ハ彼(かの)の(ママ)勢子(せこ)ども東西南北(よも)の牧々(まき〳〵)より野馬を狩(かり)出して一つの堤(つゝミ)の中(うち)へ追(おひ)入るゝ日なり。今日の見物(けんぶつ)ちと遅(おそ)かれバ翌日(あす)なんまだきに見に往(ゆか)んいざゝせ給へといへれバ。そハ愛(めづ)らかなる見物(けんぶつ)ニなん。つとめて行べしとて其夜(そのよ)ハ主(あるじ)酒肴(さけさかな)を調(てう)じてもてなせり。近きわたりの薬師(くすし)何某(なにがし)来(きた)りて。道知(みちし)るべがてらおのれも物せんとて。亥(ゐ)の刻(こく)ほどに医師(くすし)ハ翌日(あす)なん夜をこめて迎(むかひ)に来(きた)らんと兼言(かねこと)して帰(かへ)れり。おのれもほどなくうち臥ぬ。其夜寅(とら)とも思(おぼ)しき頃(ころ)彼(かの)医師(くすし)戸(と)を打(うち)たゝく故(ゆゑ)。皆(ミな)〳〵起出(おきいで)て
 
 
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何くれと物(もの)調(てう)じて藁沓(わらぐつ)はき。従者(ずさ)二人に松(まつ)灯(とも)させて五人(いつたり)にて出立(いてたつ)。二日の夜のことにしあればいと暗(くら)く。山うち越(こ)えて行程に。篠(しの)の小笹(をざゝ)の露(つゆ)深(ふか)く野原(のハら)の風身に染(しミ)て。耕地(かうち)へ出て行ほどに松の郷(がう)より二里余(あま)り来(きた)りて。辛(から)うじて小間子(をまご)の牧(まき)てふ所に至(いた)れバ野寺(のでら)の鐘(かね)かう〳〵と響(ひゞき)て夜ハほがら〳〵と明渡(あけわた)る朝雰(あさぎり)いと深(ふか)うして寸尺(すせき)のひまも見えず。雰(きり)のうちに人の声(こゑ)かまびすく聞えたるハ。今日の野馬取(のまどり)見にとて来れる人になん。やゝ夜の明ゆくまゝ。ひんがしに朝日(あさひ)のほがらかに昇(のぼ)れバ。雰(きり)もきだ〳〵絶間勝(たへまがち)になる折(をり)から。此牧(まき)に引続(ひきつゞき)人の出来るハ近きわたり二三里がほどの田舎人(ゐなかうど)の妻(つま)娘(むすめ)子供(こども)など粧(よそ)ひかざりて出来たる。栲(たへ)の手織(たおり)あたらしきを着(き)。或(あるひ)ハ太織(ふとり)の染(そめ)たるに黒(くろ)じゆすの帯(おび)引しめたる袖口(そてぐち)の赤(あか)きに白(しろ)いもの付(つけ)たるハ艶(えん)なれど尻高(しりたか)う端折(はしをり)上て股引(もゝひき)はきたる素足(すあし)に藁沓(わらぢ)はきたるハいと鄙(ひな)びたり。向(むか)ひを見わたせバ今日(けふ)の野馬(のうま)を追(おひ)入るゝ堤(つゝミ)あり。入口に大きなる開戸(ひらきど)をたてたり。其(その)わたりに仮菴(かりいほ)を造(つく)りて商人(あきびと)どもの軒(のき)を並(なら)べ商物(あきもの)ひさぐ。餅売家(もちうるいへ)酒(さけ)ひさぐ家。或(あるひ)ハ蕎麦切(そばきり)菓子(くだもの)又ハ煙艸(たばこ)手ぬぐひ小間物(こまもの)などおのが陏意(まに)〳〵所せきまで居(ゐ)ならびたり。物ほしうなりつれば持(もた)らしたる破子(わりご)瓶子(さゝへ)取出(とりで)て。芝生(しはふ)に莚(むしろ)敷(しき)て尻(しり)うちかけ。たうべ終(をは)りて火打(ひうち)のほくそ火(び)にて煙草(たばこ)くゆらせたる。折(おり)から遥(はるか)に螺(かひ)ふく音(おと)四方(よも)に響(ひゞけ)り。すはや列卒(せこ)どもの追来(おひき)たるを見よと向ひの堤(つゝミ)の上に各(おのも〳〵)のぼりて見るに。四方(よも)朝雰(あさぎり)にとぢてわかたず。雰の中(うち)に鯨波声(ときのこゑ)起(おこ)りて。東(ひんがし)の方(かた)に一群(ひとむら)の黒雲(くろくも)起(おこ)ると見れバ。地ひゞき震動(しんとう)して件(くだり)の雲(くも)やゝ近付(ちかづく)まゝによく見れバ。皆(ミな)野馬(のうま)にてぞ有ける。馬の数(かづ)凡(およそ)千疋(びき)の上なるべし。走来(はしりく)る馬の中へ牧
 
 
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士(ぼくし)鞍置(くらおき)馬(うま)に打乗(うちのり)陳笠(じんがさ)冠(かぶ)りて三四人(みたりよたり)乗入(のりいり)。茨(いばら)茅原(かやハら)岡谷(をかたに)のきらひ無(なく)乗廻(のりまハ)し。先(さき)に進(すゝ)ミて馳(はせ)たるを多(おほ)くの野馬(のうま)是(これ)に道引(ミちびか)れて。此小馬子(をまご)の牧(まき)へと進(すゝ)ミ来る此牧士(ぼくし)ハ馬上の達者(たつしゃ)尋常(よのつね)の武士(ものゝふ)の及(およぶ)所にあらず。千余(よ)の馬の蹄(ひづめ)の音(おと)近付(ちかづく)まゝに地(ぢ)に響(ひゞき)ていとすさまし。斯(かく)て件(くだり)の牧士(ぼくし)此柵(さく)の木戸の中(うち)へ乗(のり)入れバ。続(つゞ)きて多(おほ)くの野馬我勝(われがち)に馳(はせ)入れバ木戸をはたと〆切たり。此柵(さく)の中(うち)二ツになりて東(ひがし)の方二の柵(さく)の入口あり。此口へ野馬どもを皆(ミな)〳〵追(おひ)入て。螺(かひ)吹立(ふきたて)て暫(しば)し休(やすミ)となりぬ。追来りし列卒(せこ)どもおのがまに〳〵休(いご)ひて物とふべなどしておのが村〳〵へ帰(かへ)れり。此列卒ハ何村(なにむら)より百人かれの邑(むら)より八十人など。幟(のぼり)に書印(かきしるし)て高(たか)く押立(おしたて)一群(ひとむれ)〳〵になり。凡千二三百騎(き)の人数(にんじゆ)也。野馬の後(うしろ)に長(なが)き竹(たけ)を横(よこ)にして是にて馬の後(うしろ)をさゝへ取巻(とりまき)。鯨(とき)波の声(こゑ)を上て追来るなり。さる程(ほど)に又〳〵螺(かひ)吹立(ふきたて)て野馬取(のまどり)初(はじま)りけり。一の柵(さく)の北(きた)の堤(つゝミ)の上に一ツの陳(ぢん)あり。此内に馬役人(やくにん)の重立(おもだち)たる人三人肩衣(かたぎぬ)にて並(ならび)居(ゐ)。其下(そのした)なる土間(どま)に莚(むしろ)敷(しき)て袴(はかま)にて二人帳(ちやう)を置(おき)筆(ふで)を採(とり)て扣(ひか)えたり。此陳(ぢん)の軒(のき)に幕(まく)打(うち)て中ほどをしぼり上たり。又堤(つゝミ)の下なる西(にし)の方(かた)腰掛(こしかけ)に敷物(しきもの)して羽織(はおり)奴袴(のばかま)着(き)て役人二人腰(こし)かけ居(を)り。此前(まへ)に長き竿(さほ)の先(さき)へ綱(つな)を引(ひき)こかしに結(むす)びて二人羽織(はおり)。股引(もゝひき)。脚半(きやはん)にて立(たち)つ。又東(ひがし)の方(かた)堤(つゝミ)の下にハ鉢巻(はちまき)を後(うしろ)に結(むす)び。綿襷(たすき)をかけ股引脚半鞋草(わらぢ)にて五六十人居(を)れり。其外(そのほか)一柵(いちのさく)二柵の木戸に二十人ツヽ列卒(せこ)の者木の枝(えだ)などを持(もち)て守(まも)り居(を)り。扨(さて)二柵にも人有て木戸を開(ひらき)馬五六疋を一柵へ追出す。此馬一柵へ馳(はせ)入て木戸を出んとするを二十人の列卒(せこ)共かためて。同音に鯨波(とき)を上ると馬(うま)驚(おどろき)て立戻(たちもど)り二柵の木戸に来(きた)るを。又爰(こゝ)を堅(かた)めたる二十人の列卒(せこ)声を上て前(まへ)の如(ごと)し。馬度(ど)を失(うしな)ひて堤(つゝミ)へ上らんとし種々(しゆ〴〵)迷(まよ)ふ所を見定(ミさだ)め彼(かの)長竿(ながざを)の引転(ころ)しの綱(つな)を役人の指差(ゆびざし)
 
 
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たる馬の頭(かしら)に打かくると等(ひと)しく五六十人の馬取(うまどり)の中三人馳来(はせきた)りて。打掛(うちかけ)たる綱(つな)を手繰(たぐり)一人馬の平首(ひらくび)にひたと寄添(よりそふ)。此時残(のこ)れる馬用無(ような)けれバ一柵の木戸を開(ひら)きて追放(おひはな)つ。扨(さて)彼(かの)一人ハ馬を手前(てまへ)へ力(ちから)を入て倒(たふ)さんとす。馬ハ倒(たふ)れじと向へ引(ひく)所を足(あし)を取(とり)て向へうち返(かへ)す。残(のこ)る二人来て尾(を)を股(また)へ引入二人にて四足を動(うご)かせず。引倒(たふ)したる男ハ馬の口へ轡(くつわ)をはめいと太(ふと)やかなる綱(つな)を付(つけ)三人して尻(しり)を打(うち)て引起(おこ)す。其(その)うち木戸を開(ひらき)此馬を引出さんとするに。驚(おどろ)きて跡退去(あとじさり)して不出(いてぬ)を。尻(しり)をうちなどして三人して綱を引くといへども馬力(ちから)つよく三人ハ引摺(ず)らるゝ事あり。又人加(くハヽ)りて辛(から)うじて木戸の口迄(まで)行て。広野(ひろの)を見ると等(ひと)しく一(いつ)さんに走(はし)り出(だ)すを。轡(くつわ)をかけし男馬の平首(ひらくび)にしかと取付左手(ひだりて)にて首をかい込(こミ)馬に釣(つら)れて走(はし)り行を。彼(かの)大綱をひかえて二人ともに馳出す馬の足早きゆゑ綱(つな)持(もち)たる二人やゝもすれば引摺(ずら)るゝを見るにいと危(あやう)し。斯(かく)して下総(しもつふさ)なる守水(しゅすい)(酒々井)といふ駅(うまや)に連行(つれゆく)なり。爰(こゝ)より二里余りも有(あり)となん。此守水(しゆすい)にて乗馬(じやうめ)を撰(えり)て残(のこ)れるハ馬市を立(たて)て売渡(うりわた)すとなん。さて次(つぎ)〳〵にうま五六疋ツヽ追出して件(くだり)の如(ごとく)組(ミ)て取(とり)股(もゝ)へ焼印(やきいん)を押(おし)放(はな)ち遣(や)るもありて。取たる馬。焼印押したる馬。皆(ミな)高(たか)らかに三歳(さい)の栗毛(くりげ)或ハ四才五さいの何毛(なにげ)と呼(よべ)バ陳(ぢん)にて物書(ものかき)是(これ)を書とむ。斯(かく)して昼頃(ひるころ)又貝吹(かひふき)て暫(しば)し休(いご)ひ。昼餉(ひるげ)などしたためツヽ。又貝吹て初め申(さる)過(すぐ)る頃(ころ)果(はて)とハなりぬ。此日取たる馬弐百余疋焼印の馬三百余と聞えつ。犬(いぬ)ほどなる子馬放(はな)ちやらんとするに。木戸を開(ひらき)たるを見付(ミつけ)ず彼方(こゝ)是方(かしこ)へ迷(さまよ)ひたるもをかし。役人耳(ミヽ)をつまみ木戸口へ引出し尻(しり)をうてバ一さんに馳出(はせいだ)す。或ハ大馬の用なきを木戸より追出せバ走(はし)りておのが住所(すミか)へ行んとするを。里(さと)の子供(こども)の十二三位(くらゐ)なるが竹切(たけき)れもて馬の走り来る
 
 
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(絵図)
 
 
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向(むか)ひに諸手(もろて)を広(ひろ)げ立居(たちを)れバ。馬ハ是を見て大きに驚(おどろ)き跡戻(あともど)りして道(ミち)を違へて逃(にげ)ゆくも又をかし
抑(そも〳〵)野馬の生質(うまれつき)(セイシツ)いと堅固(けんご)なる物にて。一組(ひとくミ)の馬凡五六疋又七八疋もあり。住所(すミか)を定(さだ)めておのが令(しめ)たる牧の中へ他(あだ)し馬入時ハ一組(くミ)の馬皆(ミな)出て噛倒(かミたふ)す。故に令(しめ)たる牧へ他し馬の入事なし。川(かハ)池(いけ)などへ水を飲(のミ)に行時ハ先達(せんだつ)の馬。頭(かしら)にて跡(あと)の馬副(そひ)馬なり。中に女馬子馬を置(おき)て次第(つぎ〳〵)に連(つらな)りて行(ゆく)。帰(かへ)る時も然(しか)也。一組の中に病(やめる)馬あるか又ハ女馬の子を産(うミ)たる時など。其病る馬を夜るハ真中(まんなか)に令臥(ふさしめ)其廻(そのまハ)りにまとゐして臥(ふし)。替る〳〵に嘗(なめ)て労(いたは)るとなん。冬(ふゆ)の日(ひ)連日(まいにち)大雪ふり積(つも)る時ハいと哀(あハれ)れなり。さらぬだに冬ハ草(くさ)枯(かれ)て喰物(くひもの)なきを雪に飢(うゑ)痩(やせ)衰(おとろふる)ことある時ハ。御上より村〳〵に仰渡(おほせわた)され藁(わら)を運(はこ)び敷(しき)て馬の食(しよく)に当(あて)らるとかや
 
註6 多摩 田間村、東金市の北東。現、東金市田間。
註7 松の郷 松之郷村。現、東金市松之郷・日吉台
註8 土肥氏 東金酒井家臣土肥氏は当地に土着したという
 
   ○東金の蟻(あり)の塔(とう)
世に蟻(あり)の塔(とう)といへる昔(むかし)より人の言伝(いひつた)ふるを。定(さだ)かに見きといふを聞(きか)ざるに去(さりぬ)る天保三とせといふ辰(たつ)の春上総国東金の新宿(しんしゆく)(※註9)百性北村(きたむら)甚右衛門が古(ふる)き蔵(くら)の中(うち)に蟻の塔組(くミ)たりと云伝ふるにぞ。近(ちか)きわたりハ云(いふ)もさらなり。下総(しもつふさ)常陸(ひたち)江戸などよりも見に行し人。北村が門(かど)に市(いち)をなしゝ故(ゆゑ)。是が為に東金の町の賑(にぎは)ひとなりて。蟻の塔の絵図(ゑづ)に其ことのよしを書添(かきそへ)て板行(はんかう)して売出(うりいだ)せり。おのれ其後(そのゝち)天保五とせの秋東金に遊びし頃(ころ)行(ゆき)て見るに山陰(かげ)に建(たて)たる古蔵(ふるぐら)の中(うち)にて昼(ひる)のほどもいと闇(くら)けれバ。主(あるじ)手火(てび)灯(とも)して知(し)るべせり。主いへらく此蟻の塔ハ凡(およそ)二十年(はたとせ)あまり四五とせを経(へ)たり。過(すぎ)ぬる辰(たつ)の年の春世に聞えしハ。時の至(いたり)てか誰(たれ)いふとなしに遠近(をちこち)に聞えたる也と物語(かたり)つおのれ火蔭(ほかげ)に是を見れバ。塔の形(かたち)にてハなく。高(たか)さ五六尺も有(あり)ぬ
 
 
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べし。岩(いは)の形(かたち)して立(たち)たり其中に壱寸計なる大蟻(あり)二ツ有(あり)。其外(そのほか)ハ三四分の山蟻数万(すまん)にして。後(うしろ)の山より土(つち)を運(はこ)ぶ。往(ゆく)と来(く)と二行(きやう)に連(つらな)りて。来(く)る蟻(あり)ハ身太(ミふと)やかにて色艶(いろつや)黒(くろ)く光(ひか)れり。往(ゆく)蟻ハ躰衰(たいおとろへ)て更(さら)に艶(つや)なし。愚案(ぐあん)に来るハ山より漆(うるし)やうなる物を呑(のミ)て来るか。又ハ身に摺付(すりつけ)て来るかとぞ思はるゝ。頭(かしら)たる二ツの蟻隙(ひま)なく馳廻(はせまハ)り持(もち)来る土(つち)を取直(とりなほ)すなり。九月(ながづき)も夜寒(よさむ)になる頃(ころ)蟻の往来(ゆきゝ)休(やすミ)となりて。三月頃(やよひのころ)よりまた初(はじむ)ること数年(すねん)なりとぞ。其蟻の塔いと堅(かた)くして岩(いは)の如(ごと)し。今猶(いまなほ)在行(ありゆき)てみるべし
   和名鈔(※註10)曰爾雅集(※註11)注曰蚍蜉(※註12)一名馬螘(※註13)大蟻也
   和語本草(※註14)曰足蟻連樹根動不能去也山谷
   演雅詩曰枉過一生蟻旋磨
   大蟻和名於保阿里
(絵図)
 
註9 新宿 東金市東金町。字名東新宿が現存している。東金町は文安年間(1444~49)に新宿に一四名の者が屋敷を構えたのが草分けという。大永元年(1521)に酒井定隆(初めは千葉氏にのちには小田原北條氏の支配下にあり、東金入城後近郷の有力名主を家臣団に編成し、領域七里四方の寺院を日蓮宗に改宗させたと伝えられ、後世上総七里法華と称された)が入城した際には新宿は市街をなし、天正一八年(1590)東金落城後に上宿・岩崎が町屋になったと伝えられる。文禄三年(1593)の新宿の家数七二、上宿・岩崎・谷を含めると三二○であったという。
註10 和名鈔 和名類聚抄。源(みなもとの)順(したごう)著、承平年間(九三一~九三八)成立、百科辞書。漢語の名詞を分類配列し、その出典・意味・発音を漢文で註し、日本語としての読みを万葉仮名で示す。
註11 爾雅集 十三経の一。前漢の儒家たちが従来から伝承された古典用語の解説をまとめた辞典。前二世紀ごろ成立。三巻。中国古代の字書で事物や言語を分類・解説したもの。「詩経」の語を解釈したものが多い。
註12 蚍蜉(ひふ)=大蟻。
註13 螘(あり)=蟻。
註14 和語本草 和語本草綱目。広益本草大成。岡本一抱著。元禄十一年(一六九八)成立。
 
 
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   ○初嶋(はつしま)の大鮫(おほさめ)
去(さり)ぬる享和の元(もと)つ年(とし)酉五月(とりのさつき)末(すゑ)つかた伊豆国(いづのくに)なる熱海(あたミ)の出湯(でゆ)に入らんと友(とも)だち一人うち連行(つれゆき)けり箱根(はこね)の裏(うら)御関所(せきしよ)(※註15)根夫川(ねぶかハ)を越(こえ)て赤沢(あかざハ)山を通(とほ)れる時其日ハ空(そら)曇(くも)りて道(ミち)の程(ほど)もしめり勝(がち)なり。此山道ハ雨降(あめふる)か曇(くも)りたる日ハ山蛭(びる)出て旅(たび)人の足(あし)に付(つく)と聞つれバ。おのれハ駕(かご)にうち乗(のり)行けるに駕舁(かごかき)煙草(たばこ)の茎(くき)を編(あミ)て鞋草(わらぐつ)掛に作(つく)りて履居(はきを)れり。斯(かく)て山道にかゝれバ人の足音を聞付て地(ち)より這出(はひいで)足に取付(とりつか)んとす。煙草(たばこ)を嫌(きら)ふ故(ゆゑ)此駕舁(かごかき)の足にハ不付(つかず)。木の下を通(とほ)れバ枝(えだ)より落(おち)て笠(かさ)の上にかゝるもいとおそろし。辛(から)うじて賎(しづ)か家(や)一軒(けん)あるを見付て駕をおろし暫(しば)し休(いご)ひける時。友なる人脚半(きやはん)の中のかゆミに心付(づき)脚半を解(とき)見るに蛭(ひる)三ツ吸付(すひつき)居(ゐ)たるを引放(ひきはな)ちけれバ血(ち)の流(ながれ)れ出(いづ)るに驚き。又片(またかた)〳〵(〳〵)の脚半を取(とれ)バ二ツ付居(つきゐ)たり。是に驚きて替(かハ)りて駕(かご)に乗(のら)んといへれハ心に任(まか)せつ。それよりおのれハ歩行(かち)にて行(ゆく)に是より先ハはや蛭(ひる)ハ居(をら)ざれバおのれこよなき幸(さひはい)になん。夫(それ)より熱海(あたミ)に至(いた)りて今井半太夫(いまゐはんだいふ)が許(もと)に宿(やど)を定(さだめ)ぬ。斯(かく)て五(さ)月も過六(ミな)月になりつ。此熱海の出湯ハ昔(むかし)海の中より涌出(わきいで)しによりて熱海とぞいふなる。海の中に有し時ハちかきわたりに魚(うを)も寄(よ)らざれば漁人(りやうし)も此所にハ不住(すまず)。さるを何(いつ)の頃(ころ)にか有けん何(なに)がしの聖(ひじり)此所に来りて所(ところ)の人のもとむるによりて。此出湯(でゆ)を山の方(かた)へ祈(いのり)上しと里老(さとびと)の物語(ものがたり)に聞つ。今井氏の家敷(やしき)の前(まへ)往来(わうらい)の中(なか)七八尺の深さにて三間四方も有べき穴(あな)あり。其(その)真中(まなか)に井戸のやうなる深き穴あり。此穴より日に三度夜に三度涌出(わきいづ)る。彼(かの)七八尺の四角(かく)なる所。熱湯(ねっとう)満(ミて)れバ筧(かけひ)にて家々(いへ〳〵)に呼(よふ)なり。四角(かく)なる廻(まハり)りハ石にて積(つミ)上其上ハ堤(つゝミ)をつき竹柵(やらひ)にてかこみたり。やゝ涌(わき)出る時の来れバ地響(ちひゞき)震動(しんどう)するやうに
 
 
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覚(おぼ)ゆる折(をり)。堤にのぼり柵攔(やらひ)のひまより見るに。真中の穴の上へ大きなる石を蓋(ふた)にして七八分覆(おほ)ひて有しを下より湧上(わきあが)る勢(いきお)ひいとすさましく。蓋(ふた)の石に当(あた)り三四分出たる所より筋違(すぢかひ)に吹上(ふきあぐ)ること高(たか)し。湯気(ゆげ)にて中ハ定かに不見(ミえず)此湯気(ゆけ)雰(きり)の如(ごとく)。手にかゝれバぴり〳〵と熱(あつ)し。此熱湯(にえゆ)の中に生出(おひいで)て遊ひ歩行(ありく)虫(むし)あり。二三分程(ほど)のちひさき虫なり。いと珍(めづ)らし。さて此熱海の海上に廻(めぐ)り一里といふ小嶋(こじま)あり是を初嶋といふ。熱海より海路(うミのミち)三里ありといふこの島に渡(わた)りて見んと。此わたりの海士(あま)に頼(たのミ)けるに海士いへらく。此うみ常(つね)に波(なミ)荒(あら)く中〳〵に渡ること難(かた)し。おのれよく日和(ひより)を見定(ミさだ)めて知らせ申さん。今少(いますこ)し待(まち)給へといふに。其心を得て待居(まちゐ)たり。斯(かく)て六月(ミなづき)半過(なかバすぐ)る頃(ころ)有朝例(れい)の漁人(りやうし)来りて今日なん日和(ひより)よく島に渡りつべし。其心し給へ今に迎(むかひ)に来らんとて帰(かへ)れり。いざとて偏提(さゝへ)(※註16)厨伝(べんとう)など用意(ようい)して。同宿(おなじやどり)の人〳〵誘合(さそひあハせ)六人(むたり)にて迎(むか)ひの人を待(まつ)。ほどなく彼(かの)の人来りて打連(うちつれ)海辺(うミべ)に出。漁舟(りやうせん)二艘(さう)を出せり。一艘(さう)に三人ツヽ乗(の)りて頓(とミ)に漕(こぎ)出す。遠浅(とほあさ)の海なれば打寄(うちよす)る大波(なミ)三ツ四ツを乗越(のりこゆ)る時はや人〳〵酔(ゑひ)心を催(もよほ)せり。夫(それ)より小浪なるを一里余り澳(おき)に出ると大波出て大山の如(ごと)し。此大波の上に舟登(のぼり)て小縁(こべり)より見下(おろ)せバ数(す)千丈の谷底(たにそこ)を見る如(ごと)。たちまち逆落(さかおと)しになりて舟ハ波(なミ)と浪(なミ)の中に居(を)れば高き山左右にありて谷底(たにそこ)にあるが如(ごとく)又水底(ミなそこ)に居(ゐ)るが如し。かゝれバ持(もて)て来(こ)し。偏提(さゝへ)破子(わりご)(※註17)やうなる物。舟の中へ堅(かた)く結付(ゆひつけ)此方(こなた)の舟ハおのれひとり不酔(よハず)残(のこ)れる二人ハ初より酔(ゑひ)て腹(はら)の中(うち)のもの余波(なごり)なく吐(はき)出して。後(のち)ハ黄(き)なる水を吐(はき)て生躰(しやうたい)なく舟片向(かたむけ)バ片向方(かた)へ転(まろ)び死(しゝ)たる人の如し。彼方(かなた)の舟にハ八右衛門といふ人只ひとり不酔(よはず)是も二人(ふたり)ハ生躰(しやうたい)なし。斯(かく)て二里余り来りし頃(ころ)彼方(かなた)の
 
 
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(絵図)
 
 
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舟より件(くだり)の八右衛門てふ人声(こゑ)張(はり)上て。あれ見そなはせよ嶋もなき所へ黒(くろ)き島の出たるぞやといふにぞ。おのれも是を見るに八右衛門の云(いふ)に違(たが)ハず。又。出たる島の脇(わき)の方(かた)左右に戸板(といた)の流(なが)ると見えたる時。舟人忽(たちまち)声ふり立(たて)て臥(ふし)て居(ゐ)よといふこといと急(きう)なり。おのれ是に驚(おどろ)きて臥(ふし)たりしに舟人力を合(あハせ)汗(あせ)を流(なが)して櫓(ろ)を早(はや)めて逃(にぐ)る。暫(しば)しして舟底(ふなぞこ)戞々(がりがり)と鳴(なる)に心も消(きえ)て鰐(わに)の背(せ)に登(のぼ)りたらんと思へバ。舟人悦(よろこび)給へ島へ来(き)つるをといふに初(はしめ)て心落居(こゝろおちゐ)たり舟底(ふなぞこ)の音(おと)ハ島根(しまね)の小石(こいし)に当(あた)りたるにぞ有ける。嬉(うれ)しさいふばかりなく。今の黒(くろ)き島と見えしハいかなる物ぞと問(と)へバ。舟人いへらく此海にハ折(をり)にふれてかゝる物見る也彼(かの)の物ハ大鮫(おほざめ)なり。人の声を聞と等(ひと)しく来りて舟を動(うごか)さず頓(とミ)に打返(うちかへ)して人を呑(のむ)なり。黒き島の如(ごと)く見えたるハ彼(かれ)が頭(かしら)也。又左右に戸板(といた)の如(ごと)き物流(ながれ)しハ彼(かれ)が鰭(ひれ)なりと語(かた)れり。聞(きく)人身(ミ)の毛(け)弥立(いやたち)てぞおそれし
 
註15 裏関所 根府川関所、熱海街道にあつた関所。
註16 偏提 小筒・竹筒とも。竹の筒、古く酒を入れて携帯するに用いたもの。
註17 破子 弁当箱、ひのきの白木で折箱のように作り、内部に仕切りを設け、かぶせふたにした容器。
 
   ○観音窟(くわんおんくつ)の蚦蛇(うハばミ)(※註18)
さる程に舟より醉(ゑひ)たる人を舟人に負(おハ)せ。舟を舫(もやひ)て陸(くが)に上り。行事(ゆくこと)二丁計にして村に出たり。今日ハ幸(さいはひ)此島の産宮(うぶすな)の祭礼(まつり)にて此所(こゝ)彼所(かしこ)に幟(のぼり)を立(たて)太鼓(たいこ)の音聞えたり。明神の広前(ひろまえ)に至(いた)れバ商人抔(あきうとなど)出ていと賑(にぎ)やかなり。百性の家をかりて醉(ゑひ)たる人々に薬(くすり)を呑(のま)しめしばし為臥(ふさせ)もたらしたる破子(わりご)。酒筒(さゝへ)取出(とうで)て酒食(しゆしよく)をしたゝめ。おのれと八右衛門として神(かミ)にまうで帰(かへ)るさに社(やしろ)の片(かた)へに酒樽(さかだる)の蓋(かゞミ)を取(とり)て柄杓(ひしやく)を入(いれ)茶碗(ちやわん)を並(なら)べ置(おき)たり。あれハ如何(いか)なる事ぞと舟人にとへバ舟人いへらく。是(これ)神酒(ミき)なり。行ていたゞき給へ乍併(さりながら)茶碗(ちやわん)一盃(いつぱい)汲(くミ)て出すをミな〳〵呑(のミ)給ふな。夫(それ)を一ツ飲(のむ)時ハ見事也酒を主(あるじ)せんとて大勢打寄(うちより)口を割(わり)ても呑(のま)すなり。心して一ツ請(うけ)な給ひそ。是ハ此祭(まつ)りの例(れい)なり。と教(をし)ふ其(その)意(こころ)を得(え)て。是ハ皆〳〵下戸(げこ)なり。神酒(ミき)頂(いたゞか)せ給へとて茶碗に
 
 
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少(すこ)しづゝいたゞきて爰(こゝ)を過行(すきゆき)て。彼家(かのいへ)に至(いた)れバ酔(ゑひ)人たち。今ハやゝ舟心ち醒(さめ)たりとて皆〳〵割子(わりご)開(ひら)きて居(を)れり。暫(しば)し休(いご)ひて居(を)るに。舟人帰(かへ)らんといひつるを。彼(かの)大鮫(ざめ)の居(を)らん事を恐(おそ)り今夜(こよひ)ハ此島に宿(やとら)まほしういへバ。舟人打笑(うちわら)ひ彼(かの)大鮫ハ五六里も行つらん海ハ広(ひろ)し。さな思ひ給ひそとて。そゝのかす故さなりと皆(みな)〳〵爰(こゝ)を出立(いでたつ)彼方(かなた)此方(こなた)を見巡(めぐ)りて歩行(ありく)に何処(いづこ)も同じ人の住(すま)ひにて田畑(たはた)のやうも変(かハ)りたる事なし。此島人漁(いさり)も耕(たがやし)もすことなん。斯(かく)して本(もと)の海面(うミづら)に出。舟に打乗ハ舟人。友綱(ともづな)うちときて漕(こぎ)出せり。さて舟人のいへらく此序(つひで)に観音窟(くわんおんくつ)の御仏(ミほとけ)に詣(まうで)給はんやいかにとそゝのかすに。ミな〳〵それよけんよき語(かた)り種(ぐさ)になんとて舟を南(ミなミ)に向(むけ)て漕(こぎ)出せば。例(れい)の大波に舟上り下りして。からうじて三里余(あまり)も漕付(こぎつけ)観音窟の中に漕入たり。此観音窟ハ網代(あじろ)の海にて陸地(くがち)に続(つゞき)たる山の後(うしろ)にして常(つね)に逆波(さかなミ)窟中(くつちう)を洗(あらひ)窟(くつ)三角(かく)に明て舟なしてハ行事(ゆくこと)なり難(がた)し熱海よりハ一里余(あまり)の海路(うミぢ)ハ有ぬべし。斯(かく)て窟(くつ)の中七八間乗(のり)入て見上れバ。数(す)百丈も有べき高さにて。奥(おく)も広(ひろ)やかに見ゆ。爰(こゝ)にて舟より上り二人の舟人を知るべに先にたゝし残(のこ)る二人ハ舟を守(まも)り居(を)れり。扨(さて)十間(けん)ほど行(ゆけ)バ大なる巌(いはほ)行道をふたげり。舟人進(すゝ)ミて此巌(いはほ)の上に登(のぼ)り行ていへらく。此巌(いはほ)苔(こけ)むして辷(すべ)り安し心して角(かど)〳〵をとらへ登(のぼり)給ふべし。落(おち)て怪我(けが)ばしし給ふな。初(はじめ)より此窟(くつ)へ来る事を知らば松(まつ)の心がまへしつべきを今ハ甲斐(かひ)なし。おのが尻(しり)に付て来(き)給へとて辛(から)うじて巌(いはほ)を向(むか)ひへ下(くだ)れバ此巌(いはほ)蔭(かげ)となりて。中ハ暗(やミ)となりぬ。人々心細(こころほそ)う又物すさまじう舟人を便(たより)に後(しり)につきゆく程に。上より雫(しづく)のほと〳〵と落て冷(ひや)やかなり。斯(かく)て二丁ほども行ぬと思ふ時舟人云爰(こゝ)に大なる池(いけ)あり底(そこ)の不知(しれざる)に右の方の岩(いは)を探(さぐ)り是に引添(そひ)来給(たまふ)べし。な落給ひそと声掛(かく)る。いよ〳〵すさまじう思はれ六月(ミなづき)な
 
 
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(絵図)
 
 
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れど寒(さむ)さ十月(かミなづき)の如(ごと)し。かくて此わたり池(いけ)ならんと思へバ左りの足を延(のば)して入て見るに水冷(ひや)やかにして切(き)るゝ如(ごと)膝(ひざ)の辺(わたり)まで入といへども未(いまだ)底(そこ)の知れざれば気味悪(きミわろ)く此池(いけ)に主(ぬし)もや居(を)るらんと思へバいとかしこくて足引上(あげ)行ほどに辛(から)うじて奥(おく)に至(いた)れり。舟人云(いふ)此御仏(ミほとけ)ハ石にて刻(きざ)める也。松灯(まつとも)して有(あり)なんにハ御貌形(ミかたち)さやかに拝(をがま)れなんをかひなし。探(さぐり)て拝(をが)ミ給へといへバ人々手々に是ハ御顔(ミかほ)これハ御手(ミて)と探(さぐり)て替(かハ)る〳〵拝(をかミ)ぬ。舟人又いへらく爰(こゝ)に来給ふ人々の御名(ミな)を呼(よび)打揃(うちそろひ)たらん時帰(かへ)るべし。穴(あな)広(ひろ)きに闇(くら)けれバ一人も残(のこ)して帰らんハ本意(ほい)なし。呼集(よびつど)へ給へといふに一人声立て呼に四人答(こたへ)しに只(たゞ)一人(ひとり)八右衛門のミ答(こたへ)なけれバ人々驚(おどろ)き如何(いかゞ)ハせんといふ。舟人いへらく此左りハ横穴(よこあな)なり。若(もし)や此穴に入給ふらんか。さばれ此横穴深(ふか)きこと奥(おく)を知(し)る者なし。昔(むかし)より此穴に入し者(もの)帰(かへ)り来る事なしと云伝(いひつた)ふ。少(すこ)し入て呼(よび)心見(こころミ)給へといへバ其心を得(え)て三四間も入て八右衛門〳〵と声高く呼(よべ)バ遥(はるか)に応(おう)と答(こた)ふる声の聞えしかバ。早(と)く来れ〳〵といへど。頓(とミ)にも来らざればせん方なく。おのれと芝なる人と二人して横穴(よこあな)に入事(いること)数拾間(すじつけん)にして八右衛門に逢(あへ)り。八右衛門いへらく江戸の語種(はなしのたね)にとて爰(こゝ)まてハ来つるを。蛎殻(かきがら)やうの物ありて向(むかひ)へハ一足(ひとあし)も行事(ゆくこと)成難(なりがた)し。如何(いか)なる物にかと顔(かほ)を地(ち)に付(つけ)すかし見るに一面(いちめん)に白く向ひハ山の如しといふに。物寥(ものすご)くいざ〳〵と引連(つれ)本(もと)の御仏(ミほとけ)の前(まへ)に至(いた)れバ人〳〵待兼(まちかね)ていかに成(なり)給へらんと心も落居(おちゐ)ずといへバ舟人云(いふ)君(きミ)ハ命知(いのちし)らずにおはするかな。昔(むかし)より入し人のなき穴(あな)へおのれ等(ら)黄金(こがね)の山ありともいかでか入らん。いざとく帰(かへ)らんとて舟人先にたち又是が後(しり)に付て池(いけ)の岸(きし)を打過(うちすぎ)巌(いはほ)を越(こゆ)れバ夜の明(あけ)ぬる如(ごと)いと明(あか)し。皆〳〵舟に打のれバ舟人ども綱(つな)をときて漕(こぎ)出す八右衛門片(かた)への船よりいへらく。さるにても彼(かの)蛎殻(かきがら)やうの物何(なに)とも心得ずといへバ
 
 
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芝(しば)なる人されバ其疑(そのうたが)ひあらんと思ひしかバ。彼物(かのもの)一つ袂(たもと)に入て来れり。是見給へと取出すをミればこハ如何(いかに)脊骨(せぼね)の折(おれ)て晒落(しやれ)たるにぞ有ける如斯(かくのごとし)左右に枝骨(えだぼね)あるハ人の骨(ほね)にやなどいへバ。舟人手に取(とり)見(ミ)て是ハ人の骨にあらず。猪(ゐのしゝ)の脊骨(せぼね)なり。此窟(くつ)の奥(おく)にハ年経(としふ)る蚦蛇(うハばミ)住(すミ)て山の彼方(かなた)に抜穴(ぬけあな)あり。夜毎(よごと)〳〵出て猪(ゐのしゝ)鹿(しか)を加(くハへ)此穴の中に入て喰(く)ひ残(のこ)れる骨の山をなしたる物にこそと語(かた)るを聞(きゝ)て身(ミ)の毛(け)も弥(いや)だつばかりなり。斯(かく)て兎(と)や角(かく)物語(ものがた)れるうち舟ハ熱海の水際(ミきハ)につきぬ
 
註18 蚦蛇 大蛇
 
   ○箱峯(はこね)の山洪波(やまつなミ)
六月(ミなづき)も遊(あそ)び暮(くら)して廿四日箱根(はこね)の出湯(でゆ)浴(あミ)んとて。江戸深川なる久次郎てふ人を伴(ともな)ひ。日ケ峯越(ひがねこえ)して箱根(はこね)に至(いた)らんと。駕(かこ)二掉(てう)を雇(やと)ひ五里の山路(ぢ)を朝(あさ)まだきに起(おき)出て二人してゆく。山路にさしかゝりつれバ朝雰(あさきり)深(ふか)うして寸尺(すせき)のひまも見えず。駕(かご)の中(うち)より駕舁(かごかけ)る人さへ見えざるほどの深き雰にて。道もわかたざりしを此駕舁(かごかき)常(つね)に行通(ゆきかよ)ひ馴(なれ)たれバ少(すこし)も迷(まよ)ふことなし。此道山蛭(ひる)多く人の足音を聞付地の穴より幾(いく)つともなく出来る故。道中(ミちなか)にて駕をたて休(やす)むことなく鞋草(わらぢ)がけハ煙艸(たばこ)の茎(くき)にて。凡(すべ)て赤沢山(あかさハやま)の段(だん)に云(いひ)つる如し。かくて二里程登(のぼ)り行きて一軒(けん)の山寺(でら)あり。是なん日ケ峯(ひがね)といふ此寺の庭へ駕をおろし縁(えん)に尻(しり)うちかけて休(いご)へり。住僧(ちゆうそう)地爐(ゐろり)に麁朶(そだ)うちくべて茶を涌(わか)して出せり。住僧いへらく今朝(けさ)ハ常(つね)よりも雰深く道のほど嘸(さぞ)かし難義(なんぎ)し給ふなるべし。午(うま)の貝(かひ)吹頃(ふくころ)ハ晴(はれ)ぬべしゆる〳〵と休(いご)ひ給へ。此辺(わたり)ハ山中にて此寺より外に家居(いへゐ)もなく。殊(こと)に日暮(くる)れバ狼(おほかミ)多(おほ)くして旅(たび)人の通(かよ)ひもなし。夜べハ愚僧(ぐそう)が弟子(をしへご)小夜更(さよふけ)て小便(いばり)に起出(おきいで)門(かど)を開(ひら)き外(と)に出たれバ。忽(たちまち)数多(あまた)の狼(おほかミ)襲(おそい)来りて
 
 
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終(つい)に喰殺(くひころ)せり。あなやと叫(さけぶ)声(こゑ)の聞えつれど。是を助(たすけ)んとせば愚僧(おのれ)も狼の餌食(ゑじき)とならましとかしこミて是を救(すく)ふ事なり難(がた)し。夜(よ)明けて里(さと)人を雇(やと)ひ屍(しかばね)を尋来(たづねもとむ)るに。此方(こゝ)彼方(かしこ)より手(て)ハ手(て)足(あし)ハ足(あし)とちぎれ。躰(たい)ハ大かた喰尽(くひつく)して骨(ほね)あらはなりしまゝ取集(とりあつ)め今の程(ほと)葬(はうむり)しなり。此月の上旬(はじめつかた)此寺に来り出家(しゆつけ)せし者(もの)なれバ事(こと)に馴(なれ)ず庭中(にハなか)にて便用(べんよう)すれバよかりつるを斯(かう)命(いのち)を落(おと)しゝこそいと〳〵不便(びん)なれと。泪(なミだ)ながらに物語(ものがた)るを聞(きゝ)て。我(われ)も人も驚(おどろき)合(あへ)り。暫(しば)ししていざやまからんとて駕をかゝげ出せバ。休(いご)ひし悦(よろこ)びをのばえて爰(こゝ)を立出る。行道に狼の屎(ふん)此所彼処(こゝかしこ)に毛(け)の交(まじ)りて有を見て。住侶(じゆうそう)の物語然(さ)こそと思ひ当りぬ。夫(それ)より行〳〵て丸山の手向(たむけ)に至(いた)れバ猶(なは)雰深く文(あや)もわかたず石碑(いしぶミ)の有処(あるところ)に駕を居(すゑ)輿舁(かごかき)汗(あせ)おしぬぐひ芝生(しバふ)に尻打(しりうち)かけて煙艸(たばこ)くゆらせ休(いご)ふ。此峠(たむけ)に五島(たう)十国(こく)の眺望(ながめ)有(あり)となん。碑名(いしぶミ)の文字(もじ)雰にてわかたず。ひんがしの方ハ漫々(まん〳〵)たる海上(うなばら)にて。初嶋(はつしま)大嶋豊(と)嶋新(にひ)嶋高津(かうづ)嶋の五島(いつしま)見え渡り。南(ミなミ)ハ遠江(とほとうミ)相模(さがミ)駿河(するが)。西(にし)ハ甲斐(かひ)信濃(しなの)北(きた)に武蔵(むさし)下総(しもふさ)上総(かづさ)安房(あハ)以上(すべて)拾国(とほのくに)見ゆとなん。日和(にわ)よくバ一入(ひとしほ)の眺(ながめ)なるべきをいとかひなし。宿(やど)より雰を払(はら)ふ薬(くすり)とて梅干(うめぼし)を竹(たけ)の皮(かハ)に包(つゝ)ミて持(もて)て来(こ)しを。駕の者にもくはせおのれも喰(くひ)などして居(を)るうち風そよ〳〵と吹来(ふきゝた)れバ。忽(たちまち)午未(うまひつじ)の方(かた)に目前(めのまへ)に飯櫃形(いびつなり)の穴(あな)明(あき)たり。其(その)穴より見れバ駿河(するが)なる三保(ミほ)の松原(まつばら)清見寺(せいけんじ)(※註19)など見え。冨士川(ふじかハ)ハ水引(ミづひき)を置(おき)たる如(ごと)。遥(はるか)に久能山(くのふざん)見えぬと思えバ又忽(たちまち)ふたがり。又辰巳(たつミ)の方(かた)に如斯穴明(あき)たるよりミれば。海上(うミづら)に嶋あり。駕舁(かごかき)指(ゆび)ざしてあの大きなる嶋ハ大嶋右の方にミゆるハ豊(と)嶋前(まへ)の山ハ伊藤(いとう)ちかきハ網代(あじろ)といふもいと〳〵愛(めづ)らかなり。続(つゞ)きて所々に穴明てハふたがりするうち酉(とり)の方大きに晴(はれ)たり。冨士(ふじ)足高(あしたか)の山〳〵見え雨降(おほ)山
 
 
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(絵図)
 
 
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ハ日金(ひがね)より下(した)に見えたり。是(この)穴ハ雲(くも)の絶間(たえま)なり雰ハ遠(とほく)くより見る時ハ雲(くも)なり。されバ雲雰一ツ物にして今までハ雲の中に居(ゐた)り。さて今暫(いましば)し爰(こゝ)に居(を)らまほしう思へど駕の者時刻(じこく)遅(おそ)し去来(いざ)〳〵とて駕をかゝげ出すも余波(なごり)をし。夫より下(くだ)り道にて箱根の湖(ミずうミ)見え渡り行〳〵て午(うま)の貝(かひ)吹頃(ふくころ)峠(たうげ)の宿(しゆく)に着(つき)ぬ。給(たう)べ物うる家に入て駕より出。駕舁(かごかき)に酒を飲(のま)せつゝ価(あし)をとらせ酒飲(さけのミ)昼餉(ひるげ)を調(てうじ)て暫(しば)し休息(いこふ)うち駕舁ハ悦(よろこ)びを延(のべ)て帰(かへ)れり。ほどなくこゝを立出て賽(さい)の河原(かハら)より権現(ごんげん)の御社(ミやしろ)伏拝(ふしをが)ミ。本(もと)賽(さい)の河原に出。弘法大師(こうぼうだいし)の作(つく)り給ひぬといふ石の廿五菩薩(ぼさち)を横(よこ)に見なし右幕下(よりとも)の冨士(ふじ)の巻狩(まきがり)に用ひぬといふ大釜(おほかま)あり。此釜(かま)に水満(ミつまん)〳〵として旱魃(ひでり)の時此水を散(まけ)バ忽(たちまち)雨降(あめふり)ぬといひ伝(つた)ふ。斯(かく)て爰(こゝ)を打過(うちすぎ)て人里(ざと)を放(はな)れて行ほどに一村(ひとむら)の黒雲(くろくも)起(おこ)り風吹出て木の枝(えだ)をならし忽(たちまち)
(絵図)
 
 
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(絵図)
 
 
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(絵図)
 
 
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(絵図)
 
 
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(絵図)
 
 
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(絵図)
夕立(ゆふだち)降出(ふりいで)遠近(をちこち)に神(かミ)の鳴(なる)音(おと)はげしく稲妻(いなづま)の光(ひか)りすさまじ。雨宿(あまやど)りせん辻堂(つぢどう)もなき山中の事(こと)にしあれば。旅笠(たびがさ)に雨をしのぎ。旅包(たひづゝミ)を襟(ゑり)のあたりに結(むす)びまくり手して。初(はじ)めの程(ほど)ハ足に任(まかせ)て走(はし)りつれど。芦(あし)の湯(ゆ)迄(まで)ハ道遠(ミちとほ)く家もなき故。走(はし)れるかひなく。濡(ぬれ)れつゝ長閑(のどか)に歩行(ありく)も口(くち)をし。さて行〳〵て夕立も晴(はれ)青空(あをそら)の見ゆるに嬉(うれ)しく行程(ゆくほど)に悪敷(あしき)香(か)のするハ何(なに)にかあらんといひつゝゆけバ。猶(なほ)香(か)ハつよく匂(にほ)ふ遥(はるか)に人家のミゆるを目当(めあて)に近付(ちかづけ)ハ是なん芦(あし)の湯(ゆ)なる。爰(こゝ)より彼(かの)悪敷(あしき)香(か)ハ出るなり。こハ出湯(でゆ)の匂(にほ)ひなり。鼻(はな)を覆(おほ)ひて行過(ゆきすぎ)つゝ。程(ほど)なく木賀(きが)の湯本(ゆもと)に着(つき)ぬ。何(なに)がしの宿(やど)に入て笠(かさ)をとき足(あし)を洗(あら)へバ日ハ斜(なゝめ)になりて頓(やが)て黄昏(たそがれ)時になれり。此夜ハ爰に湯浴(ゆあミ)してうち伏(ふし)ぬ。明れバ六月(ミなづき)廿五日空曇(そらくも)りて晴間(はれま)なし。此家の後(うしろ)ハ深(ふか)き谷(たに)なり。前(まへ)ハ数(す)千丈の高き山にして先(さき)つ年(とし)の秋(あき)山水出て前の山崩(くえ)
 
 
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こゝらの家潰(つぶれ)て人も多く死せりとなん。往古(そのかミ)の崩(くえ)たる石前(いしまへ)に有(あり)。二間三間程(ほど)の石三四(ミつよつ)ツ有(あり)。さて連来(つれこ)し友(とも)の痔(ぢ)の病(やまひ)ありとて。底暗(そこくら)の出湯に入らんといふにぞ。然(さ)らバ今より行べしとて。爰を立(たち)て四五丁も有ぬべく。底倉(そこくら)の藤屋(ふぢや)といへる家に宿(やど)りを定(さだ)めぬ。此底倉(そこくら)も前(まへ)ハ深き谷にて後(うしろ)ハ山なり。山に付て正戸(おもや)を建(たて)。谷の端(はた)に坐敷(ざしき)を作(つく)り。正戸(おもや)と此所の中ハ細(ほそ)き往来(わうらい)なり。此谷の縁(ふち)の坐敷(ざしき)に居(を)らしむ谷の向ひハ高き嶺(ミね)峨々(がゞ)と岨(そばだて)り。谷の深き事ハ底(そこ)不見(ミえず)故(かるがゆゑ)に此所を名付(なづけ)て底暗(そこくら)といふとぞ。さて其(その)日巳(ミ)の刻(こく)頃(ごろ)より雨降(あめふり)出て終日(ひめもす)降暮(ふりくら)し終夜(よもすがら)つよく降(ふり)て山より谷へ落る水。滝(たき)の如(ごとく)。風冷敷(すさまじく)吹て枝(えだ)をならし。いと物寥(すご)く淋(さび)しき故。二人して酒汲(さけくミ)かはしてうち臥(ふし)ぬ。明れバ廿六日雨ハ益々(ます〳〵)小止(をやミ)なく降続(ふりつゞき)て物寂寥(さびしく)昼頃(ひるごろ)より空(そら)晴(はれ)て日のめをミたり。いと嬉しく此辺(わたり)見(ミ)に行んと。宮(ミや)の下(した)など莽々(そゞろ)歩行(ありき)する折(おり)から又空(そら)かきくもり雨降(あめふら)ん気(け)はひなれバ急(いそ)ぎ宿(やと)へ帰(かへ)り湯浴(ゆあミ)して居(を)る中(うち)雨ふり出し段々(つぎ〳〵)つよくなりて。此日も降暮(ふりくら)して夜ハ早(はや)う臥(ふし)ぬ。翌(よく)廿七日も降続(ふりつゞき)廿八日廿九日とかきくらし少(すこし)の小止(をやミ)だになくいと徒然(つれ〴〵)なり。抑(そも〳〵)此湯ハ痔(ぢ)の病(やまひ)一通(とほ)りにて此病ある人ハ爰に来りて湯治(ゆあミ)すれバ多(おほ)く癒(いゆ)となん。出痔(でぢ)ハ肛門(こうもん)の際(きハ)より艾(もぐさ)にて男ハ主(あるじ)女ハ妻(つま)引請(うけ)て焼切(やきゝる)なり。湯殿(ゆどの)に一斗樽(いつとだる)の鏡(かゞミ)を打(うち)。中へ熱湯(にえゆ)を汲入(くミいれ)て蓋(かゞミ)の中程に穴を明(あけ)手拭(てぬぐひ)を敷(しき)て是に腰(こし)をかけ肛門(こうもん)を蒸(むす)なり。夏なれど蚊(か)の居(ゐ)ざれバ蚊屋(かや)を釣(つる)事なし。さて六月(ミなづき)も月籠(つごもり)になれど昼(ひる)ハ終日(ひめもす)夜(よ)ハ終夜(すがら)大雨降続(ふりつゞき)て小止(をやミ)なく午(うま)の貝(かひ)吹頃(ふくころ)頻(しきり)に震動(しんどう)す。如何(いか)なることにかと思ふうち主来りて只今蛇骨(じやこつ)山の崩(くづ)るとて人々騒(さわ)げり。此所ハ壱平(いちまい)の大岩(いわ)故(ゆゑ)崩(くづ)るゝ事なし。御心安う思ひ給へといひて帰(かへ)りぬ斯(かく)て其日(そのひ)も降暮(ふりくら)して夜(よ)に入(いれ)バ大風山おろしに吹て家鳴(やなり)震動(しんどう)
 
 
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す是(これ)只事(たゞこと)に非(あら)ずと思へバ魂(たましひ)も身(ミ)に不添(そハず)。如何(いかに)せんと思へバ臥(ふす)事もならず。既(すで)に其夜(そのよ)も亥刻(ゐのこく)ばかりに益々(ます〳〵)大風大雨はげしく主(あるじ)又来りて先刻(さきほど)まをしゝ通り爰ハ気遣(きづか)ひなき処なれども大事(じ)を思へバ。今より此山の麓(ふもと)なる我家の別家(でミせ)あり。是へ知るべし侍(はべ)らん。其(その)用意(したく)し給へとて。爰に来りし客人(まろうど)一同(どう)に集(つど)はせ。二人に傘(からかさ)壱本挑灯(てうちん)一ツを貸(かし)あたへ手々に包(つゝミ)を脊負(せおひ)おのれハ友と二人して門を出ると。山おろしさと吹(ふき)て傘(からかさ)ハ吹ちぎれて手に残(のこ)るハ柄計(えばかり)にて。挑灯(てうちん)ハ吹消(け)たれ暗夜(あんや)なれば方角(ほうがく)を失(うしな)ひ。友ハ放(はな)れて呼(よ)べども後(うしろ)の山より水落(おち)ちて谷へ入る音(おと)高(たか)く。大風の木(き)を吹折音(ふきをるおと)のすざまじくて聞えず。雨ハ滝(たき)を浴如(あむごとし)。山の上なれど水ハ膝(ひざ)を越(こ)え後の山より落て前の谷へ流れ落ること。水勢早く石を押流(おしなが)し足を払(はら)はれ転(ころ)ばんとす。此の水に流さるれば忽(たちまち)谷へ落入ぬべしと。是非(ぜひ)なく地へ手を付這(つきはひ)て後(うしろ)さまに坂(さか)をおりんとすといへども。漾(ミなぎ)り落る水(ミづ)胸(むね)に逆巻(さかまき)眼口(めくち)に入て堪難(たへがた)くほと〳〵死ぬべう思ひし折から耳(ミヽ)の本(もと)に女の声して助(たすけ)よ〳〵と大声上て泣(なき)さけぶ故(ゆゑ)左りの手を上て撫(なづ)るに嬰児(ミどりこ)を脊負(せおひ)ておのが手にしかと取付(とりつく)故耳本(ミヽもと)に口を付(つけ)。おのれ有上(あるうへ)ハ殺(ころ)しハせじ。手拭(ぬくひ)あらバ出(だ)せ脊(せ)なる子の頭(かしら)を包(つゝま)んといひて。手拭取てしかと絞(しぼ)り子の頭を包(つゝ)ミて女をおのが後(うしろ)へ廻(まハ)し帯(おび)を取得(とらえ)させ谷へ落(おち)じと。片(かた)への山を探(さぐ)れど山より落(おつ)る水。滝(たき)の如(ごと)く。足にて心ミつゝ静(しづか)に一丁程坂を下(くだ)れバ。遥(はるか)に火(ひ)の光(ひか)るを見付たり。来(く)る火(ひ)にや行火にやと思ふにつぎ〳〵に近付(ちかづき)たり。嬉(うれ)しさいはん方なく近付まゝに挑灯(てうちん)もたる人おのれを叫(よはハる)にぞ有ける。いと嬉しく此方(こなた)よりも声の限(かぎ)り叫(よび)て見れバ。宿の主なり。先(まづ)怪我(けが)なきを悦ひ迎(むかひ)に来(きた)るなりと云(いふ)におのれより先(まづ)此女を渡(わた)さんといへバ火蔭(ほかげ)に見て驚(おどろ)き此ハ我(わが)妻(つま)也
 
 
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(絵図)
 
 
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と云(いふ)に又驚かれぬ。去来(いざ)とて諸(もろ)ともに打連(うちつれ)岬(ふもと)なる家に入て濡(ぬれ)たる衣(ころも)を絞(しぼ)り地爐(ゐろり)に麁朶(そだ)うち焚(くべ)て乾(かわか)しけり。おのれいへらく家の妻が旅人に助るとハ如何(いか)なる事(こと)にか下上(うらうへ)なる事にこそといへば。妻かゝる事ハおのれ此家に来りて初てにて余(あま)りに驚きて方角(ほうがく)を失(うしな)ひ君(きミ)に助られしハこよなき幸(さひはひ)にて君ハ我々(われ〳〵)親子(おやこ)が命(いのち)の親になんとて。夫婦(ふうふ)諸(もろ)ともに悦(よろこ)び合(あへ)り。さるにても嬰児(ミどりこ)の嘸(さぞ)かし泣(なき)つらんを雨風の音(おと)にまぎれ聞(きこ)えざりしこそ不便(びん)なれといふに。我友(わかとも)なる人も我(われ)ハ主に添(そ)ひて早(と)く来れりと云へり。先(まづ)一人も難(なん)なく揃(そろひ)つるを皆(ミな)〳〵悦ひあへり。斯(かく)て此夜ハ此家に止(とま)り明る朝早(あさまだき)。雨も小止(をやミ)風も静(しづま)りければ。主底倉(そこくら)へ行て見るに家ハ難(なん)なき故。又皆〳〵本の家に帰れり。さて今日は七月(ふミつき)朔日なりけらし。空(そら)いとよく晴渡(はれわた)り朝日はれやかに匂ひ出。人の心も共に長閑(のどか)なり。旅(たび)の調度(てうど)取出(とりいで)皆ぬれたれバ日に干乾(ほしかわか)して居(お)るハ我(われ)のみにあらず人毎(ごと)に斯(かく)なん。此日近(ちか)きわたりの人訪来(とひき)て互(かたミ)の難(なん)なきを悦(よろこ)べり。今日ハ近辺(ちかきわたり)ハハ(ママ)如何(いかゞ)見(ミ)に行んと友どち打連(うちつ)れ木賀(きが)なる。先つ日宿りし家に行て見るに。人に怪我(けが)ハなく然(しか)れども夜べ余(あま)り雨風烈(はげ)しき故客人(まろうど)たち。先つとしの山崩(ぐえ)に竦(おぢ)て又もや向ひの山崩(くづれ)落んととり〴〵逃支度(にげじたく)する所へ。主(あるじ)来り皆〳〵を静(しづ)め。山崩(くえ)ハ決(けつし)てなきを心落居(ゐ)給へ。爰を退(しりぞき)てよくバおのれ知らせ申んといふ故。少心ハ落付ぬるを。家主(いへあるじ)おのが居間(ゐま)に入て人々の心を落付んため。能(のふ)の太鼓(たいこ)取出して謡(うたひ)をうたひ太鼓(たいこ)をうちつれバ此音(おと)山谷に響(ひゞ)くと等(ひと)しく。すは山の崩(くづ)ると一人言出せバ我勝(われがち)に此家を走(はし)り出。山路を上の原(はら)へと押合(おしあひ)て登(のぼ)れバ傘(からかさ)もなく。旅笠(たひがさ)冠(かふり)て行(ゆく)。折から山おろしさと吹来れバ各々(おの〳〵)頭(かしら)に残(のこ)るハ笠(かさ)の輪(わ)のミ。雨ハ滝(たき)の落(おつ)る如(ごと)頭(かしら)ゟ
 
 
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濡(ぬれ)にぬれ。山坂の細(ほそ)き路(ミち)に左右(ひだりミぎ)篠竹(しのだけ)しげりて是に雨をふくみ此大風にゆれて登(のぼ)り来る人の顔(かほ)に打付(うちつけ)目(め)も明(あか)れず息(いき)もつぎあへず辛(から)うじて上の原へ登(のぼ)り来れど辻堂(つちどう)もなく木蔭(こかげ)もなし。亥刻(ゐのこく)より夜の明るまで濡(ぬれ)つゝ立明(たちあか)せりとぞ。口〳〵に語(かた)りし。又或(ある)人の曰(いハく)夜べ亥(ゐ)過(すぐ)る頃(ころ)蛇骨(じやこつ)山より螺(ほら)のぬけて天に登りぬといふ。夫より木賀(きが)を立出。宮(みや)の下(した)に行て見るに大木を吹をり騒動(さうどう)いはん方(かた)無(な)けれど爰ハさせる災(わざはひ)もなし。堂(だう)が嶋(しま)へ行て見れバ奈良屋(ならや)といふ家の庭(にハ)広(ひろ)かりしに泉水(せんすい)築(つき)山植込(じゆもく)夜(よ)べの嵐(あらし)に谷へ崩(くづ)れ入(いり)縁(えん)の下(した)まで崩(くえ)て。庭(にハ)の影(かげ)もなく縁ハ谷に片向(かたむき)てあり。此家の客人語(かた)りていはく。今朝(けさ)ハ此谷川へ種(くさ)〴〵の物流(なが)れ出たり。重簞笥(かさねだんす)の片(かた)し引出しより女の帯(おび)の出かゝりたるまゝ。或(あるひ)ハ(は)屏風(びやうぶ)障子(しやうじ)。台所(だいどころ)の器物(どうぐ)其外(そのほか)夜(よ)るの物迄。数(かぞ)へ難(がた)く谷川の水(ミ)かさまさりて早きに流行を見るもいと寠(あさまし)おのれ等爰の崩るゝ時旅の調度(てうど)もとりあへず肌足(はだし)にて諸(もろ)人とゝもに宮(みや)の下へ逃行(にげゆく)に登(のぼ)れる山路(ぢ)ハ水の漲(ミなぎり)り落て足を払(はら)はんとするを辛(から)うじて宮の下なる地蔵堂(ちぞうどう)に込(こミ)入て一夜を明せり。などおのがまに〳〵語(かた)るを聞も転(うたて)し。夫より底倉に帰て其日ハかゝる騒(さわぎ)にて日を暮(くら)せり。明れバ七(ふミ)月二日江戸へ帰らんとするに酒匂川(さかハかハ)の止(とま)りて帰る事ならず本意(ほい)なくも又三日此所に日を送(おく)る。六日の朝川の明たるを告来(つげき)たれバ。去来(いざ)とて爰を立出宮の下を過て行(ゆけ)バ路の崩(くえ)て行事なり難(がた)し辛うじて里(さと)人を頼(たのミ)階子(はしご)を掛(かけ)て谷へ下り其(その)階子(はしご)を向(むか)ひに又掛(かけ)登(のほ)りてゆく。斯(かう)やうなる所三所(ミところ)あり。辛うして小田原(をだハら)へ出たり城下(まち)を放(はな)れ並木(なミき)の松の梢(こずえ)に多(おほく)くの藻(も)のかゝり居(を)れバ。奇(あやし)う里(さと)人に聞(きけ)バ此辺(このわたり)の松の梢(こずゑ)まで水付て何処(いづく)より出けん。蚦蛇(うハばミ)水を
 
 
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渡(わた)りぬとなん。其外(そのほか)蛇(へび)夥(おびたゝ)しく出て流(ながれ)ぬと語(かたり)ぬ。実(げ)に此時の水ハ江戸にても永代橋(えいたいばし)大橋(はし)も落(おち)て年代記(ねんだいき)にも其(その)故由(よし)を記(しる)せせり其日は大磯(いそ)の駅(うまや)に宿(やとり)。翌(よく)七日川崎に宿りて八日の昼頃(ひるころ)江戸に帰(かへ)りぬ
 
註19 清見寺 静岡市清水区興津にある臨済宗妙心寺派の寺。天武天皇の時清見関の関寺として創建。三保の松原を望む観光地としても栄えた。
 
墨蹟遺考下終