(一)本書は「房総志料」の表題と、「後苑荘図書記」の蔵書印をもつ表紙(筆跡からみて後装と推測される)を含め五十七丁の小冊子である。
本文冒頭に「房総志料 安房」とある。
(二)構成は、安房・平郡・安房郡・朝夷郡・長狭郡の五章からなる。冒頭の安房は、安房国の成立過程、国名の由来、地勢、産物、東鑑・義経記・里見記等からの引用による当国に関連する戦記や人物の事蹟などを記し、以下の四章は各郡ごとに、村々の地形、風俗、植生、伝説、寺社仏閣の縁起、さらに関連する軍記や歴史上の人物についての前記諸本からの引用となっている。
(三)記述内容から見て本書は、中村国香著「房総志料」のうち安房の国に関する項目を抄出し、独自の順序によって編纂したものと推測される。項目ごとの記述は後掲「校訂表」にみるとおり内容にわたる差異は少ない。しかし項目の配列は全く異なっており、村や事項ごとにまとめようとする意図かとも見えるがその基準も必ずしも明確でない。
筆録者および作成時期の記載はない。
(四)「房総志料」の著者の中村国香は、宝暦十一年(1761)初冬、故郷上総国夷隅郡長者町を出発、同国の埴生・市原・望陀・周集(淮)・天羽の各郡を経て、上総・安房の国境の鋸山から安房国へ入り、同国の平群・安房・長狭の三郡を廻る。順路上朝夷郡は、清澄山や小湊周辺のみを探訪し、再び上総国に入り帰郷した。下総国には立ち入っていない。
(五)この探訪を基にしてまとめられた地誌「房総志料」は、上梓には至らなかったが多くの人々により書き写され、それらの写本は、国会図書館や国立公文書館(旧内閣文庫)などに所蔵されている。
(六)一方、国香の自筆原本は長らく中村家に保存されてきたが、明治五年政府による地誌編輯事業のため徴収され、太政官役所の火災による焼失が伝えられたりしたが、陸軍の所有となっていたのが発見されて、中村家に返還された。現在はいすみ市の文化財に指定されている。
また稲葉隣作氏により中村家の原本から翻刻され、「房総叢書」第六巻に収載されている。
(七)当館には次の四点の写本が収蔵されている。
S‐6 「房総志料」 仁・義・礼・智・信の五冊本
初頁に「上総国夷灊郡臼井郡((ママ))長者里 中村国香著」、末尾に「文化三年丙寅(1806)十月二十有二日校畢 藤原縣麿」とある。
S‐36 「房総志料」 一冊本 後述
S‐46 「房総志料」 三冊本 一冊(一・二)
二冊(三)
三冊(四・五)
筆写者・筆録年記載なし。
S‐47 「房総志料」 二冊本 一冊(一~三)
二冊(四・五)
筆写者・筆録年記載なし。
構成と内容はS‐36を除き「房総叢書」所載の「房総志料」(以下「叢書本」と略記)にほぼ同じ。
(八)「叢書本」の構成と内容
序 旅の時期、経路と執筆の狙いなど。
房総志料第一 旅程に従い上総国夷隅郡・埴生郡・市原郡・望陀郡・周集(淮)郡・天羽の各郡の村々について記載。
房総志料巻二 安房国平郡・安房郡・長狭郡の村々
について記載。
房総志料巻三 上総附録
上総国や村々の歴史、地名考証、歴史上の人物の事蹟等の記述。
房総志料巻四 上総附録
同右の続き。
房総志料巻五 安房付録
安房国についての上総国同様な記述。
(九)「叢書本」とS-36の対比
(1)「叢書本」からの巻別の引用は次の通りである。
安房 この章の五十八項目中五十三項は巻五から、残り五項目は巻二からの引用。
平郡 三十四項目中二十五項目が巻二から、残り九項目が巻五からの引用。
安房郡 四十九項目中四十項目が巻二から、残り九項目が巻五からの引用。
朝夷郡 二十項目中十八項目が巻五から、残り二項目は巻二からの引用。
長狭郡 五十一項目中二十九項目が巻五から、残り二十一項目が巻二からの引用。(出典不詳一項目)
右の通り「叢書本」からの引用はすべて巻二と巻五からであり、序・第一・巻三・巻四からの引用は全くない。
(2)巻二・五から引用されなかった項目は次の通りである。
巻二では九十四項目中次の五項目である。
①「房総の堺、東は夷灊郡一ヶ坂に起り、… 以下略」
②「房総の界に市ヶ坂の名あるものは、東條の鹵(カタ)海市川村小湊といふ事、日蓮の事記せしものに見ゆ。」
③「市ヶ坂の半腹より西を望ば、浪(な)太(ぶと)・忽(コツ)戸(ト)・伊豆の大嶋みゆ。」
④「市ヶ坂を過れば、上総夷灊の地臺宿といふ処に至る。…以下略)」
⑤「同郡上野村より同郡清水寺艮・勝浦東…。以下略」
巻五では百二十四項目中、次の四項目である
①長狭郡大山寺から濱荻にくだる途中にある布川山長安寺についての記事
②長狭郡に隣接せる郡名
③「房総の俗、七夕・重九ともに佳節たることをしらず。…以下略」
④「金谷の山と相の浦賀と相対すと。」
(3)絵図についても全4図が「叢書本」と同じ箇所に挿入されている。
(4)「叢書本」にある中村国香による頭注は全て省略されている。
(5)記述内容
各項目ごとの相違は後掲「校訂表」のとおりで、意味の上で大きな違いがあるものは多くはない。しかし小さい差異や単なる誤写とは見られないものも少なからずある。
(6)S‐36に記載の
「一峯岡の牧に白牛を産す。白牛は目出度もの也といへり、毎年江戸の官府に引て乳汁をとり、白牛酪を製し上の養薬に備ふと」(本史料集二十九頁下段)
この一項目のみが「叢書本」に記載がない。また各種の写本(早稲田大学図書館蔵・千葉県立中央図書館蔵二種・当館所蔵三種)にも記載が見られない。
(注)
「房総志料続編」(『房総叢書』第六巻)に内容が類似する左記の記述がある。
「▲峯岡牧長狭大山へ近き所、白牛多く見ゆ。人を恐るゝ事なし。年々東都へつれ行き牛乳をとると」
このような点を勘案すると、S‐36の大元の底本は中村国香の原本ではあるが、直接引用した底本は原本ではなく、写本の一つであったと推察されるが特定はできない。