三田村鳶魚が、江戸時代の旅について、「江戸時代初めは、旅行は苦痛であり娯楽には不適当だったが、元禄の頃より、食事と宿泊が一緒になり、旅籠屋などの設備も整ってきて、それから六十年経った宝暦の頃には、遊山旅という言葉も使われはじめ、旅を楽しむ様になり、文化・文政の頃には、一泊二泊の小旅行には、女子供でも出かけるようになった。また、実際には無理でも、京・大坂へ行ってみたいという、希望をもつ人も増え、遠い国で、変わった所を見物したいという心持、面白く旅をするという心持が人々にあった。一九の『膝栗毛』が出たのは、そういう時期なので、人々に大変喜ばれたと思う」(「滑稽本概説」(『三田村鳶魚全集』所収))という意味のことを述べている。