【六】この本の特徴

 「この本」の中で、①笹屋のうどん、②八兵衛の今津屋、③大和田の鶏盗人、④酒々井中屋の夜這い、などの場面は、いずれもどこかで聞いたような噺で、明らかに滑稽本「〇〇膝栗毛」の模倣作の一つと思われるのだが、『膝栗毛』や前掲『黄金の駒』・『魯文本』と比べると、大きく異なる点がいくつかある。
 
〔1〕主人公二人の会話が少ないこと
江戸っ子二人の旅という点では、他の本と同じだが「この本」では、相棒同志の会話がほとんどなく、『膝栗毛』や『黄金の駒』・『魯文本』などには、頻繁に出てくる「コウ弥二さん」や「ナント北八」或は「トキニ権公」などの呼びかけや、「~とはすさまじい」などの、下劣ながらもポンポンとまくし立てる、江戸っ子特有の歯切れのいい会話が見られないために、滑稽であるべき場面での、可笑しさ、面白さが半減しているのは、残念に思える。
 
〔2〕作者の説明や聞き書きが多いこと
 前項と表裏の関係だが、会話の間にも作者の説明が多く、そのためか、「酒と肴をだすべし」「我を食うべし」など、文語助動詞が多用されているので、江戸弁の会話なら噴き出す場面でも、あまり可笑しさを感じないように思える。加えて、他にはあまり見かけない、名所・伝説等の記述が多いのは、名所を訪ねることが作者の意図であるにしても、「八兵衛」の話から、『平家物語』・『曽我物語』・『吾妻鏡』に、果ては海を渡って、中国元代の『二十四孝』まで、話が広がっては、道中記としては、焦点がぼやけて冗長になったきらいがある。
 
〔3〕人物名や地名、時代の変更がされていること
「この本」では、「斉藤別当」を「西東別東」、「総寧寺」を「宗念寺と書くなど、文中の人物名や寺院名、また、時代や場所などの多くが、史実と異なっているので、現代の読者は大変戸惑うと思うのだが、作者と同時代の人には、これですぐに「ははあ」と判ったのだろうか、この点についての作者の意図は、筆者の理解の及ぶところではないが、「この本」に載せられた多くの伝説や昔噺を見ても、作者は相当の知識人で、我国古典は勿論、漢籍などにも、造詣の深い人物であったかと思われる。尤も、一九にしても「神田(・・)八丁(・・)堀(・)辺に独り住みの弥次郎兵衛という(傍点筆者)」などと、在りもしない住所をサラリと記しているが、「この本」の場合は少し違うようだ。
 
〔4〕仮名遣いが変則的なこと
 「棹」が「棹を」「通」は「通ふ」など不要な送り仮名が目につく。また、仮名遣いで、江戸語の発音を聞いたとおりに、書かれているので、「ネエ」が「ネイ」になったりして、読み初めはとまどう。ネエはネの長音だが、ネイは江戸弁では「ハイ」の意味で「ねい」「ねいねい」などと使われるので、文末に付けるとややこしくなる。
 
〔終わりに〕
 序に書かれているように、作者が、成田街道の名所を訪ねて、それを広く世間に知らせようとの意図をもって、「この本」を書いたであろうことは、内容から理解できるが、名所や伝説の案内にしては、行程や距離などが記されず、また人名・地名なども実際のものとは異なっているので、読者はとまどい、作者の意図は伝わりにくかったと思われる。結局「この本」は滑稽本の体裁を借りて滑稽本たりえず、名所案内を目指して、名所案内とも云えないものに、なったのではなかろうか。
 本稿もまた、これまで見当違いのことを縷々述べてきたとの、お叱りを受けるかとは思うが、「史料解説」とは題しても、浅学非才の身ではとてもその任に堪えず、一素人の読後感想文だと見なしていただき、ひたすら読者のご寛恕を乞い願うのみである。おしまいに、不謹慎を承知で作者の轍を踏んで一首。
   弐笑人 目だたぬまでに 書き過ぎて
    谷ぼな本とは 成田さんけい