読みかえ文

一 読解の便をはかるために、原文のひらがなの一部を漢字に改めた。また適宜濁点と読点を付した。
二 漢字に付したふりがなは、原文の表記通りとした。
三 送りがなは、現代の慣用的な表記にした。
四 ( )付きの傍注は、原文の解読者が付した。
五 和歌・俳句・漢詩は原文のままとし、和歌・漢詩は二行で表した。
六 日付を分かり易くするため改行して、太字にした。
 
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文化十三丙子弥生末
    浜路のつと
 
 
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栄呂院様御起草
 
 
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実(げ)に月日の過ぐるは、放つ矢よりも疾(と)く、行く水よりもなお早し、去年の春より心に懸け渡りしが、いつしか年波の立ちかえり、如月の半にと思い定めしも、何くれと世のことに拘(かかづら)い心の儘(まゝ)ならぬを、とし子のいたく打ち侘びたるも宜(むべ)なりや、漸(やうや)く長閑(のどか)なる折待ちえて、弥生
 
 
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中(なか)の九日 宵より雨も降りぬれど、又いかなる障(さわ)りもやと立ち出でぬ、望義なん小網町といえる所まで伴い来にける、ここより舟に物(もの)すれば、今は別れなんとする折しも、
   川浪の立わかるともいつかとく
    こきかへるへきあふせをそまつ
互(かたみ)に名残惜しみつつ、後ろ手の見ゆる限りは見送りぬ、望義を残し置くものから、ただただふるさとのことのみに心ひかれて、行く程もなく扇橋過ぐる頃より雨降り出し、舟に苫(とま)という(てふ)もの蓋いければ、
  ふるさとをしたふたもとの露けさを
    とまもる雨そしほりそへぬる
釜屋堀の辺より雨もやみぬ、左右の
 
 
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河沿いを見つつゆけば所々に、
  めもあやに柳はみとり八重桜
    もゝのにしきを織そへて見る
とし子も、
  かは浪にうつろふかけを詠むれは
    水底に咲花かとそ思ふ
それより行徳の河岸に着き、しからきという家にて昼の飯食(いいたう)べ、二俣と船橋とにはいと広き塩浜有り、小さき家共いくつとなく方々(かたかた)に建てり、塩焼く煙(けふり)の風に靡くさま、げにげに古きうたなど思い出でて、いと面白きこと限りなし、その暇(いとま)には古郷をのみ思う思う忘るる間なく、馬加(幕張)、検見川を過ぐる頃より又小雨降り出で、登戸(のぶと)の海辺はいと遥々(はるばる)の道なり、うららかなる日ならましかばと思い侘びつつ、笠の
 
 
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うちより見渡せば、来しかた行末波もひとつに空かきくれて心細し、同じ宿(すく)の木村屋に泊りぬ、ここの主は兄(せ)な君の知る人にて、有る限り訪(とぶら)い来つつ何くれともてなしたるに、少し心も落ち居、旅の宿りとも思おえず明かしぬ、夜更(ふ)くる頃より雨風いと激し、
廿日 つとめて(早朝)も小止(おや)まざりければ、徒歩(かち)にては覚束なしと、供の男子(おのこ)二人をはじめ家こぞりてそそのかし侍るに、せんかたなく駒打ち並(な)べて行く程に、姿にも似ず思いしよりはいといと優(やさ)し、
  あらこまと何思ひけんむさしあふみ
    さすか心は有けるものを
寒川の宿を過ぎ、右は海、左は田畑なり、
  心あてにこれそと見やるくまもなし
 
 
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    なみのあなたやふるさとの空
畑の境に四五尺ほどの木に、紅の花のいと濃く咲きたるを何ぞと問えば、草木爪(しとめて)という(ふ)木と言うに、
  花のもとを見ては過しとめに近く
    こま引きとめてしはし休らふ
曽我野の亀屋にて昼の飯食(いいたう)べぬ、ここは又とし子のふるさとの知る辺にてあれば、木村屋のごと懇(ねんころ)にもてなしぬ、ここに休らううち雲の一村(群)だになく晴れ渡りぬ、とし子のふるさとより駒ふたつ下男(しもおのこ)ひとり迎えに遣(おこ)しぬ、とかく好もしからねど背き果てんも本意なくて、又この駒にて行くに、下(しも)つ総(ふさ)と上(かみ)つ総との境に村田河という有り、頓(とみ)にも舟出さざりければ、
 
 
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  心してとく渡してよ川なみに
    移る日かけも西にこそなれ
今富村より日も暮れ果てぬ、また川有り、程近ければここに又迎えの人二人三人(ふたりみたり)出で来て待居ければ、思うままに渡り越し、根本の家に戌の時ころ着きぬ、疾(と)くより待ちにまち侍りしと皆喜び給うこと限りなし、
廿一日 また終日(ひねもす)雨の降りけれど程もなければ、小出氏伊藤氏の許(かり)、とし子と訪(とぶら)い行きければ、いづかたにても浅からずもてなし、御酒(みき)、果物調(てう)じ出で、夜に入りて帰りぬ、
廿二日 今日(けふ)は降りみ降らずみ晴れ間なく、琴三味線など取り出し、とかくして日も暮れぬ、
廿三日 朝より南の風出でて、漸(やうや)く午の時頃より空も晴れやかになり、
 
 
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日影めずらかなる心地していと嬉し、未の頃より十町ばかりもや有りけん松原に行きて、松露(せうろ)を数多く掘り出し、土筆(つくし)は残り少なにはあれど、小さき篚(かたみ)に余れるまで摘みけり、心をのべと云いけんは宜(むべ)なりなど、心つくしと(て)いう(ふ)名には立ちけんと戯(たわむ)れ言(ごと)言いつつ、ここかしこ遊び歩りくに、日も暮れ近ければ心残して帰り来ぬ、主のいとこの君訪いおわして、とし子の弟君と二人して絵を書きて唐歌作りなどしつつ、ふたりにも讃てよと絵かきて出し給うに、
とし子
  柴の戸にさし入月のほのかにも
    忍ひ音もらす山ほとゝきす
  山の端に日も入しほのあま小ふねい
 
 
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つこさしてかうみわたるらん
さまざまの物語に夜もふけ侍れは、寝屋(ねや)に入りぬ、
廿四日 今日はここの神まつりとて、親しき限り集い給いて、唐歌よまん題書きてよといわるるに、十余り撰(え)り出しておくるに、また二人(ふたり)にも歌よみてよと題おこし給う、
 籬外梨花
  引はへてさらせるぬのとみるはかり
    まかきにこめしなしの花その
  のとけしなふらても積る雪とみしは
    しつかかきほの山なしのはな
  ませゆひし花の主は有の実の
    なりもならすも今よりやしる
 閑居
              とし子
  八重むくらとちしはてなは柴の戸を
    まつのあらしもしらてすくへき
  なれぬれは何か淋しき明くれの友
 
 
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とこそきけみねの松風
方々(かたかた)も唐歌、大和歌あるは発句、とりどり面白かりしかど書くも留(とど)めずなりぬ、今日(けふ)は雨模様、雲の晴れやらで暮れぬ、
廿五日 今日(けふ)も空のけしき同じこと也、昨日の方々(かたかた)まだおわして未の時ばかり皆帰り給う、とし子の伯父君我方に伴い行かばやと、いと切(せち)に宣(のたま)はするを辞(いな)みがたくて、さらば跡よりと契りて別れぬ、夕つ方とし子とかの嶋野へ行くに、小雨降り出で、田畑の数知らず打ち続きたる細道にて、いとど風も吹き強(つよ)りかさをだに取りあえず、横切る雨に身さへ田の中へ落ちも入りぬべきばかりなり、暫(しは)しは日も暮れ果て何方(いづち)とも思い分かず、細き川など有りて丸木橋渡り煩
 
 
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い辿る辿る、かの家にこそ侍れと人々の言うにいと嬉しくて、入りぬさきより待ちわびしなど言いつつ皆出で来ぬ、なにくれと物語りしつつ、かねて歌好み給うよし聞き侍りしが、やがて数々の歌取り出で見せ給う、
  えもいはぬ言葉の花の巻々を
    心もちらてみるそ嬉しき
廿六日 昨夜(よべ)はいと暗かりしに何事も思い分かず、つとめて(早朝)庭の面を見やるに、態(わざ)とにもあらで、家居の作り様、としふる松杉の木高く茂り、桜は散り過ぎたれど、桃はここかしこ三つ二つつ咲き残り、池の汀(みぎわ)には下草の緑濃き薄き、思い思いに萌え出でていといと面白し、夏を宗(むね)としたるにや、雨の降るさへいとおかし、
 
 
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  草々のめもはる雨の庭のおも
    末は霞のかゝる木ふかさ
昨夜(よべ)より何くれと心そえ懇(ねんころ)にもてなし給う嬉しさに、
  思はすよむさし野ならぬ若くさの
    ゆかりとめきて旅ねせんとは
廿七日 今日も朝少し小止みぬれど、巳の半より降り暮らしぬ、今富より迎え遣(おこ)し給えどひたすら止め給えば、
  ふしよさに又けふさへもくれ竹の
    夜を重ねつゝたひねをそする
廿八日 今日(けふ)は朝より雲間見えつついとよく晴れぬべきさま也、
  けふいくかなかめ来にけむうみ山の
    雲間嬉しき朝ひこのかけ
未の半過る頃立ち出でんとするに、主(あるじ)の歌はこの頃始めたればとて、
  あふき見れはくものふかさよ春の月
 
 
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    うつり香を袖にとめけりよるの花
いせ子も同じこととて、
  黒門のそとよりはなの一木かな
  花かをる言の葉えたりくさのやと
今日はいかにも帰さじと宣(のたま)えど、しいて暇(いとま)告げて夕つかた帰りぬ、
廿九日 天気よし、あたこの山のわらび折にとて、主に誘なわれ午の時ばかり出でぬ、道の程おかしき所々にて、いつとなくかの山の麓にもここかしこ萠え出づるわらび手折り手折り歩むともなく登り果てぬ、すみれ、ふちな、見もしらぬ花の色々、またすみれは二種有りけりと聞きしが、今日(けふ)ばかり手に取り見つつ、皆美しくはあれど葉細くて長きが色も殊によし、何となく手にひとつばかりは摘みけり、こは由(よし)な
 
 
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き事と思いて止みぬ、いかなる人にか多く摘み持て来て食(く)えりしが、いとう煩らいたりしと聞きし事思い出でて独り笑みせらる、かかる野原また道端などの人も通わぬ所にて朽ち果てんは惜(あたら)しきことなり、いかさま食(たう)べだにせばやと思いしは宜(むべ)なりや、遠く見渡せば、先ず二つなき雪の白嶺(しらね)、ただここもとにやと、辿(たど)らるる海山の風情心ゆく限りなりけん、少し平らなる所求めて御酒(みき)酌み交わし、日の暮るるも知らで遊び居(ゐ)けるが、いざ帰らましと言わるるに今夜ばかりはと言わまほしけれど、帰るさの道すがらふるさとの御方々誰かれ思い出でて、かかる所に伴ない来しかばいとをかしき節も増えるべきを、又望義など
 
 
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もいかばかり喜びなんと方々(かたかた)に思うこと尽せず、
  あたらしき詠なりけりひとりきて
    山のかひなく思ひわひぬる
下り果てて、
  あたこ山又こん春もなからへは
    過にしけふをさそ忍へき
暮れ果てて帰りぬ、摘みしわらびを見るに思うより多くありければ、
  いつとなく手折〳〵てかたみにも
    かく余けむ山のさわらひ
このほど訪(と)い給し御方々より馬のはなむけとて、唐(から)歌使いして送られぬ、
                瀧子
  送君偏勧酒 別後何時期
  歌舞陽関曲 離愁欲夕暉
と有り、廿四日に琴弾き給いし事さへ思い出でて、
  さらてしも恋しきことの音つれに思ひ
 
 
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のつまをかさねてそ行
 
            矢嶋長
  臨別贈君処 欲期涙満衣
  昔時相共笑 今向海東帰
  帰る雁又こん秋もありそ海の
    なみにつはさをなとしほるらん
 
            野村玄仲
  別後相思一紙書 回頭契𤄃恨無窮
  又懐君至眠難穏 悵望寥々向晩風
  わかれても心のかよふ道しあれは
    隔て行ゑを何なけくへき
            根本伝内
  別後思君独掩扉 愁来昨夜夢魂飛
  天涯契𤄃何時至 只歌音書涙湿衣
  見しや夢忍ふやうつゝ契おく
    あふせもまたて袖はくつへき
 
            斐長章
  帰路悠々分手遅 煙波一別又生悲
  筆硯結交何忘却 夢遂東風至海涯
長章大人(うし)は四人(よたり)の師にておわしませ
 
 
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ば同じことに返しせんもいかがと思いて、
  からやまと心のたねは一筋の
    よるへとたのむわかの浦ふね
と書きて送り侍りし、また小雨降り出づ、廿九日卯の頃よりしきりに降り強(つよ)り南の風さへ吹き出でて、夜に入りても同じことにて夜すがらおどろおどろしさに寝もやらで明かしぬ、今日(けふ)はここを立ち出でばやと、昨日(きのふ)より安房と上総の海山心に懸けし甲斐なくて、
  雨風の日数ふるまに春にさへ
    立おくれにし身をそわひぬる
卯月朔日 風雨になりて終日(ひねもす)雨も小止(をや)まざりき、暮れ果てて、漸(やうや)く少し雲間の星所々に見ゆるばかりにこそ、
二日 又今日も折々小雨降りぬ、昨日は衣更(ころもかへ)なりしが雨風をのみ侘つつ、ことに寒かりしかばいとど打ち忘れたりき、
 
 
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三日 漸(やうや)ううららかなる日待ちつけていと嬉しく、とし子の父君(きみ)安房の館山におわす兄(せ)な君のいとこの許(かり)迄送らんとてともにおわす、この程わらび折りに行きたりしあたご山を右に見つつ登る道をせんけん坂と言う、なお続ける山々のさのみ険しくもあらで、緑の筵敷つめしこといと美し、所々に松の高き低(ひき)き村々(群群)生茂り、または二尺三尺ばかり小松植え並べしように並(な)み立てるもいとよし、又、富士の嶺(ね)の雪いと白く見渡されて得も言われず、おかしき風情言いも続け難(がた)し、
  ふしのねをいかに見しそと人とはゝ
    たゝなか空の雪とこたへん
実(げ)にうき世の外にこそあらめ、わらび手折りつつ道もはかどら
 
 
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ず、漸(やうや)う寺坂を過ぎ、妙香(めうこ)といふ所の大原何某(がし)はとし子の姪のおわすとて立ち寄りしに、昼の飯進(いひすす)め給いて暫く休らいぬ、又牛久の内藤何某はとし子の姉君おわせしが、去年の暮身罷(みまか)り給いしとぞ、ここにても何くれともてなされつつ、かの亡(な)き人の御墓(みはか)へ詣でたりしに、父君とし子の御心(みこころ)のうちおしはかりて、
  有し世はいさしら露の消残る
    ゆかりのそてを思ひしをるゝ
と思う思う行くほどにいつしか内田を過ぎ、笠森の御山に来にけり、御堂を岩根に作りかけたる柱短き長きもて、本尊は岩の上に坐(ま)しましぬ、いとよく巧(たく)めるものかな、日の本に二つとも有るまじやと覚ゆ、下より棟
 
 
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まで七丈余有りけるよし、登り果てて観世音を拝し、下りてここかしこ見めぐるに、
  五月雨に此かさもりをさしもくさ
と書し芭蕉(ばせを)の碑(いしぶみ)有り、猶下る道すがらつつじの匂いやかに咲き出で、夕日の影にいとど輝きて紅の色深さ言うもさらなり、
             錦翠主
  あすしらぬ浄土をうるや山つゝし
ただに過ぎん事本意(ほい)なし、いかにいかにと言わるるに、
  もらさしとちかひましますみほとけの
    み法たのまむかさもりの山
うるさければかかる跡(あと)なしこと言いて過ぎぬ、漸(やうや)う長南に出で、現逢屋に泊りぬ、
四日 三途の台とて東叡山の末寺これを拝し、また仙田と言えるところに法華勧請の御寺を拝し奉る、二所とも御堂の作りさま何
 
 
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くれといと尊し、道の程近しとて御寺の山を越え、宿(すく)へ出るに人の行き交(かい)いとまなし、何事の有りけるにかと問えば、今日(けふ)は市の日なりと言う、わざと行きて見るに、万の物持ち出でて商うを、鄙(ひな)人の麦・豆あるは米(よね)・小豆(あずき)などに換えて行くも有り、中には銭(あし)とらせて買うも有り、人目多き中に何盗すめるにか声かけて追いつ追われつ、いといと騒がしくて長居は詮無(せんな)し、
  うることのかたきこかねにかへてしも
    世にしら浪の名をはなかさし
とつくづく思いぬ、この宿の末にて昼の飯食(いひたう)べ、又錦翠主のゆかり関と言う所の大和何某の家に立ち寄り、ひたすらとどめ給うを辞(いな)み難しとて泊りぬ、夕つ方庭
 
 
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のうち見めくりありくにいとひろく、池ものうち見めくり歩くにいと広く、池も二所有り、築(つき)山何くれと手を尽したるさまなり、囲(かこひ)の内など見歩くに畑の中四五町ほども有り、又松の林横縦共七八町もや有りけん、わらびぜんまいなど盛りに萌え出づるをいと多く手折りぬ、
五日 疾(と)く出で立たんとするに、今日(けふ)はこの浦へ伴ない行かん、用意したればいざいざと宣(のたま)うに、亦せんかたなく行きぬ、今朝疾(と)く網にかかりしとて、岸に山のように鰯という魚(いを)を積みて有り、干鰯(ほしか)といふものにせんとて、海士(あま)どもの我劣らじと担ひ行きては平にならして干しぬ、いといとものうげなる業ぞかし、
  山かともおほめくはかり引あみに
    かゝりとかゝるいをのかす〳〵
十ばかりなる童(わらは)
 
 
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の蛤籠(はまぐりこ)に入りて持て来るを、何処(いづく)にて取りしかと聞けば、ただこの浪岸にてと言う、さらば行きて拾はんとて足してさぐりさぐり拾いぬるを見て、錦翠主をはじめ皆、果て果ては浪の中に脛(はき)より高く入りて数しらず拾いぬ、早満潮(みちしほ)にて夕近くもあればと言わるるに名残惜しみつつ帰りぬ、
  沖つ風あらき浜辺によせ帰る
    浪のかすかすひろふはまくり
ここは九十九里のうちなるが、又色々名有りけるよし、この浦は矢指と呼べると聞きて、
  限さへなみの立ゐのあらましき
    浦をやさしとなと名つけゝむ
今日(けふ)は浦の苫(とま)屋にて昼の飯食(いひたう)べしが、鯛の魚(いを)、平め、あぢなど活けるを色々に調じて出しけるが、
 
 
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味わいも一入(ひとしほ)には覚ゆれどいとむくつけき業ぞかし、
六日 南の風強くて横切る雨の荒(すさ)むともなければ又泊まりぬ、庭の表(おもて)を端近く見出して、
  をしみこし春の名残の嬉しくも
    夏かけてさくにはのふちなみ
とし子明日(あす)立ちぬべきことを思いて、
  詠るもけふを限か庭もせの
    風に吹よる花の藤なみ
七日 今日(けふ)は天気よくて、漸(やうや)く立ち出でぬ、ほどなく一の宮に出でて眺めやる海辺、
 東浪見(トラミ) 一ノ宮 一ツ松 不入斗(イリヤマス) 幸治
 中里  八斗  五井  古所  刺(ソリ)(剃)金(カネ)
 牛込  浜宿  四天奇(シテキ) 今泉  真亀(マカミ)
 不動堂 貝塚  粟生(アハフ)  片貝  小関
 作田  本須賀 井ノ内 松ヶ枝 木戸宿
 蓮沼  屋形 是まて上総、此末は下総なり
 
 
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 城戸  辻   土手  茅田  尾垂
 小屋  川辺  新堀(ニイホリ)  今泉  野手
 椎名  神口(カクチ)  足皮(アシカ)
すべてこのうちを九十九里というにぞ有りける、いとはるばるの海辺にて、末より末は雲のかかれるようにて定かには見え分かず、まず玉碕(前)の明神へ詣でけるに御社より続きて行く細き道有り、小さき木戸の明きて有るをのぞき見れば御社守の住居なり、いと高き岩山に作りかけたる庭いとよし、人の影も見えざりければ心安く入りて、山に半ば過ぎ登り行くほどに、何処(いづち)よりか年老いたる男子(おのこ)出で来て、誰成るぞ、案内(あない)もなくなど入りけんと咎むる、旅の者にて候、戸の明きて有るに奥ゆかしく思い入りて候ぬ、果てまで見まほし許(ゆる)し給い
 
 
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ねと言えば、今日御(み)主もあらず、我が預りしなれば疾(と)く出でよと荒げなく言うがいと憎くくて、ふた言と返さで出でぬ、思うにかの木戸鎖(さ)す事打ち忘れしものならん、この山の半ば頃より見しに海はさらなり、別当(へたう)の庭には池の岸に、藤、山吹、岩根のつつじすべてをかしき作り様なり、とまれかくまれ半ばまでも入りて見しことの嬉しさよとうち笑いつつ行くほどに、東浪見の軍荼利明王の御社伏し拝まんと、いと高き山を登り行くに玉碕(前)にも劣るまじう覚ゆ、これよりは道の程むつかしければとて案内(あない)頼みて行くに、三度ばかり登りては下りつる、山に松のいと多く生茂れるが真砂地(まなごぢ)にて、潮風に根の掘れ返り
 
 
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色々結ぼほれぬるも中々見所あり、海辺に出れば、島山にて常に音絶えぬなりと言う、皆寄りて聞けば、いかさま神の遠(とほつ)かたにて鳴り始めしようになみの声さえ響き合いて、ただ独りにては行来(ゆきき)も恐しかりなんと思うばかりにこそ、行末はいざ知らず、太東崎の浦こそ今日(けふ)までに覚えぬさましたれ、潮の遠く干(ひき)にければ海に沿いて行くに、片方(かたえ)は幾折りとなく屏風立て掛けしようなる岩山也、半ばよりは打ち掛くる波に砕けて落ちし岩ならん、幾らともなく折り重なれる上を、踏み外すまじとあから目もなり難し、山の裾所々掘れ入て、いかなる雨も凌がでやは、中々なる小家よりも良かりなむと皆言い合えり、海の限りはただ
 
 
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緑の空に続けるのみ、言の葉にも述ばへ難く、片端(かたはし)をだにと取る筆も投げ捨てらるるばかりなり、それより飯綱(いづな)の明神に詣づ、ここは平なる所にて程なく長者町に出で、ます屋に泊まりぬ、全て今日の道すがら思い続くるにも、ただ誰かれと故郷の方々(かたかた)恋しさいや増しぬ、酉の半ば頃より少し地震震(なゐふ)る、夜もすがら聞くも慣らわぬ浪の音に寝もやらで明しぬ、
八日 今日(けふ)も長閑(のとか)なる朝日とともに立ち出で、福原、小池を過ぎ、小浜といふ所の八幡に詣づるに険しき山なり、岩(いは)ほを良き程に切り通し、屋根のみ作りて御社とせし也、中々清らなる心地す、方々(かたかた)を行き巡り、木の根岩角を便(よすが)に俯(うつふ)して、やをら下を覗き見れは、山の裾
 
 
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に打ちかくる浪の音は凄まじけれど、砕けて散るさま雪か花かといと美し、
  ちりひちのいかにつもりし八わた山
    かきりもなみの底ゐをそ思ふ
海の中に差し出でて五重の塔の様(さま)したる岩ほ有り、この丈一丈ばかりもありけんと言えば、片方(かたへ)なる草刈男(をのこ)聞き付きて、いと浅き推し量り事かな、十丈にも余りけんと云う、残り多けれど下り来ぬ、この浦の魚(いを)を取りて世を過ぐる家々幾らとなく立ち続きぬ、思い思いの業しつつ、此方彼方に居りける人々の、身に纏う衣(きぬ)どもの汚なげなる事言うも更なり、
  浦人のしほなれ衣きてみれば
    思ひしよりもわひしかりけり
御宿の半ばより又山也、此方(こなた)より見渡せば、五六丈
 
 
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上より海の中へ滝流れ落ちて、通るべきようも無ければ、如何でかと思う思う行きて、滝の方(かた)を身を潜め見れば、岩を穿ちて通路としたる也、この洞の中も清水流れ落ちて冷ややかなり、昨日見し所々には似るべくもあらでそのさま劣るまじ、部原は岩ほの形又同じようならで、行く末々珍らかにいとおかし、十間ばかりにもや、腰打ち掛くるに良き程の岩ほ有り、暫し休らいて、みるめ、ひじき等多く取りて遊びぬ、海士共の浪の中へ身も隠くるるばかり入りて、鮑、さざえ、礒草思い思いに取りいたり、又もと越しようなる山を過ぎれば、沢倉、勝浦に出でぬ、供の男(をのこ)ふと思い出でけるにや、わがふる里東浪見(とらみ)よりは程近しと語るに付きて、常々古郷の事ども誇
 
 
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りかに言い出づるを、片方(かたへ)より打ち消し、夫よりも爰(ここ)はかしこはと言い争いしを思い出て詠み給いしとなむ、錦翠主語り給う、
  しる人にあわぬも久し九十九里
みずからも同じ心を
  百里に一さとたらぬ浦の名を
    思いほこりしほとそしらるゝ
やがて彼の男(をのこ)と様々物語する人有り、誰(た)ぞと問へば幼かりし時の友達(ともとち)なりと言うに、
              とし子
  あらそひにかつうらならぬまけかたも
    忘れてめつる古さとの友
と戯れ言云いつつ、山々の憂き事も忘れて、猶行く道すがら、男女の打ち交じり田返しおるを思いやりて、
  生たゝはさなへうゑんと賤の女か
    返す水田のうき身をそ思ふ
この宿の一文字屋に泊まりぬ、今日(けふ)の道すがらも思い続けて、又帰ら
 
 
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まほしく思ほゆ、戌の時ばかりに又地震震(なゐふ)る、昨夜(よべ)よりはいと強し、
九日 風凄ましく小雨降れど立ち出でぬ、今日の海辺はいと難(かた)き道なれば、いかに行き煩うも計り難しとて、上野という所に出でんとする道すがら、幅やや二尺ばかりの土橋を渡らんとする折りしも、いよいよ風荒れて、蓑笠も吹き絞り、身さえ横ざまに川の内へ落ち入りぬべきを、漸(やうや)く渡り果てぬ、かばかりの風覚えずなん、徒歩(かち)して渡る河も有り、又少しの山を越え行くも容易(たやす)からねば、よくこそ海辺に出でざる嬉しさよと言い合えり、程なく台宿に出で、時早にて昼の乾飯(かれいひ)したため、二三町行きければ只下りに下る山道也、左は異なることも無けれど、右は幾つとなく扇を半ば広ろげし如(ごと)の山立ち続ける
 
 
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さま珍らかに、いといとおかし、
  草々のみとりのむしろしき忍ふ
      古郷人にいかゝ語らん
谷の底は霧覆(おほ)えるように見ゆ、又二所ばかり草も木も無き砂山に、つつじのみ疎(まば)らに咲けり、
             錦翠主
  はけ山をわらふつゝしのよはひ哉
この齢(よはひ)如何なる事にかと問えば、ここは火をかけて木草を焼きたる也、異草(ことぐさ)は枯れ果つる中に、つつじのみ我(われ)は顔(がお)に咲き続けるを思いしなりと言はるるに、
  焼すつるほのほの中に根をとめて
    いかてつゝしの咲出ぬらん
外の山々にも所々見ゆ、七八尺ばかりなる木に、安房と上総の境印せし所より見下ろさるるを、両国の内にての湊なる由、今日(けふ)雨風の無くば、此の海辺を通りてこそ見つべき
 
 
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にと、いといと残多かる業(わざ)ぞかし、漸(やうや)う下り果てて小湊の妙蓮寺に詣づ、日蓮上人の父母を葬(はうふ)りし御寺なり、少し先にまた上人生まれ給いし所とて、この御寺を誕生寺と言える由、中には然(さ)には非ずと言うもあり、定かならず、巳の時ばかりより雨も小止みぬれど、山々と言い岩角烈(はげ)しき道々にていたく疲れぬれば、未の時頃この宿の池田屋に宿りぬ、暮はてて又雨降り出でぬ、道の幅漸(やうや)く二三間ばかりにて、果てなく見渡す海面(うみづら)いとおかしけれど、夜すがら荒ましき浪の音、殊更後ろの方は立掛けたるようなる岩山の、幾つとなく並み立てり、昨夜(よべ)のように地震震(なゐふ)るはば、如何にせむ如何にせむと思い絶えず、
  打ちかくる岸ねの浪をしきたえの枕は
 
 
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とれとえやはねらるゝ
と口の内なるを、錦翠主いとおかし我も同じ事なりとて起き出で、蔀(しとみ)押し明け見給いつつ、雨は晴れたれど雲間も無しと言いつゝ又寝給う、暫し有りて、灯(ともし)火の絶え絶え成るを掲げばやとやおら起き出で、又空の気色見るに、いと暗くて物凄ければ鎖(さ)し籠(こめ)て寝ぬ、いと長き夜なりけり、寝ぬに明ぬと言いけむは物思いなき折にこそと口すさぶを又聞き付けて、実(げ)にさもこそいといと物凄しなど言わるるに、明日は如何に降りぬとも出でさせ給えと唆かしぬ、
十日 今日(けふ)も小雨なれど立ち出で、山一つ越えて、顧(かえ)りみ給えあれこそ昨夜(よべ)の宿(やどり)に侍れと言わるるに見返れば、爰(ここ)よりはいと近くただただ海と山との中に家居せしようにて、昨夜(よべ)思いしより
 
 
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も危うかりきとおどろおどろしさ増りぬ、天津の鶴屋にしばし休らい、雨も小止みぬれば清澄の御山に詣づ、山はいつも同じけれど一際角有る石のみにて、ともすれば躓(つまつ)き辛(から)き目見なん、徒歩(かち)にて渡る川三所有り、一所は縦に一町ばかりも越えぬ、皆石河にて流れもいと清し、山に沿いて細き道を行くに、片方(かたへ)は谷、その外は雲の隔つるに、三間より外跡先も見え分かず、
  峰にのみゐるとはきけとかくはかり
    雲分けんとは思いかけきや
やや登り果てて山門に至るに、清澄寺という額有り、唐(から)人の書きしとぞ、年号なども良くは見分け難し、御堂も全て今日(けふ)迄詣でたりしに覚えず、岩に岩(いは)ほを重ねし山也、松杉も年旧(ふ)りて高く聳え、梢には立ち舞う雲絶え
 
 
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ず、暫し苔の莚に腰打ちかけて休らう、院々は扉を閉ずる如(ごと)物の音も聞こえず、寂寞として思うこと無し、
  世のちりにそみし心も寺の名の
    御山のおくや清き国なる
              とし子
  はる〳〵とのぼりてみれば峰も尾も
    雲おほひけり清すみの山
 僧達の行する所の入口に、女は叶わずと書きてあり、
  いつの世にたかいひ初しさはりにて
    見ることかたき身とは成けん
             錦翠主
  五月雨や猿もはゝかる女人堂
しばしば下り行くに、此道は違えけるにやと言えば、登りし折の雲は皆晴れければなりと錦翠主宣う、左の方は歩む道と同じ高さしたる山に山を重ね、爰(ここ)もつつじ、藤いと多し、細き谷河など絶え絶えに見えぬ、ただただ
 
 
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偽りにもやと辿(たど)らるるのみ、
  吹風によこきる雨をいとひなは
    雲のはやしもみてや過へき
まだ昼の飯食(いひたう)べざりければ、御山の家に寄りて乞いけれど、ただ無し無しと言えるにせんかたなく、又一里程下りて休らうばかりの小家に寄り、皆耐え難しとて、小豆(あつき)包める大きなる餅(もちひ)、塩はゆきのみなれど、所柄にや皆旨しとて二つ三つばかりずつ食(た)うべ、茶も黒きのみにて味わい悪(わろ)ければ水飲みて又下るに、力得て疲れも如何ばかり凌ぎけり、又鶴屋に戻り来て、未過ぎばかりにて有りしかど泊まりぬ、今日は彼の餅(もちひ)にて腹膨れぬとて、誰も昼の飯食(いひたう)べず成りぬ、
十一日 大雨にて起きも出でず、清澄の事など語り
 
 
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出でつつ錦翠主、戯れ歌とて、
  さしかゝる天津の原の雨やとり
    とめ力有るつるの一声
雨小止みたるに、まだ午にもならざりければ、一里(さと)なりと行かばやと言わるるに、用意しつつ、
  名に高きたゝ一声の鶴たにも
    ほのめく日には立も及はし
いとわづらわしき丈比(たけくら)べかなと打ち笑いつつ、前原の浦に来つれば、魚取る舟の数多く見ゆ、今も一網引揚しなど浦人の語りける、五日に関より行きたりしかど、折悪ろく見もやらぬを本意(ほい)なく思う名残なれば、今日(けふ)こそはと二人して願いたれば、さらば此宿のよし田屋に宿りて、心静かに見せばやと宣う嬉しさ、とし子も喜びて、腰掛くる台持て来て見居(を)るに、一つの網に二
 
 
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つの綱して男女打ち混じり四十人ばかりも取り付き、木の葉のように見ゆる舟引き寄する、始は三十町余も綱の間有りけるが、舟の寄るに従い綱も両方より寄りきて僅(はつ)かにぞ成りける、網の見ゆるようになりければ、又人増して十人ばかりは浪の中に入りて漸(やうや)く岸に引き揚げぬ、大きなる筺(かたみ)廿ばかり人の持て入りて、所々に柱を立てたるさま蚊帳(かてう)下げしに異ならず、大方は鰯、鯷(ひしこ)也、そが中に鯛、平目、いなだなど取り分けて、押し送りとかいう舟に入れて江戸へ出しぬ、全て皆浪の中へ逃げ行かんとや思いけん、指(および)程の魚(いを)さえ跳ね歩き惑うさまの哀れさは言葉にも尽くされず、魚の山作りしよう成る中を惜しげもなく駆け歩き踏み散らす
 
 
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さま二度見つべきことかは、網引き上ぐる折りの勇ましさこそ、人にも見せ語らまほしけれ、
  幾いをの思ひはかりてひくあみの
    めにもるものはなみたなりけり
  後の世を如何にせんとも思ほえず
    哀れ数多の罪をこそえめ
此の外の網はあまり多くかかりしとて、むかい舟とて七つ程出し、沖に繋ぎ合いて網の魚(いを)皆此の舟に入れて帰りぬ、此の辺りの鄙(ひな)人五つ六つばかりより老いたるも若きも男女打ち混じり、やおら網の中へ入りて取るも有り、網に漏るるを取るも有り、我先にと罵(ののし)り合うを制し兼ねて、弱竹(なよたけ)の撓(しな)える持て来て波に浸し打ち散らし、或(ある)は砂を投げ付けるをも更に厭わず、皆持てる筺(かたみ)に一つばかりづつ
 
 
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取りて行くめるが、中に小さき童の濡れに濡れて、ただ一つ二つ取りたりし悔しさよと言いて泣くもさすがに哀れなり、又酒肴はかなき果物さまざま持てきて商うを、海士共の銭(あし)取らするも有り、魚(いを)換えて取るも有り、立ちながら喰うめるいといとむくつけし、漸(やうや)く日も暮れなんとするに、まだ網の魚(いを)取り尽くさざりけれど、何時までも同じこと也とて吉田やに帰りぬ、又戌の頃にや強くはなけれど地震震(なゐふ)ることながし、今宵も浪の音耳かしがましくて寝もやらず明しぬ、
十二日 今日(けふ)も花やかに射し出でる朝日と共に立ち出でぬ、浪太の浦より舟浮けて、島の仁右衛門という旧家を見ばやというに、舟長の言うよう、昔植村何某君の御領地なりし時由有りて賜りし島也、今も三里
 
 
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四方の海我が物なれど、時移り世替わりていといと貧しくて儚(はかな)く成りぬと語りぬ、細かに問い聞けば、かの植村君僅(はつ)かに残りおわすと聞しのみ良くは知らずと言えり、いかにも行きて見つれば哀れ深き住家也、まず立寄りて島の中(うち)見せ給えと言う、入るるにさすが人柄は良けれど萎えたる衣(きぬ)着しを皆出で来て、易きことには侍れど見給う儘に荒れ果つる、所々尋ね問わるるも中々恥ずかしけれど、物語するにも昔のこと推し量られて由無く心痛めけり、
  うき世をもたへて忍はゝいつか又
    むかしにかへす波ふとの島
と口の内成るを錦翠主何事にか書きて見せよと言わるるを、かの女自らにもと言うに、中々成ること
 
 
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聞きつけられしと悔いたれどせんかた無く書きて見せぬ、夫より爰(ここ)かしこ見巡り歩(あり)くにいと広くて岩の様(さま)などいとおかし、少し高き所に弁才天の御社岩(いわ)ほを十間四方ばかり切り抜きし中に宮居有り、珠の扉も塩風に破れ、紅の柱も霜雪に朽ちて、漸(やうや)う昔の跡を留めしのみ、鳥居も歪みたるを細き縄もて結い付けしなり、神仏すらかかる世の浮き沈みは有りけり、まして人の上に於いてをやと、中々人ならぬ我が身にとりて憂き折々の忘れ草、思いもかけず良き種得たる物かな、旅の具預け置きたれば供の男(をのこ)かの家に寄りて言(いひ)ちてなど伝えたりしに、まず皆此方(こなた)へ連れ来給えとて、預けしもの取り隠して出さざ
 
 
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りけりと言うに、せんかたなく又行きぬれば、荒れ果てし住家ながらも塵打ち払いて待ちにし物を、しばし休らい給えと言わるるはさすがに嬉し、先の腰折れ言い出でて、喜び返しせしとて出だしぬ、
  いにしえにかへす言葉のうれしさに
    またかけそへぬそてのうら浪
  いつかとく昔に返すなみもやと
    待つにかひなき身をそうらむる
手も良くはあらねど見苦しきこと無し、年は三十にも余りぬと見ゆ、自らも程無く江戸に行くべければ訪い奉らんなど契て別るるに、何となく残り惜しく涙落しぬ、又元の舟にて帰りぬ、江見という所の海辺は大方松杉の林にて、岩の隙々へ浪の打ち入るるさまいとおかし、海の中へ七八
 
 
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町も打ち続きて歩み行かるる也、されど鋭き岩角なれば安くは行がたし、幾度もかかる所といえば古里の御方々思い出でぬ、此程より果知らぬ海の面、一つの歌にも綴らまほしくて、様々心を悩ましけれど、ただただ雲居に紛うと有るに思い留まりて云い出づべき言の葉もなし、此の宿(すく)の亀屋にて昼の飯食(いひたう)べ、松田の宿(すく)に出る頃より空かき暗れ風吹き出でぬ、今日(けふ)は徒歩(かち)渡りの河四所有りき、又有りけるが中にも巾広く深きように見ゆ、海の岸に寄りて浪の帰る隙に渡りぬれば浅し、されど脛(はぎ)の半ば迄は濡れぬ、供の者負いて渡らんと用意するうち、向いより三人(みたり)四人して女の来けるが事も無く此方の岸に渡りて、いざいざ
 
 
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我(わ)が負いて越させんとて二人を代わる代わる渡しくれぬ、世にも優しきものかな、銭(あし)取らせんと錦翠主宣(のたま)えど、思いもよらずとて行くを、せめて名をだに問はばやと河の岸に寄りければ、そよ、浪に濡れ給うな疾く退き給え、と言いも敢(あ)えず足の元へ寄せ掛くるに驚きて逃げしに、はや河を隔てて殊更浪の音激しくて、物言い交すことも叶わで空しく過ぎぬ、
  あた浪に人の情のかゝらすは
    身もうくはかりぬれましものを
賀茂という村に掛りけるに日も暮れぬべき様なれば、ここに泊りなんとて村長の家を尋ね寄りて一夜を乞いたれど、つれなく言い放ちて、隣村は道の程も僅(はつ)か也、長する家もいと広くて清らなれば、案内(あない)せ
 
 
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んとて人一人出だしけるを、連れ行く程に教えしに違わず、いそ村はいと近し、また一夜を乞うに同じこととかく言い紛らわして留めざりけり、又案内(あない)頼みて行くにはや日も暮れ果てぬ、急ぎに急げばいとど疲れて、情知らぬ人々かな、憎し憎しと口々に嘲(あさけ)りけれは、
  かこたしよ草のむしろに影やとす
    月諸ともに夜をし明さん
中々よかりなんと言えば皆少し心直して漸(やうや)う広瀬という所に出、かど屋に泊りぬ、
十三日 北の風吹きて卯月の空とも覚えぬ寒さなり、又昨夜(よべ)の賀茂村より北条を過ぎ、巳の時ばかり館山に着きぬ、主の出迎え遅かりし跡の月こそ待ち侘び侍りし、何事か在(おわ)しけんと思い煩い過ぐし、十日に
 
 
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迎えがてら事の様(やう)を専(もつは)らに聞まほしく態(わざ)と使い出しにきと語られぬ、いざいざと案内(あない)して奥に入りぬ、何方も同じことおろかならずもてなし給うこと幾度も書付けんことうるさくて止みぬ、錦翠主はまだ昼にもならざりければ疾く行かんと宣うを、御主始め皆今日(けふ)明日はと切(せち)に止(とど)め給い、やがて本つ家の御主訪(みあるしとふら)いおわして様々物語し果ては碁打ち御酒汲(酌)交し夜更くるまで、床の間に三幅の掛け物有り、中の絵は赤人田子の浦に出て、富士の峰(ね)を詠(うた)い給うける所也、
  移しゑの田子のうら浪打ちかへし
    見し人からの昔をそ思ふ
十四日 天気良し、錦翠主疾く起きて足結(あゆ)い繕(つく)らわるるを、又止め給えどとかく急ぎ立ち出で給う折しも、
 
 
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  つれなくもあはのなきさに捨小舟
    たよりなみちをうみわたれとや
昼頃より里見安房守朝臣の城跡今は城山という由、伴い行きて見せばやとて出でぬ、四五町程行けば、はやかの山也、登り果てて平成る所いと広くて皆畑也、ここは大手かしこは本丸、二丸と細かに教え給い、藤、つつじ紅の色濃く咲満ちたり、
  岩つゝし花も昔の春やをしと
    こかるゝ色にさきみすらん
国破れて山河有、城春にして麦草の思うままに生茂る穂波の露に、とし子さえ袖絞りぬ、玉の砂(いさご)を敷き詰めし御園の跡も苔生(む)す岩に、汗拭いなど、打敷きて時移るまで休らい涙落しぬ、西の方(かた)は鏡が浦、東南は同じほどずつの山々也、波
 
 
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ただここもとに立くる心地していと良き風景なり、帰(かへ)さは本(もと)つ家に立寄りて夕つ方帰りぬ、
十五日 小雨終日(ひねもす)小止まず、御主碁打つべしと宣えど知らざればと云えば、只並べ侍らんいざいざと唆し給えば、せんかたなく余りに背けるも割り無からんと打ち始めぬ、近き辺りの人々しばしば訪(と)い来けるに譲りたる折しも、本つ家より使して今より来よと云い遣(おこ)し給う、さらばとて行きぬ、爰(ここ)も関の大和主の住居庭の作様すべて劣るまじう覚ゆ、琴三味線など取り出でて、主の母君妹君も手弄(まさぐ)りつつ、二人にも勧め給えば、互(かたみ)に引き交して慰みぬ、外のことは例の漏らしつ、夜も更け侍らん帰らばやと言えば、薄茶一
 
 
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服とて又止められ漸(やうや)く子の半帰りぬ、
十六日 南の風少し吹き出ぬ、今日は鏡が浦の蛤(はまぐり)取りにとて行きければ、しばしば風吹き強りて拾うことならで、真砂吹立ち耐え難ければただに帰りぬ、また昨日(きのふ)の人々来給いて碁打ち始めぬ、とし子は琴など手すさびて日を暮しぬ、今夜も更くるともなく子の鼓打驚かされて皆帰りぬ、
十七日 今日(けふ)は長閑なれば二つの島へ伴わんとて、酒肴色々調じ出でて、本(もと)つ家よりも御主妹君すべて十七八人にて鏡が浦より舟浮けて、まず富士の峰(ね)を向うに見つつ、又例の口を閉じ侍りぬ、沖の島高の島と呼べる由、波路十町程づつ隔たりて有り、浪太の島
 
 
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より広けれど殊に替る事もなし、両方共弁天の御社有り、魚(いを)取る舟を頼みて網を曳かせしに、鯛、小さき海老、烏賊、かがみ鯛、細かき魚(いを)色々交りてかかり、又大きなる蛸岩の隙に居しを供の男(をのこ)手して取来ぬ、鮑(あはひ)、さざえはいくつとなく取りぬ、かの魚(いを)を羹(あつもの)にせんとて、紅葉ならぬ松杉の落葉掻(か)き集(つ)めて焚きぬ、いと面白しとも面白し、三味線など取り出でて唄い、舞い、耳かしがましくて思う事皆書き漏らしぬ、夕日の光浪に納まれる迄遊び歩りき、暮果てて帰りぬ、
十八日 昨日は殊に疲れぬれば、雨の降るも中々心安し、朝寝(あさい)して起き出でとかくするうち、又例の方々(かたかた)知らぬ人さへ二人三人(みたり)来会いて、また碁に日を暮らしぬ、暮果てて
 
 
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本つ家の母君暇(いとま)乞いとて来給い、今宵ばかりなり名残尽せしとて、丑の下りまでおはしぬ、
十九日 朝疾く出で立たんといえど、今日(けふ)ばかりはと留(とど)め給うに、せんかたなく思い止みぬ、巳の頃より俄に空掻き暮れて雨降り出でぬ、又今日も例の碁にのみかかずらい、夕つ方さまざま此のほどの嬉しさをも述ばえばやと、とし子にのみ言い置き、やおら出でて本つ家に行きぬ、頓(とみ)に帰らんと思いしかど、湯あみせよ、是かれとかくするうち夜も更け、追々迎え人さへ来ぬれば漸(やうや)く帰りぬ、
廿日 いと良き日にて馬・駕籠して送られぬ、八幡の川を渡り、川崎を過ぎ、那古に詣づ、昔も拝せしこと思い出て、猶
  たうとさもいやますなこの御仏に
    又のえにしをたのみたのめる
河中(カハナ)、源野を
 
 
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過ぎ、木の根峠をば徒歩にて過ぎぬ、元来し折は草々の生茂り、道かあらぬかと分け惑いたりしが、いかで斯くは成りにけんといえば、此頃このあたり所々白川侯の御領になし給えれば、ここのみならず山々の道作らせ給うなりと語りぬ、実(げ)に時めき給う君なればさもこそあらめ、思いしよりも安く越ぬる嬉しさ我のみならず、往来(ゆきき)する人毎に心有るはさら也、薪負える山賎(やまがつ)、賎の女も此の御光を仰ぎ奉らぬはあらじかし、高崎、市部ここより送りの人皆帰しぬ、勝山、吉浜を過ぎ、保田の日本寺に詣づ、元来し折よりも御仏の数増りて何くれと留めまほしけれど、急ぎたれば空しく過ぎぬ、明鐘(みほかね)とて安房と上総の境なり、又いつの世に
 
 
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かと名残惜しくてしばし休らい、安房の方(かた)をのみ帰り見らる、夕暮に金谷の宿に出で幾千代屋に泊りぬ、
廿一日 天気(ていけ)よし、昨夜(よへ)も小湊のようにはなけれど、浪の音に折々寝覚めて思わぬ朝寝(あさい)せし、など起し給わぬと言えば、今日(けふ)は道のほども僅(はつ)かなればと言いき、やがて巳にも近き頃漸(やうや)く立ち出ぬ、昔見しとは海辺のさま、ことに変われるようなりと言えば、すべて荒き海辺は昨日見し岩も今日(けふ)は浪につれて行方(ゆくえ)も知らず、又思はぬ塵泥(ちりひぢ)のいつか積りて、塩の満ち干も替る事常也という、百首の宿(すく)も過ぎ、天神山にて昼の乾飯(かれいひ)したため、八幡の宮居を拝し、未(ひつじ)過ぎに佐貫に着きぬ、兄(せ)な君の古郷なればいとど心も落ち居、旅の憂さも打ち忘れぬ、館山と同じこと、
 
 
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江戸へ使い出しきと語られぬ、
廿二日 天気よし、兄(せ)な君のいとこ石井氏の許(かり)行て、夜に入りて帰りぬ、
廿三日 今日も空晴れたり、鹿野山に詣づ、石井の主も伴い酒肴何くれと持たせおわしぬ、闇沢(くらさは)という所より俄に空掻き暮れ雨降り出でぬ、帰らんと云うも有り、猶行べしと云うも有り、傍らの小家に寄りて雨宿りするうち小止(をや)み、空も晴れぬへきさまなれば行くべしとて出でぬ、蕨のここかしこ萌え出づるを手折り手折り、又名さへ憂き鬼泪(キナダ)山の半ばより降り出でぬ、帰らぬをいたく悔ゆるも有り、濡れつつ行くもなかなかの興有りというも有り、大きなる松の陰に雨を凌ぎ、何処(いづち)なりと近き所にて傘借りて来よと言いてやりぬ、濡れつつ蕨手折りなどしつつ、ややしばらく過
 
 
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ぎて帰り来ぬ、二人ずつにて傘一つ差したればいたく濡れぬ、足のもとなる蕨さへ手折りもやらで過ぎ行くが惜しかりき、漸(やうや)く御山のふくゐ屋にたどり着きぬ、度々の雨宿りに時も移りぬればとて破籠(わりこ)などとうてとかくするうち雨も晴れぬ、やがて迎えの人来会いて、雨の具衣(きぬ)など遣(おこ)せ給へば疾(と)く脱(ぬ)ぎかえて、軍荼利明王に詣で、帰るさにはまた蕨手折り手折り道のほども捗(はかど)らず、闇沢(くらさは)より日も暮れ果てて、田畑に沿いあるは山の峡(かひ)のみ行くなれば、辿る辿る漸(やうや)く帰り来ぬ、
廿四日 雨降りぬれど、とし子、木更津の渡辺何かしのもとに姉君のおわすれば行かまほしと宣えど、昨日の疲れをも休め給へとひたすら留め給い、夕つかた石井主おわして
 
 
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戌の時ばかり帰り給う
廿五日 今日(けふ)も降りぬれど、自ら切(せち)に願(ね)ぎぬればせんかたなしとて御主なん送りおわしぬ、
廿六日 天気良し、近きあたりの人々替る替る訪い来て、あとかたもなき物語に日を暮らしぬ、
廿七日 雨降りぬ、明日立つべき用意しつつおるに、石井主よりこの使いと共に来よと言いおこしぬるを、跡よりとて帰し、未の頃行きぬ、御主の碁うたんといはるるに否みがたくて、又夜に入りて帰りぬ、
廿八日 天気良けれど悪しき日なればとてひたすら留め給う、背(そむ)かんも如何(いかか)と思い留まりぬ、例の替る替る人の訪(と)い来るに、又今日(けふ)も空しく暮れぬ
廿九日 風(風邪)の心地悩ましけれど、射し出づる朝日長閑(のとか)に立ち出でぬ、主江戸まで送らんとて伴い出で給う、鎌
 
 
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上、貝渕、桜井、畑沢を過ぎ、木更津に着きぬ、とし子出迎えて奥に入りぬ、例の同じことなれば書かず、
晦日 天気良し、朝疾く鶯の声に寝覚めして、
  明ほのゝ霞の間より聞そめし
    春おもほゆる宿の鶯
とし子桜井にて詠みぬと語られぬ
  しほ風にちれとも尽ぬ浪の花
    とはにこそみめさくらゐの浜
夕つかた峡(かひ)に登りて此の浦の名聞きつつ見出して、
  見もあかぬなみちはるかに立帰り
    又やくろとのうらの夕なぎ
            とし子
  けふよりはあすの別を思ひわひ
    ひとへのそてをいくへしほらん
五月朔日 疾く立ち出づるにまた駒して姉ケ崎まで送られぬ、この宿の丁子屋にて昼の飯
 
 
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食(いひたう)べ、今富に申の時ばかり着きぬ、明日立ち出でんと云うに、今一夜とてひたすら留め給う、
二日 天気良し、兎角心地の例ならず、今日は大方臥してのみ日を暮らしぬ、
三日 天気(ていけ)良し、また駒にて千葉という所まで送られぬ、皆かかるついでに成田に詣でよと勧むるを否みがたくて、元来し曽我野に出で、ここを過ぎれば千葉也、宿(すく)のとしま屋にて昼の飯食(いひたう)べ、馬の渡しという宿(すく)を過ぎ、酒々井のなか屋に泊りぬ、何方(いつかた)にてもいと切(せち)に駒の送り否みがたくて、中々なる心遣いいとわりなき事にこそ、
四日 天気よく、遥かなる野中、畑、松杉の並木を過ぎ、成田の新勝寺に詣づ、御堂其外聞きしより清らにて、珠の甍、金の柱何くれと光輝きていと
 
 
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尊し、爰(ここ)かしこ見歩りくに向いより僧一人来たりしが、此の木戸より入りて別当(へたう)の庭を見給へ、此の頃作りしとて案内(あない)して見せぬ、咎められし事も有りけるに、人の心はさまざまなるものぞとつくづく思おゆ、またなか屋に帰りて昼の飯食(いひたう)べ、佐倉の宿に出るに、江戸近き程も知られて人の手振り物言いも殊に変わらず、一里ばかり有る宿の末近きこめ屋に泊りぬ、兎角難しければ何事も心に任せず書きもらしぬ、
五日 天気良し、又、昨日と同じようなる野中の並木を過ぎ、大和田にて昼の飯食(いひたう)べ、片時も早く古里(ふるさと)にと心はせかるれど、足手萎えたるようにて心苦しく、漸(やうや)く舟橋のいまつ屋にたどり着きぬ、庇(ひさし)
 
 
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に菖蒲(さうふ)葺きけるを見て、
               とし子
  けふといへはかさすあやめの打なひく
    かほりもすゝし軒の夕風
今日(けふ)は遅くも行徳より舟浮けて帰るべきを、思いがけず身の例ならぬに留(とど)められければ、
  おしなへてかさすあやめの草まくら
    むすふもかりのえにしなるらん
臥しながら書きつけぬ、
六日 天気良し、今日ばかり少し風の心地忘れて、行徳の宿(すく)に出ぬるに、昔傍らにて使いし女(をみな)にふと行き会いぬ、またかかることもあらねば立ち寄りねというに、つれなく過ぎ難くて、漸(やうや)う未(ひつじ)過る頃舟繕はせ、小網町に漕ぎはて、暮れかかる
 
 
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頃帰り着きぬる折しも、頓(とみ)に吹き出づる風に打ち驚かされしは、夢にてや現にてや、