著者は貼紙に書かれた「栄呂院様」と呼ばれている人という以外不明。文中から察するに、江戸に住む国学者で、上総・安房に親類・縁者がいて、和歌の師匠もする人のようだ。
旅の目的は、端書にあるように、妻とし子の里帰りへの強い希望もあるが、著者の知遇に会い文雅の交流をし、道中に寺社詣でや浜路の風物を楽しむことであろう。文人の旅の特徴が良く表れている。
塚本学『地方文人』によると、「江戸の文人たちは、しばしば旅をした。多くの地方出の文人の伝記は、僻地ゆえに師友の乏しさをかこったことをのせる。伝記をのこさなかったさらに多くの地方文雅のひとびとも、遊歴文人を迎えた。家に宿泊させ、同行者をあつめて宴を張り、土地の名所旧蹟を案内し、そして書画の揮毫を乞うといった場面を、近世文人の旅行記からいくつも見出すことができる。」