一、江戸から今富村根本の家逗留まで

   〈要約〉
○ほんとうに月日が過ぎるのは放つ矢よりも早く、流れる水よりももっと早い。去年の春から心に掛けていたが、いつの間にか年が改まり、如月の半にと決めていたのに何くれと世事にかかわり思い通りにならないのを、とし子がひどく歎いているのももっともなことだ。ようやくうららかな日差しの頃を迎えて、弥生中の九日、宵より雨も降っていたが、又どんな差支えが出てくるかと思い出発した。
   〈註〉
端書のような述懐は江戸時代の紀行文の冒頭の表現によくあり、娯楽的要素を持つ旅の場合にはかなりあるようだ。行きたいと思ってはいたのだけれど、いざとなると何やかやと不都合が生じて、あるいは何かと忙しくて、これがなかなか行けなくて、やっとこの度出発した…という表現である。紀行作家たちがこう書かずにいられないのは、それだけこの旅に出発するまでにかけた時間の長さや、「何くれと障らふ事」をのりこえて、やっと今日出発できたという実感が彼らの中にあるからだろう。このような述懐は必ずしも旅に出る機会や体験の多い少ないによるものではない。―「板坂耀子HP」―