〈要約〉
○出発を急ぐつもりが、今日はここの浦へ一緒に行きましょう、用意してありますのでさあさあ、と言われて、しかたなく行った。今朝早くに網にかかったということで、岸に山のように鰯という魚を積んである。干鰯というものにするので、海士たちが競い合って担いで行っては、平らにならして干している。とてもいやな作業だ。十歳ほどの童が篭に蛤を入れて持ってくるのを見て、どこで取ったのか聞いてみると、すぐそこの浪打ち際でという。それでは我々も行って拾おうと言って、足で探りながら拾っているのを見て(真似をして)、皆でついには脛(はぎ)(すね)よりも深く浪の中に入って、数えきれないくらい蛤を拾った。もはや満ち潮で、夕方近くなのでと言われ名残惜しく思いながら帰った。
○ここは九十九里のうちであるが、いろいろ名があるという。この浦は矢指と呼ぶそうだ。浪が荒いのになんで浦の名をやさしとつけたのだろう。今日は浦の苫屋で昼食を食べた。鯛、平目、あじなど、生きているのをいろいろ調理して出してくれるが、味も一段と良いけれど、なにか怖ろしい業ではないかと思う。
〈註〉
干鰯 鰯は腐敗しやすいので、獲ってすぐ浜に広げられ、春夏で約一〇日、秋冬には二〇日以上天日に干される。これを干鰯(ほしか)という。近畿地方の綿作の活発化に伴い、大量に使用された。 ―『千葉県の民衆の歴史50話』1992年 桐書房―
矢指が浦 九十九里浜の異称。源頼義・義家あるいは源頼朝の奥州征伐の際に一里ごとに矢を立てさせて九九本になったという口碑がある。 〈口絵⑪参照〉