卯月十四日

   〈要約〉
 ○天気が良い。錦翠主が早く起きて膝の下にひもを結んでいらっしゃるのを見て、またお止めになったが、とにかく急いで出発なさる折に、〈つれなくもあはのなきさに捨小舟たよりなみちをうみわたれとや〉昼頃から里見安房守朝臣の城跡、今は城山と言うとのこと、一緒に行ってお見せしようということで、出掛けた。四五町程行くと早くもかの山だ。登り終わった所は平らでとても広くて、皆畑だ。ここは大手、あちらは本丸、二の丸と詳しく教えてくださる。藤、つつじ、紅の色が濃く咲き満ちている。〈岩つゝし花も昔の春やをしとこかるゝ色にさきみすらん〉国破れて山河有、城春にして麦草の思うままに生茂る穂波の露に、とし子さえ袖を絞った。玉の砂を敷き詰めた御園の跡も苔生す岩になった。汗をぬぐいなどして、敷物を敷いて時が過ぎるまで休息し涙を落した。西方は鏡が浦、東南は同じ高さほどの山々だ。波がすぐそこに寄せてくる心地がしてとても良い風景だ。帰りに本つ家に寄って夕方帰った。
   〈註〉
城山 館山城跡は、主郭部にあたる丘陵部をはじめその周囲も後世の改変が甚しい。現在模擬天守が建つ丘陵部は、近世城郭的呼称でいえば本丸・二の丸に相当する部分である。ただし山頂に形成された平坦面の大部分は、太平洋戦争の最中、高射砲陣地構築のために10m近くも削り取られたことによってできたもので、それ以前には規模の大きな建造物が建てられるような面は存在しなかったという。城の中心的施設が存在しえた面(郭)と考えられるのは、その一段下がった所、現在茶室があるあたりで、ここには「千畳敷」という呼び名が残されている。 ―『房総里見氏』2008年 NPO法人安房文化遺産フォーラム―