〈要約〉
○早く出発したがまた馬で姉が崎まで送られた。この宿の丁子屋で昼食を食べ、今富に申の時ほどに着いた。明日出発しますというと、もう一晩とただただ留めなさる。
〈註〉
姉が崎 姉崎(あねがさき)村は寛政五年(1793)では姉ヶ崎村、安房北条藩領。文政十年(1827)より幕末まで鶴牧藩領。房総往還の継場で、その助郷や養老川川越役などを負担する交通組織として椎津(しいづ)・不入斗(いりやまず)・片又木(かたまたぎ)・白塚(しらつか)・今津の諸村で構成される姉崎村五郷があり、ほかの今富(いまどみ)村五郷・島野(しまの)村五郷・海保(かいほ)村五郷・新生(あらおい)村五郷を含めて姉崎二五郷と称されていた。