五月三日

   〈要約〉
 ○天気が良い。また馬で千葉という所まで送られた。皆がこのついでに成田に詣でなさいと勧めるのを拒みがたくて、以前来た曽我野に出て、ここを過ぎると千葉である。宿のとしま屋で昼食を食べ、馬の渡しという宿を過ぎ、酒々井のなか屋に泊った。どこでも心から馬で送りますと言うのを拒みがたくて、望ましくない心遣いはとてもつらいことだ。
   〈註〉
千葉 千葉町。現市域の南部に位置する。南の寒川(さんが)村から房総往還が続き、町の東から千葉佐倉道、同じく南から東金道・土気(とけ)往還が分岐する。江戸時代には西方の登戸湊・寒川湊を控えた交通の要衝として宿場町を形成、佐倉藩領内の在郷町として重きをなした。
馬渡 馬渡(まわたし)村は佐倉新町から登戸村方面へ至る千葉佐倉道などが通る交通の要地。元禄郷帳や道標ではマワタリと訓読みする。幕末まで佐倉藩領。当村は佐倉城下と寒川蔵の中間点にあるため佐倉藩の継立場とされた。本宿を中心に街道に沿って町並みを形成し、旅篭・木賃宿・茶屋が立並んだ。
酒々井 印旛沼南岸に位置する酒々井村は、中央台地上を成田道が通り道沿いに宿場酒々井町が形成された。町の中心は仲宿で佐倉四牧方牧士頭の屋敷内には野馬会所と野馬御払場が置かれた。下宿南端には本陣跡がある。成田道と銚子に至る多古道が当地で分岐する。