10 藤原

※ 初出:『資料館だより』第21号(昭和55年8月1日発行)
 
1. 藤原のおいたち
 下総国葛飾郡藤原新田は、木下街道北側にひろがる東西に長い村落です。藤原の名はここの開発発願人の鈴木氏が昔から藤原氏だと称していたためと伝えられています。この村は延宝3年(1675)に代官伊奈左門忠利の検地によって発足し、当時の面積は131町5反6畝22歩で、石高は613. 569石の代官支配地でした。藤原新田の開墾請負人は鈴木政右衛門で、政右衛門家の先祖である法名「常卯日宝」の墓石は七面堂にあり、これに「妙法開発先祖悲父常卯日宝」と刻まれています。
 藤原新田は明治5年(1872)印旛郡第1大区4小区に組み入れられ、明治6年(1873)千葉県12大区4小区、明治9年(1876)第11大区12小区と編成替え、明治11年(1878)上山、前貝塚、行田とともに村連合を組織、明治17年(1884)戸長役場所轄区域設置のさいには行田、道野辺、丸山、前貝塚、後貝塚、上山と連合、さらに明治22年(1889)に丸山・上山と共に法典村を組織し、法典村藤原となりました。さらに法典村は昭和12年(1937)に船橋町、葛飾町、八栄村、塚田村と連合して船橋市の母体となりました。ちょうどこのころ藤原、上山をまとめ再編成して、上区、中区、下区に分け、昭和16年(1941)にはこれを法典1~3丁目に分け、昭和28年(1953)には上山と分離され新たに藤原町1~3丁目となり現在にいたっています。
 
2. 藤原の人口
 藤原新田の人口は宝暦10年(1760)で181人、享和3年(1803)51戸219人といわれ、明治5年(1872)65戸413人でした。昭和12年(1937)~14年、昭和16年(1941)~28年までの統計は上山と一緒で、詳細はわかりませんが、現在までの人口統計は下表のとおりです。

 大正12年(1923)に馬込町に北総鉄道(現在の東武鉄道野田線/※令和2年時点では東武アーバンパークライン―郷土資料館補注)が開通し、昭和22年(1947)にこれが電化しました。昭和30年代にはいり、馬込沢駅周辺が住宅地として知られるようになり移住者が増加し、人口の急増がはじまります。また、昭和53年(1978)には武蔵野線が開通し船橋法典駅もつくられ、藤原町1丁目周辺の変化も余儀なくされています。
 
3. 藤原の神社
 藤原新田には寺はありませんが、藤原町2丁目に藤原堂、藤原町1丁目に七面堂があります。藤原堂は、元禄13年(1690)行徳徳願寺から観音を安置するためにたてられ、長く藤原の守護神としてあがめられていました。また、ここには僧侶もいたらしく、境内墓地に宝永元年(1704)堂守浄入が死して葬られた墓石ものこっています。なお、この墓地には上山新田の人も多く葬られています。七面堂は七面大菩薩を祀った堂で、日蓮宗の守護神です。この堂は名主鈴木氏の建てたものと伝えられ、行徳円頓寺の配下でしたが、中沢村万福寺の配下となったり、柏井村唱行寺の配下になったりしたこともあり、現在は中山法華経寺の配下となっています。

藤原堂


七面堂再建記念碑

 藤原新田の鎮守は神明社(祭神豊受大神)で、毎年10月17・18日に祭礼があります。この神社は本行徳の神明社から分祀したといわれ、もとは字上郷にありましたが、明治10年(1877)に火災にあい、明治32年(1899)に今の地に移したといわれています。なお、この社は上山神明社と兄弟であり、同じ日に祭りを行うと伝えています。

藤原 神明社

4. 藤原の文化財
 藤原新田で発見された遺跡は6ヶ所あります。先土器時代(八人割遺跡・法蓮寺山遺跡)、縄文時代(法蓮寺山遺跡・下郷遺跡・八人割遺跡・八人割北遺跡・藤原観音堂貝塚)などで、弥生時代から古墳時代の遺物もわずかですが発見されています。
 藤原観音堂に安置された身代り観音は、市指定文化財で、像高83cmの寄木造りで江戸時代前期の作と推定されます。
 江戸時代の民間信仰にかかわる石碑は、元禄8年(1695)の繹桓回天塔、享保元年(1716)の庚申塔、安永7年(1778)の青面金剛塔などが古いものです。また藤原堂、七面堂の境内には元禄、正徳、宝永といった墓石もみられます。

七面堂境内庚申塔

5. 藤原の旧家
 藤原の集落は木下街道ぞい北側に発達した一種の街村で、街道にそって点々と民家がならんでいましたが、多くの民家は街道からはずれてたてられていたため、街道沿いには樹木が多く、木下街道は非常にさびしい道と紀行文等にあらわれています。
 藤原新田の開墾は、本行徳の鈴木政右衛門家が中心となり周辺の古村から入植したといわれています。ちなみに藤原に残る旧家は鈴木、安川、高橋、中村姓の家が草分け的な存在であったといいます。
 
(参考文献)
 千葉県東葛飾郡誌 千葉県東葛飾郡教育会 大正12年
 (講義録)船橋の歴史 船橋市郷土資料館 昭和51年
 船橋市安川家史料目録 付史料解題 船橋市教育委員会 昭和51年
 法典今昔 法典婦人学級 昭和54年