1. 本郷のおいたち
下総国葛飾郡本郷村は、標高10~20m程の台地と、1~5m程の低地とからなっています。北と東は寺内村、南は原木村(現市川市)、西は二子村にかこまれています。
本郷の地名の起こりについては、「昔からこのあたり一帯は下総国葛飾郡に属し、本郷で郡衙があったためである」とか、「旧葛飾町の8村の総鎮守とされる葛飾明神の鎮座する地だから」とかいわれています。
中世のころ本郷は、小栗原・二子・寺内とともに千葉氏の支配をうけていたといわれ、これにまつわる伝説で「葛飾明神の御手洗の井は、千葉氏の祖村岡忠頼の産湯の水を汲んだ井戸である」とか、「千葉氏の流れをくむ栗原冬詮の館がこの地にあったので本郷村を御館村とよんだ」などがあります。
江戸時代のはじめは、尾張犬山城主となった成瀬正成の支配をうけ、やがて正成の二男之成にゆずられ、さらに之成の三男之虎にゆずられました。之虎が寛永15年(1638)に死亡後は、幕府の直轄領となり、幕末まで代官支配地として続きました。村高は、文化(1804~1817)のころ458石3斗1升4合、安政(1854~1859)のころ460石9斗3升7合であったといわれています。
明治2年(1869)知県事佐々布貞之丞の支配をうけ、のち葛飾県に属しましたが、明治4年(1871)には印旛県となり、明治6年(1873)千葉県第12大区5小区に属し、明治11年(1878)郡区町村編成法で二子・西海神・本郷・山野・印内・寺内の6ヶ村で村連合を組織、明治17年(1884)には戸長役場所轄区域更定で小栗原、古作を加えて8村がまとまりました。そして明治22年(1889)にはこれら8村がまとまり千葉県東葛飾郡葛飾村が組織され、この地は葛飾村本郷となります。葛飾村の名は、この地方の総鎮守である葛飾神社が本郷にあったためといいます。
昭和6年(1931)には葛飾村は町制を施行し、この地は千葉県東葛飾郡葛飾町本郷となり、昭和12年(1937)には、船橋町、八栄村、法典村、塚田村と共に船橋市を組織し、千葉県船橋市本郷となりました。そして昭和15年(1940)の町名設定で船橋市本郷町となり、昭和42年(1967)の新住居表示で、総武線の北側は西船5・6丁目、南側は本郷町としてのこり、現在にいたっています。
2. 本郷の人口
本郷の面積は、昭和45年(1970)の調査で本郷町・西船5,6丁目をあわせて0. 570km²となっています。寛延3年(1750)58戸、天明4年(1784)63戸、文久2年(1862)62戸で、字葛飾前・内海道・辺田などの国道14号線より北側の台地及び低地が住居地であったようです。
明治以後で人口の知れるのは下表の通りです。
本郷は、かなり古くから開かれた村と思われ、この地一帯は栗原郷に属していたと考えられます。明治から大正にかけての人口の推移が分からないのは残念ですが、昭和初年ごろから次第に人口が増加し、昭和33年(1958)に西船橋駅が開業すると、このあたり一帯は各企業の社員寮がつくられはじめ、昭和50年(1975)ごろから中高層マンションが多くつくられるようになります。近年では女性より男性の数が多いのは、企業の独身寮が多いためと思われます。
3. 本郷の寺社
本郷の寺は曹洞宗の茂春山宝成寺で、陸奥水沢永徳寺の末寺であったといいます。これはこの寺を開基したのが陸奥の葛西六郎茂春であるためだそうです。もとは印内村字木戸内にありましたが、江戸時代のはじめこの地を支配した成瀬氏の菩提寺となり、現在地に移し成瀬の成をとって「宝成寺」としたのだそうです。本尊は釈迦牟尼仏で、この仏は千葉家14代胤家の寄進と伝えています。なお江戸時代は印旛郡宗徳寺の末寺であったともいわれています、境内の墓地には成瀬一族の墓地があります。
宝成寺本堂
本郷の鎮守は葛飾神社で、かつては葛飾明神とよばれ、この地方一帯の総鎮守であったそうです。祭神は天孫瓊々杵尊と彦火々出見尊です。神社の年中行事は、1月1日の元旦祭、1月20日前後のおびしゃ、10月18・19日の例大祭です。
なおこのほかに、延宝6年(1678)の検地帳に熊野権現・阿弥陀堂・満善寺などがあったことが記されていますが、合祀あるいは合併してしまったようです。
4. 本郷の文化財
字上戸に奈良平安時代の集落が発掘され本郷台遺跡と命名されています。台地上には縄文時代の遺跡も存在するようです。古代の遺物は、本郷台遺跡から、奈良時代の素焼の蔵骨器が発見されています。
中世の文化財としては、宝成寺に、元応元年(1319)銘の種子板碑がのこされています。
江戸時代の文化財は、宝成寺の「成瀬家の墓地及び墓誌」が市の指定文化財となっています。民間信仰にかかわる石碑は、寛文10年(1670)、享保20年(1735)、安永4年(1775)、寛政12年(1800)銘の庚申塔。宝永8年(1711)の念仏塔。元文5年(1740)、天明8年(1788)の十九夜塔。享保5年(1720)銘の廻国塔。明治27年(1894)銘の妙見尊。明和6年(1769)・慶応3年(1867)・明治5年(1872)の馬頭観音。天保9年(1838)銘の道祖神。天保15年(1844)銘の疱瘡神。嘉永4年(1851)・文久2年(1862)・昭和8年(1933)銘の稲荷神。昭和8年(1933)銘の第六天、大正6年(1917)銘の道標などが主なものです。
十九夜塔
5. 本郷の旧家
本郷の旧家は、国道14号線ぞいの字辺田・宝成寺に近い字内海道・葛飾前などに多く見られます。台地上の羽黒台・上戸は畑地と山林。低地の長洲・松木・薬師下・東沼・西沼は湿田であったといいます。旧家の姓は、昭和12年(1937)船橋市会議員選挙人名簿によると、今井・石井・土佐・川崎・横川・高橋・田久保・田中・梨本・成島・大塚などが多くみられます。ちなみに村役人をつとめた家は大塚家であったそうです。
(参考文献)
千葉県東葛飾郡誌 千葉県東葛飾郡教育会 大正12年
船橋市史史料編 5 船橋市 昭和59年
葛飾誌 成瀬恒吉 昭和63年