海神・西海神

 海神と西海神は江戸時代~明治には全く別の村であった。海神は船橋海神とも呼ばれ、船橋宿の一員であった。一方西海神の方は行徳海神とも呼ばれ、山野・印内等と共に栗原八ヶ村の一つであった。
 この両村は明治二十二年の町村制施行時に海神は船橋町に、西海神は葛飾村に入った。その後、昭和十二年の船橋市誕生時には、両地区ともその一員となり、十五年の新町名設定では五つの町名に分割され、昭和四十一・二年には過半が住居表示替えとなった。この昭和の地区の変遷は非常にこみいっており、一々書き切れないほどである。
 海神の語義については次の伝説が有名である。……日本武尊(やまとたけるのみこと)が当地へ賊徒平定にやって来た時、海上に光り輝く船があり、近づいて見ると柱に神鏡が懸かっていた。それを浜に持ち帰って祀った場所が海神である。……
 ただし、これはあくまで伝説である。海神は文字通り海の神を祀る神社から起こったものであろうし、日本武尊の伝説からは、海を越えてやって来る漂着神が連想される。海神の入日神社、西海神の竜神社はいずれも、参道が海から続いており、この両社もしくはどちらか一社が、海神の地名の起源であろう。両地区に関する江戸時代以前の古文書は知られていないが、古代にさか上る地名と考えられる。
 
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