東夏見・西夏見

 夏見は古くから知られた地名である。それは夏見と周辺が、平安時代の保延四年(一一三八)に伊勢神宮の荘園となって、記録に残されたからである。しかし、この伊勢神宮領は室町時代頃に管理下を離れた。江戸時代の夏見は東夏見村と西夏見村に分かれ、別々の旗本の知行地とされていた。
 明治二十二年に八栄村が成立すると、両夏見村はその大字となり、昭和十二年に八栄村が船橋市を構成した後、十五年の新町名設定で夏見町一・二丁目に変わった(一丁目は西夏見と東夏見飛地、二丁目は主に東夏見)。その後住居表示の実施に伴い、昭和四十六年には夏見一~七丁目と夏見台一丁目ができ、六十二年に夏見台二~六丁目ができた。ただし一部に今も夏見町二丁目が残っている。
 夏見の語源については諸説がある。①日本武尊が東夷征伐の折り、当地で神鏡の輝く船を見たのが夏であったから、②景行天皇が当地方に行幸された時、菜摘みをしていた里人に地名をお尋ねになったが、都の言葉がわからない里人は「なつみ」とお答えしたから、③昔夏見の南方前面が海の時代に「南津海」といったのが、後に「なつみ」に縮まった、④昔夏見の前面が海であった時代に、磯菜を摘んで神にささげたから、⑤「なつみ」は「肴つ霊(なつみ)」で、魚や野菜等の副食物の神のことであろう、⑥船橋市の夏見は古代に伊賀国夏見郷(現三重県名張市)から移住した人々が開いた、等である。①②③説はあくまで〝話〟である。④⑤説は多少可能性があろうが、今一つ決め手に欠ける。⑥は遺物の様式の類似等が考古学的に証明されるまでは仮説である。
 実際に語源として可能性が高いのは、古語で泥のことをナヅミということから、「泥地、湿地」の称であろうとする説(『古代地名語源辞典』)。ナヅ(撫)・ミの転で「崩壊地形・浸食地形」をいうかとする説(『地名語源辞典』)の二説であろう。
 
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