高根

 高根も起源の古い村落である。船橋大神宮旧蔵の応長元年(一三一一)の古文書(写)に「たかね郷」とあるのが、文献の初出であるが、この文書については疑問視する専門家も多く、検討を要する。
 高根という地名の語源については、①ここはこのあたりでは標高の最も高い土地なので、高嶺(たかね)といったのが高根に転じたとする説と、②地元でヘッコタマリといっている小谷は台地の麓(台地の根)であり、その地形から高根の名が起こったとする説が対立している。
 「高根」は北関東から房総に多い地名で、千葉市や市原市にもある。それらの高根地区の地形を見ると、どうも②説の方が妥当のように思える。
 さて、船橋市の高根は鎌倉~室町時代の板碑(板石塔婆)も数多く出土しており、戦国時代の城址も残されている。当地方では有数の遺跡、文化財の残る地区である。
 江戸時代には旗本小栗氏の知行地とされ、新たに開墾した新田部分は幕府代官領とされた。
 明治二十二年に八栄村の大字となり、昭和十五年に船橋市高根町に変わった。
 昭和三十年代以降、高根の東側部分は新京成線沿いの住宅地として開発され、昭和三十八年に高根台団地地区は高根台町一~五丁目となり、やがて住居表示により四十八年に高根台一~七丁目、五十四年に新高根一~六丁目が誕生した。
 
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