飯山満の集落の起源は古代までさか上ると考えられるが、現時点で知られる最古の遺物は、旧観音堂墓地(光明寺に移管)にあった康永四年の(一三四五)の板碑である。
江戸時代の飯山満は、上飯山満村と下飯山満村に分かれていた。さらに、上飯山満村は高野、本郷、中野木に分かれ、それぞれ鎮守がまつられており、「村の中のムラ」の典型であった。
明治二十二年に二宮村が成立すると、上・下飯山満はともにその大字となり、昭和三十年の旧二宮・豊富地区の新町名設定で、下飯山満が飯山満町一丁目、上飯山満高野が飯山満町二丁目、上飯山満本郷が飯山満町三丁目に変わった。
その後、飯山満本村北側は昭和五十年に住居表示が実施され、芝山一~七丁目に変わった。
飯山満の語源については、地元では「米(飯)が山ほどできて満ちた土地」から付いたという伝えがある。もちろんこれは〝話〟であって、実際はよくいわれるように「谷あいの場所」から付いたものであろう。古い地名の大半は、音(おん)に対して後世に漢字を当てはめたから、めでたい感じのする字が使われるのである。
さて、今の飯山満町の中で語源の場所を探すと候補地がいくつもあり、諸説が出されている。①米ケ崎地先から東に上る谷全体から、②ゆるぎ地蔵のあるかなり深い谷から、③光明寺と大宮神社の間にある谷から、④本郷の字ウブ街道の谷間から、⑤本郷から芝山高校方面へ向かう道沿いの小谷から、等である。
私見では、字(あざ)名、遺跡、旧家の位置等を考慮した⑤説が妥当だと思う。
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