江戸時代には旗本山名氏の知行地とされ、明治二十二年に豊富村の大字となり、昭和三十年に船橋市楠が山町に変わった。
楠ケ山の語源については、この地の山林に楠の大木が多く鎌倉幕府に献上したから地名になったという話や、切っても切っても切り倒せない楠の大木があり、その木は切り口が翌日には元に戻ってしまう不思議な木であったので、地名になったという話がある。
しかし、全国の「くす」の付いた地名の大半は崩壊地形であり、「くす」は「こす(刮)ぐ」が転化した語の語幹とする説がある。当楠ケ山も楠の木説より地形説の方が可能性が高いと考えられる。
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