八木ケ谷

 八木ケ谷(やきがや)も中世かそれ以前に起源を持つと考えられる古い集落である。現在の集落から小谷を挟んだ東側の柏上(かしあげ)遺跡からは、古墳時代中期の住居址が発見されているが、中世に続くものかどうかは不明である。長福寺周辺は室町時代に城があった所で、板碑も多数出土している。
 江戸時代には旗本長井氏と市川氏に二分して知行され、明治二十二年に豊富村の大字となり、昭和三十年に船橋市八木が谷町に変わった。その後、昭和五十六年には住居表示が実施され、旧来の集落と周辺が八木が谷一~五丁目、北部が高野台一~五丁目、三咲と接する地区が咲が丘・みやぎ台となった。
 八木ケ谷の語源については、①「八岐ヶ谷」で谷が入り込んだ複雑な地形、②城主が八木ケ谷胤宣であった、③八木は八種類の木(松、カラタチ、橘、柏、楡、桑、ナツメ、竹)のことで、八木が繁る谷あいの土地のこと、④「八木」は「米」の字を分解したもので、米のよくとれる谷田から付いた、等の説がある。
 しかし、「やき」「やぎ」の語義としては、狭い小谷、焼畑・野焼、湿地等も考えられる。当八木ケ谷の語源は現時点では未詳とするしかないが、これまでの説は再検討すべきである。
 
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